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明石家さんまさん
昨日のABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」の芸能コーナー「中西正男の業界しょーみの話」でもお話を先日、行われたアニメ映画「漁港の肉子ちゃん」の完成報告会を取材してきました。
作品の企画・プロデュースを務めた明石家さんまさん。主役・肉子ちゃんの声を担当した大竹しのぶさん。そのやりとりや、これまで僕が取材する中で聞いたさんまさんのエピソードなどはYahoo!拙連載に「やさしさ怪獣・明石家さんまがふりまく幸せのしぶき」に綴りましたが、聞けば聞くほど、さんまさんという人の奥行きと温かみは増すばかりです。
拙連載でも綴った村上ショージさんの結婚式の話、「中川家」剛さんの話、ラジオでしゃべった小出恵介さんの話、それ以外にも、さんまさんに人生を救われたという人は数知れません。一切、大げさな表現ではなく。
そのさんまさんがプロデュースとという段階で、作品の向こう側にさんまさんという存在が透けて見える。ちょっとしたやさしい描写にも、さらなるやさしさの奥行きを感じる。
これこそ、しょーみの話ですが、僕は血も涙もない暗黒騎士のような人間です。否、自分の内なる声が示すものに対して、わき目もふらず、ひたすら剣を振り下ろし続けるドメスティックバーサーカーのような人間です。
なので、映画や舞台で涙を流すなんてこととは無縁の人生を送ってきているのですが、この作品は泣きました。泣いている自分に自分で驚くほど、泣きました。
まず、大前提として、物語がよくできているということ。これがベースにあることです。
さらに、大竹しのぶさんの奥行きと幅。同じ単語を発するにしても、そこに無限の余情をたなびかせる。
これは女優としての技量、人間としての馬力としか言いようがない領域なのでしょうが、それがセリフに乗っかるので、いわゆる行間の味わいがすさまじい。
行間につまようじを突き立てて、ようじの先についた欠片だけで日本酒二升飲めるくらい、濃厚な味わいです。
そして、先述した作品全体を通じて、向こう側に透けて見えるさんまさんという存在。この味が、広大とはいえどこかに行き止まりがある“草原的やさしさ”から、何が始まりで何が終わりなのかも分からない、永遠という概念すらまとった“メビウスの輪的やさしさ”へとクラスチェンジさせています。
とても自分にできるような芸当ではない。
ましてや、血も涙もないバーサーカーには最も不向きなアビリティーかもしれませんが、それでも憧れる。そんなやさしさを映画を通じて体感しました。
くすんでいた心のクリスタルに火がともり、体中に漲る力を使ってカレーを作るべくオニオンソードに見立てた文化包丁で玉ねぎをみじん切りをするが、刃こぼれで切れ味が悪く、魔法剣フレアで斬撃のパワーアップをしたつもりで激しく刻んでいると、ソードが中指の肉にクリティカルヒットしケアルガでも追っつかないダメージを負うが、一番のダメージは「ドラゴンクエスト12」が発売されるというニュースを読んで触発されたはずなのに、回路がどうつながったのか「ファイナルファンタジー」へのオマージュに満ちた文章を綴っている自分に文末になって気づいたことである46歳。