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プロフェッショナル
この運動靴を購入して、もう2年以上経つと思います。
本当は別のスニーカーが欲しかったのですが、それはかなり高い。
それでも本当に欲しくなるくらい魅力的スニーカーだったし、買おうかな、、でも高いし、、、そんな逡巡がぐるぐるしている時、ふと立ち寄った大型スポーツショップで、この靴が何段階もバーゲンになり、4000円ほどで売られていました。
欲しいスニーカーに似てないこともない。何より、安くなっている。
靴を買うというよりも、お得感をゲットするような感覚で購入しました。
ただ、履いてみると、やはり、欲しいものとは雰囲気がかなり違う。中途半端に色合いなどは似ているだけに、余計に差異が目立つ。
そんな思いから、靴箱の奥の方に押し込まれていたのですが、ま、運動靴だし、ジムに行く時や、雨で路面が悪い時などにランニングをする時には使ってみようか。
野球でいうと敗戦処理的な役割としてちょこちょこ履くようになりました。
よそ行きで履くものではないし、オシャレで履く用途には入らない。
だからこそ、汚れたら汚れたでいいし、泥水びたしになっても構わない。
そんな軽視にカテゴライズされる感情を原動力に、いつしか、この靴をそこそこ履くようになりました。その頃に、ふと、思いました。
「あれ、この靴、これだけ履いているのに汚れがほとんどついてないし、目立ちにくいよな」
「雨の日に履いても、水が染み込んできたことがほとんどないし、濡れてもすぐ乾くから連投できてるよな」
「よく考えたら、自分が持っている服は緑色系が多いから、馴染まんことはないよな」
「ほんで、これだけ連投させても、型崩れも劣化も少ないし、もしかしたら、実は、凄まじいまでの孝行息子ではないのか、、、」
その瞬間、どの靴よりも、愛おしくなりました。
愛着という概念のど真ん中を狙撃された思いがしました。
それと、同時に、会社員でもなくなり、その場、その場で雇ってもらい続ける浮き草稼業となり、自分もこの靴のようにならなければと思いました。
僕が新聞社の編集局長なら、放送局の制作部長なら、この靴はずっと使い続けます。
力があることを、心底感じさせる。
相手を、この気持ちにさせる。それが、この仕事のキモなのだろうなと。
信頼という薄皮をはり続ける。決して簡単なことではありませんが、それしかない。改めて、痛感しました。
昨日のMBSラジオ「松井愛のすこ〜し愛して♡」。
より値打ちある芸能情報をしっかりとお伝えすることはもちろんのこと。
桂南光さんから高岡早紀さんが使ったもんじゃ焼きのヘラをどうするか?と尋ねられたら「ヘラをずんどう鍋に入れて水から煮出し、その出汁でお吸い物をします」と即座にお答えしました。
もし、具材は何が良いか?と追加で聞かれたら「じゅんさいかなめこでしょうね」という二の矢も携えておく。
「意外と、カレーみたいな味の濃い料理のベースに使っても、組み立ての下支えになってくれるので、味が定まりますわなぁ」と「味の招待席」の桂米朝さんテイストも取り入れ、せめて、上品な読後感くらいはたなびかせる。
力を蓄える。準備する。形を残す。結果で示す。
そんな仕事の仕方を全ての局面で続けることが、必要なのだろうなと再認識しました。
その視点であらゆるものを再確認すると、逆に、プロのプロたる所以を噛み締めることにもなります。
ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」で毎週月曜に「トムとジェリー」的に、もしくは「ジェリー藤尾と渡辺友子」的に仲良くケンカをされている浦川泰幸アナウンサーと珠久美穂子さん。
そして「トムとジェリー」的に浦川さんが大きな重りを珠久さんに落とし、珠久さんがcartoon的にぺったんこになって宙を舞う。
そのコミカルな味を安定的に出されるプロの技。
そして、ぺったんこになって宙を舞う姿をよく見ると、腹部から少し小腸が出ているウォーキングデッド感。
そんなスパイスも入れながらストーリーを紡ぎ続けるプロフェッショナルの姿から、また学びを得ます。
学びのネバーエンディングストーリーの中、箸休め的に、ネバーエンディングストーリーに出てくる犬なんか龍なのか分からん白い生き物の顔真似をしてみて、それは箸休めにならないことを学ぶ46歳。