
去年の年収
数日前から届いてはいたが、連載取材などで家を空けることが続き、放置してしまっていた郵便物。
僕が所属している井上公造さんの事務所から定期的に送られてくる大きな封筒です。
出演料・原稿料の支払い明細や各種通知。
あとは、東京・渋谷の事務所に送られてきている僕宛の仕事がらみの郵便物をまとめて送ってもらっています。
しっかりした厚めの封筒を開けると、まず目が行くのが上質の紙で作られたパンフレットです。
毎月、松竹芸能さんから送っていただいている心斎橋角座の月刊スケジュール。
今、どんな芸人さんが、どんな発信をしようとしているのか。松竹芸能として、どの芸人さんに力を入れようとしているのか。
単なるスケジュールを超えた情報量が詰まっているため、本来ならば、このスケジュールだけでマッコリ20杯はいける味わい深さです。
そういったスケジュールの奥行き。
そして、何がどう作用してそう感じるのかは20年来の謎だが、なぜか笑福亭鶴二さんのお顔を見ると、言いようのない怖さを感じる自分のココロの在りようを再確認しつつ、次々と中身を確認していきました。
今回は、毎月の支払明細とは違う書類が入っていました。
「令和2年分支払調書」
要は、去年僕がいくら稼いだか。それがその紙に書いてあります。
2012年9月末で神戸新聞・デイリースポーツを退社し、今の立場になりました。
芸人さんみたいなもので、働けば働いた分だけギャラがもらえるが、仕事がゼロならば収入もゼロ。そういう形で、この8年半近く、仕事をしてきました。
会社員時代のように、決まったお金がきっちりともらえるわけではない。仕事の分だけ、お金が入る。
いわば、毎年の年収がその時点での自分の“戦闘力”である。そういう感覚にいつしかなっていきました。
戦闘力である以上、毎年、そこは上げていきたい。上げるための鍛錬を重ねつつ、できれば、強くなり続けたい。そういう考えでやってきました。
そして、本当に有り難い話、毎年、僅かずつでも、その数字を増やしながら8年やってきました。
ただ、去年は新型コロナ禍であらゆる仕事がキャンセルにもなり、これまでの仕事があらゆる形で減りました。
10月からは、月曜から木曜まで毎日生出演をしていたABCテレビ「おはよう朝日です」もなくなり、いわば生活の軸となっていた収入もなくなった。
その結果、去年の収入がどうなったのか。
いつも以上に、おそるおそる、封筒を開けました。
「そうなのか…」
リアルな数字を記します。
83477円、増えてました。
年収という部分で見ると、少額なのでしょうが、それでも増えていた。
なんとも言えぬ、感慨がこみ上げてきました。
なんとも言えぬ、感慨がこみ上げてきました、という言葉では背負いきれないほどの感慨。
言語上の圧倒的過積載。
ハシゴ車を使わないとフォークを入れられないほどの感情的ミルフィーユ。
「おはよう朝日です」で失った収入のダメージや重みが本当に出てくるのは、今年の年収なのかもしれません。
ただ、それでもあらゆる仕事を増やしながら、出力を高めながら、なんとか戦闘力を落とさない。
そして、来年の今頃、今度は通天閣のエレベーターを使わないとフォークを入れられないミルフィーユを味わえるよう、種々、努めたいと思います。
以前、取材を通じて、生前の山城新伍さんが毎年の年収を全て記憶されていたという話を耳にしました。
評価の難しい仕事において、年収こそが、最もリアルな通信簿である。
そういう思いからのことだとも聞きました。
僕は小さな頃から山城さんが大好きでした。
実は、今、ラジオなどでお話をさせてもらう際のおしゃべりのモチーフは、山城さんです。
もちろん、いろいろと格が違いますが、常に憧れだけは持ち続けています。
時を経て、山城さんという大きな山をほんの少し、登り進められた気がしました。
今、もし生きてらっしゃって、Yahoo!拙連載でインタビューなんぞさせてもらえたら。
そんなところにも思いが及びました。
「山城新伍が明かす“チョメチョメ”の向こう側」
自分でつけたタイトルで、焼酎20杯はいける46歳。