“卒業”と“ビークー”
フリーアナウンサーの橋谷能理子さんがレギュラーを務めていたTBS系「サンデーモーニング」を降板することを26日放送の番組内で報告しました。
司会の関口宏さんから「今回で橋谷能理子さんが最後になりました」と言葉をかけられると、橋谷さんは「本日をもちまして『サンデーモーニング』を降板いたします」と答えました。
こういう場面でよく用いられる“卒業”という言葉ではなく“降板。これに対して、インターネットの書き込みなどはかなり大きな反応を示しています。
「“卒業”という言葉には以前から違和感があった。降板が正解」
「“卒業”という言葉の意味と、起こっていることが合っていない」
などと「誰かが番組を離れる」=卒業という構図への疑問が期せずして噴出することになっています。
僕は2020年10月1日をもってABCテレビ「おはよう朝日です」から離れることになりました。ただ、そこに関してはポリシーを持って、これまで一切“卒業”という言葉を使わずに来ました。
ラジオやイベントなどに耳を傾けてくださっている方ならばご存知かとも思いますが、終始一貫“クビ”もしくは“ビークー”という言葉を使っています。
これに対し、一部の方から「卒業という言葉を使った方が良い」「クビだなんて乱暴な言葉使うべきじゃない」的な貴重なご意見もいただいてきました。でも、直接の知り合いなら面と向かってその度に言ってきました。
「いやいや、クビはクビやから」
ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」を本業である弁護士の仕事がこれまで以上に忙しくなることを理由に、この春から出なくなる亀石倫子弁護士。これは卒業です。
東京での仕事や劇場出番がさすがにパンパンで、これまでも無理を重ねてきたが、もうさすがに限界となって「おはよう朝日です」をこの春で去る「和牛」。これも卒業です。
ただ、自分の意志ではなく、番組からの申し出によってその番組から離れる。これは次のステップに向かうために辞める卒業ではありません。
言葉は正確に使わなければならない。そんなこともあって、僕は終始一貫、卒業という言葉は使わないという自分の中でのこだわりを持ってきましたが、今回のことで、そこに光が当たったのは、実は大きな一歩なのではと思っています。
こういうことを綴ると「お世話になった番組にツバを吐くようなことをしてみっともない」みたいな貴重なご意見をいただくこともありますが、これも度々言っているように、僕は「おはよう朝日です」には無論感謝しかありません。
街を歩いていて僕が中西正男だと認識してくださる。存在を知ってくれている。その大きな原動力は「おはよう朝日です」です。
丸8年お世話になり、その間、生活の基盤を「おはよう朝日です」の収入で築かせてもらいました。足を向けて寝られない番組です。
番組を出る時のあいさつでも番組の皆さまに申し上げたことがありました。
「番組を出る人間ができる唯一の恩返しは、出る時よりも大きな存在になること。それしかないので、なんとかそこに向けて努めます」
感謝があるからこそ、自分の株価をクビになった時よりも上げなければならない。僕の場合は書くのが本業であり、言葉を扱うのが本分である。
そんな自分が“卒業”なんて不正確で、雑味にまみれた言葉を使っている場合ではない。そんな矜持や覚悟も込めて、僕はビークーと言い続けています。
ま、橋谷さんがどんな思いで降板という言葉をお使いになったかは本人に聞いていないので分かりませんし、妙な流れに巻き込んで申し訳ありませんが…、橋谷さんを触媒に、なかなか綴ることのない思いの発露として綴らせてもらいました。
そんなこんなの48歳。