中田敦彦さん
今しがた、Yahoo!拙連載の月額有料会員向け記事を更新しました。
「顔出し引退」から見る“実験”の積み重ねと今後の中田敦彦
3月12日、中田敦彦さんのYouTubeチャンネルで、今後はYouTubeなどで顔出し出演はしないという発表がありました。
そこに対する見解を有料記事では綴っているのですが、ざっくり綴って、これは本当に大きな“実験”だと僕は見ています。
「芸能人は顔が名刺」
そう言われてきた芸能人が顔を出すことをやめる。
ここからどんな動きが生まれるのか。
記者として、そして、まがりなりにも人前に出る仕事もさせてもらっている人間として、ダブルで注視していきたいと思います。
僕は13年半、いわゆる普通の会社員として働きました。そこから、いわゆる人前に出る仕事もさせてもらうようになり、今で8年半ほど経ちました。
家族や友人のように、僕も相手の顔を知っている人から、自分の顔を知られている。
このように「知っている」のベクトルが双方に向いているのが普通の関係性です。
僕は相手のことを知らないが、相手は僕を知っている。
この感覚は長らく普通の会社員として暮らしてきた人間にとっては、とても新鮮でした。
街で声をかけられる。
お店でサインを求められる。
声をかけられないが、向こうの方でヒソヒソ話をされる。
いろいろなパターンがありますが、こちらが「気づかれている」ことを気づけるパターンはまだ良いのですが、全くの無反応だが実は「気づかれている」。
ここに対する恐怖というか気疲れ的なことは、僕みたいなものでも、日々相当感じていますし、それが本職のタレントさん、ましてや売れっ子タレントさんになると、とんでもないレベルになるのだろうと容易に想像できます。
西川きよしさんは、常に西川きよし然とされています。
本当に、素の部分が西川きよし然としている。もしくは、そうするように四六時中パワーを使っている。
どちらにしても、これは一つのスーパーマンだと思いますし、そこまでの人間力は全方位的に僕にはありません。
なので、人前に出る時や人から気づかれている時はスイッチを「switch」と書くくらい気合いを入れますし、それ以外は「すぅいッっッ血」と「北斗の拳」のザコの断末魔と混同するくらい誤変換もたっぷりに暮らしています。僕レベルでも、否、僕レヴェルでもそれらくらい気を使っています。
自分の存在を世の中に発信するが、自分自身は発信しない。
この分離は、昨今のネットから流行る曲などにおいては活用されているところもありますが、いったん、世に出た人がどこまでこれを完遂できるのか。
上岡龍太郎さんや島田紳助さんのように、基本的に、発信もしない立場を貫けば、自信も発信せずに済むのでしょうが、YouTubeなどは続けながら自分は出ない。
それを決断した理由として、中田さんは「有名税の重税化」というワードを挙げられていますが、今回の話には本当にいろいろな今の社会の問題が実は内包されていると強く思います。
だからこそ、有料記事でも、ここのnoteでも綴りましたし、恐らくは明日のABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」の芸能コーナー“中西正男の業界!しょーみの話!”でも、この話をさせてもらうことになろうかと思います。
近所のパン屋さんで以前から気になっていたミンチカツサンドを購入しようと店内に駆け込んだところ、お客さんから気づかれていることに気づき、本来なら、少しでも大きなミンチカツの個体を数分かけて吟味するところ、手前の小ぶりなものをサッと取ってしまい、それが悔しくてたまらないというマグマの湧出がこのニュースを語る理由になっているというしょーみの話をここで綴ってガス抜きし、明日に備える46歳。