「すばらしき世界」
僕は美味しいものを食べに行くのが好きです。
最近はコロナ禍でままならなくもなっていますが、プロがプロの目利きと技術を使って作った料理でしか響かない味蕾があり、その味蕾が開くことでしかほぐれない心のこわばりがある。
単なる一回の食事を超えた悦びとカタルシス。
火の入れ方、塩の効かせ方、食材の合わせ方、無味の消し方、出汁の広げ方…。
いろいろなところにまさに“良い塩梅”のスイートスポットがあり、そこを的確についてくるプロの料理を食べると、一気に心がほぐれます。
その中でも、僕がプロを感じる料理の一つが煮魚です。
魚のクオリティー。
臭み抜きの下処理。
合わせる野菜選びと下ごしらえ。
いろいろプロを感じる技術があった上で、僕が煮魚で一番興奮するプロの技が「下卑た味ギリギリへの攻め」です。
これはあくまでも、個人的な嗜好ですが、僕は煮魚はある程度「下卑た味」でないと美味しくないと思っています。
野菜の炊き合わせように色も白く、味もあっさりさせるのではなく、醤油の味も、砂糖の味もしっかりと効かせる。
砂糖なのか魚のゼラチン質なのか分からないが唇がねちゃつくくらいの煮汁の濃さ。
これでは身の味と打ち消してしまうのではと不安になるくらい強いのだが、接戦の末、最後は、絶妙に身の味が勝つ。
僕はそんな煮魚にプロの腕を感じ、それが出てきたら、ビールからちょっといい日本酒に酒を変えます。
そして、一口ごとに、どんどん心がほぐれていき、今度はそのほぐれ自体がアテになって杯が空いていく。そんな夜になります。
今晩、お気に入りの小料理屋さんで煮魚は食べていませんが、梅田ブルク7で同じ感覚を味わいました。
映画「すばらしき世界」。
映画の詳細などは公式サイト、そしてnote「芸能カルチャー虎の巻」で島田薫さんが綴ってらっしゃる「すばらしき世界で考える“人との付き合い方”」に委ねますが、前から行こうと思っていて見に行けてなかった映画でした。
故・佐木隆三さんのノンフィクション小説「身分帳」を西川美和監督が映画化。
刑期を終えた元ヤクザを役所広司さんが演じていますが、評判を聞いて見に行かないといけないとは思いつつも、どうも見るのにパワーが要るような気もして、二の足を踏んでいたのも事実でした。
テーマ的に、トーンが薄味ではコントみたいになる。見るのにパワーが要るくらいの味付けになってないとこのテーマを扱う意義はないのだろうが、それを見るのは純粋にしんどい。
しかも、基本的に、僕はエンターテインメントからは痛快さ、楽しさ、面白さ、ド迫力みたいな味しか得たくない。
「ハァ!?『生きる上で大切なものを教えてくれた作品だった』だの『現代人が忘れている何かを思い起こさせてくれた』だの、そんなもんテメェに言われなくても、こっちは日々考えながら生きてんだよ!“現代人が忘れている何か”を提示しようだなんて、どれだけ横柄なマネしやがるんだ!今すぐ表に出ろ!!」と「すばらしき世界」の役所広司のように押しつけがましい映画には激昂し理性を失う。
僕に身分帳があれば、確実にそう書いてあることでしょう。それくらい、感情の押し売りになっているものは大嫌い。
そんな人間だからこそ、見るまでのハードルは高かったのですが、西川監督の味付けは本当に美味しかったです。少なくとも、僕にとっては最高の煮魚でした。
これより薄かったら生臭い。
これより濃かったら身の味がしない。
そのギリギリを攻める絶妙な塩梅。
エンドロールに至るまで「おー!これ、これ!」続きのすばらしき2時間でした。
あまりの美味しさに煮汁をすすり過ぎ、漏れだした煮汁で思考がショートしながら繋がっていき、結果「西川監督がやっている小料理屋があれば、絶対にボトルキープする」という結論にねちゃつく46歳。
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