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美味しんぼ

およそ10年ぶりに、漫画「美味しんぼ」を読んでいました。

僕が“一食入魂”を座右の銘にするに至った原点はこの漫画でしたし、今に至るまで、ありとあらゆる形で食べ物に関わることが趣味というスタンスは、ここから生まれたものです。

今日は、たまたま大阪をテーマにした77巻を読みましたが、改めて読んでみてビックリ。自分の行きつけや知ったお店が出てくるし、さらには知っている人も登場人物として現れ、10年の間に自分が大人になり、漫画を作る側の人にも近づいていたことを端的に感じました。

小学生の頃に初めて読んで衝撃を受けた「美味しんぼ」ですが、時を経て、今ならその世界を構築するお手伝いが出来るのではと小指一本ながら、手応えを感じました。

昔とは違う次元で「さすが、海原雄山!!」と思うところも多々ありました。今なら、海原雄山氏と飲みに行っても、あの店に行ってアレを食べて、次にあの店であの日本酒を飲んで、最後に鶴橋のあそこでしめる、といった、まあまあうまく盛り上がりそうなコンボが思いつきます。

どなたか、「美味しんぼ」のスタッフをご存じの方がいらっしゃれば、是非ともご紹介いただけましたら幸いです。

発泡酒を飲みながら「美食予想図Ⅱ」を描く37歳。

46年生きてくると、過去にいろいろなものがあるものです。

最近、食べすぎ続きだったため、先ほどまでジムでしっかりとトレーニングをしていました。

ジムはWi-Fi環境がしっかりしているので、iPhoneで動画サイトのいろいろなものを見たりしながらトレーニングをしたりもしているのですが、なんの加減か、初期も初期、ほぼ初回に近いくらいのアニメ版「美味しんぼ」が出てきて、何本かまとめ見していました。

「久々に『美味しんぼ』を見たな…」

この感覚に覚えがあり、主に、僕がデイリースポーツの頃に日々綴っていたブログ「中西正男のご笑納ください」をのぞいてみました。

その結果「あ、やっぱり、綴っていた」と見つかったのが冒頭からの文章です。

それこそ、久々に過去の自分のブログを見ましたが、今、noteで書いているようなことはもう15年ほど前から書いている。

変わってないなと思うところもあり、明確に変わっているところもある。その変化が退化ではなく上向きなものであることを願うばかりですが、幸い、そうなっていると過去の書き物を見て思いました。

今の自分の方が上である。

体力や酒の強さなどは大幅にダウンしました。

ただ、プロとして冷静に見て、書き物の腕は、確実に今の方が上です。

積み重ねの力もありますが、一番大きいことは明白です。

会社員ではなくなった。

そこに尽きると思います。

四の五の言ってられない。

やるしかない。

そして、評価を得るしかない。

この重圧はとても大きなものだと思います。

さらに、今はしゃべることでお金ももらっている。これもあります。

芸人さんでも、タレントでもない人間がしゃべることでお金をもらう。

この重圧も尻に火をつけるには十分なものです。

生きるためには、前進し続けるしかない。

あがきともがきの蓄積を、ふと「美味しんぼ」きっかけに見た気がしました。

調べてみると、原作漫画の「美味しんぼ」が始まったのが1983年。アニメの「美味しんぼ」の放送が始まったのが88年。

小学4年?のあたりで僕は作品に出合っている記憶がうっすらあるので、もう35年以上経つ計算になります。

あらゆる考察を重ねていくと、初登場時の東西新聞社・富井副部長は、恐らく43歳くらい。もう、僕の方が年上です。

そして、おそらくは東西新聞社のモデルとなっている朝日新聞社で縁あって連載を書かせてもらうようにもなりました。

人生は分からない。分かるようで、分からないようで、やっぱり分からない。

10年後の僕が健在で、もし、このnoteを見た時に「プロとして冷静に見て、書き物の腕は、確実に今の方が上です」と言えるのか。

その頃には、初登場時の海原雄山氏の年齢をも超えているはずですが、そう言える自分でありたいものですし、家族もある以上、そうでなければならないとも思っています。

と、発泡酒を飲みながら綴る46歳。

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