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道上洋三さん
縁あって、ABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」でお馴染みの道上洋三さんの著書「拝啓、おふくろ」(光文社)を手にしました。
2020年5月、Yahoo!拙連載で道上さんにインタビューをさせてもらいました。
仕事への思い、新型コロナ禍でのラジオの意義、しゃべり手としての矜持…。
重みと味わいに溢れたスルメの佃煮みたいな言葉を弁当箱が閉まらないほどいただきました。そして、その記事はYahoo!の月間最優秀記事にも選ばれました。
人にお話をうかがう仕事を二十数年やっています。知らず知らずのうちに、取材時の言葉を通じて人間としての戦闘力を計測するスカウターが標準装備されるようになっています。
ただ、奥行きがありすぎて計測できない。滅多に起こらないことが道上さんの取材時には起こり、その意味でも印象深いインタビューとなっていました。
なぜ計測不能になったのか。その答えがこの本に綴られていました。
ラジオの企画などで「“人生を変えた本ベスト3”をやりたいと思うので、中西さんが読んできた本で『これだ!』という3冊を挙げてもらえますか」的なことを作家さんから言われたりもします。その度、僕が返す言葉があります。
「人生で3冊も本を読んだことがあるなんて、無条件に決めないでいただきたい」
いちいち試合前に細かいルールにも突っかかってくるホイス・グレイシーのように「うっとうしいオッサンやのぉ」と思われていたとは思います。
でも、これが事実なので仕方がありません。そう、私はほとんど本を読んだことがないまま、この年齢まで来ているのです。
文字を目で追えない。1ページ読むのも気が遠くなるほどの時間がかかる。自分が書いている原稿ですら、なるべく目の焦点を合わさずにモザイクの奥を見る際のようにボンヤリ見ながら書いている。
それが現状です。それくらい文字を読むことができない。
そんな人間なのですが、自分でも驚きました。この本はスッと読めたのです。
なぜスッといったのか。
一つの要素として、ラジオというファクターが幾重にも作用したと思います。
ハンク・アーロンと商店街の草野球の人数合わせくらいレベルに差がありますが、まがりなりにも、同じラジオというフィールドに居させてもらってはいる。
その上で、ラジオでしゃべることの意味。特にAМラジオでしゃべる意味。さらには、しゃべり続けることの意味。それを少しは感じている。
取材時の奥行きが解明されていく感覚。
そして「だからこそ、道上さんは45年もしゃべり続けられたんだ」という謎解き感。それが読書童貞の道程を力強く後押ししてくれました。
お母さんとの縁。地域との縁。友人との縁。仕事との縁。そこから得る心の機微。
学ぼうたって学べない領域。
できれば、そこまでは学びたくなかった領域。
あらゆるものを得て「おはようパーソナリティ道上洋三です」にたどり着かれた。
だからこそ、しゃべれるのだろうし、だからこそ、たどり着いたのだろうし。
ガムテープでぐるぐる巻きにして作ったボールのように、ループするほど堅固に合点がいく。合点がいくほどに堅固になっていく。その感覚も含めて、どんどん読み進めていきました
ほぼほぼ読んで、今日で読み切るであろう日。ジムに本を持っていき、エアロバイクを漕ぎながら最後まで読み切ることにしました。
そのまま本とだけ向き合うと、この本から抜けることに心が支配されそうになる。不慣れなことゆえ、心の揺らぎが生活に影響を与え過ぎぬようにしなければ。何か別の作業をしながら読んだ方が、この本とひとまずのお別れをするにはちょうど良さそうだ。
いわずもがな、本への軽視ではなく、本への敬意でその形を選びました。
このあたりはいくら丁寧に言葉を連ねようが伝わりにくい変態性欲の説明にも似た部分なので、割愛&希釈しますが、最後はしっかりと読み切って良いお別れをしよう。そんな僕なりの考えからのフィニッシュでした。
ジムでトレーニングをする時には、いつもradikoでラジオを聴くか、YouTubeを見ながらのことが多いのですが、この日は、おススメ動画に出てきた「鶴見五郎vsザ・マミー」を選びました。
YouTubeに魅力がありすぎてもダメ。興味がなさ過ぎてもダメ。記憶があるようなないような、レトロプロレス。
これくらいがこの本を美しく終えるにはちょうど良い。そう思ってワイヤレスイヤホン越しに脳に映像と音声を流し込むと、これが本当にちょうど良い。
絶妙に本を邪魔せず、本を後押ししてくれる。出会いのものとは言え、これはたまたま良い動画とマッチングできた。
そう思いながらページを読み進めていくと、聞くともなく聞いていた動画の音声から全神経がそちらを向くしかない名前が聞こえてきました。
「ここで、中島らも様からのご挨拶です」
今は亡き作家・中島らもさんが試合前のセレモニーでリングインし、親交のあるレスラーへの思いを語っています。
僕が本を“全く”読んでいないのではなく“ほとんど”という表現にとどめていたのは、中島らもさんの本は少し読んでいたからでした。
独特のモゴモゴした口調と昔のビデオの荒い画質もあいまって、動画の中の中島らもさんが何を言っているかは聞き取れませんでした。でも、縁の大切さみたいな話をおそらくはされていたようでした。
時空を超えて、幾重にも縁がつながる。
動けば何かを得られる。
そして、本は読んだ方がいい。
何もかもが明文化などされていない領域ですが、この上ない強度で感じました。
そして、よく考えたら、今年、自分も本を出すのだ。
いろいろつながっているような、つながっていないような、でも、つながっている。辛み、甘み、酸味が融合したタイ料理を遥かに超える多層的な味わいが口中に広がりました。
「おはようスピリチュアル中西正男です」的世界観をぶちまけてみる47歳。