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自己紹介 noteを始める理由

はじめまして。”まさお。”と申します。
2021年12月で35歳になる石油会社の営業です。結婚していて妻と3歳の娘を愛しています。転職経験はなく、ドラム缶に入った石油という極めてアナログなモノを12年間一筋に販売してきました。そんな私が、”note”というインターネットの世界で筆を執り、記事を書く理由をお話しさせて頂ければと思います。

1.私のルーツ


私は、ディエゴ・マラドーナが伝説の5人抜きで世界を沸かせた1986年に島根県で生まれました。生後の3ヶ月を島根県で過ごした後、父方の実家である千葉県へ移り、7人家族の1人として生活していくことになります。共働きの両親の代わりに面倒を見てくれたのは曽祖父と曾祖母でした。物心ついた私は、第58代横綱である千代の富士のファンになったようで、その勇ましい姿は今でもぼんやり記憶に残っています。4つ年の離れた弟も生まれ、とても賑やかな我が家でしたが、私が8歳を迎えるころに育ての親でもある90歳の曽祖父が他界。続くように曾祖母、糖尿病を患っていた祖父も亡くなり、11歳には5人家族となってしまいました。立て続けに家族を失ったせいか、私は死に対しての”情緒的な悲しみ”を表に出すことに乏しくなってしまい、隣人が亡くなったときに泣けないという致命的な欠陥を持っています。

さてここで私の両親の話をしたいと思います。
父は千葉県のミニトマト農家。母は島根県の看護師という異色コンビで、毎晩一緒にお酒を飲んでは熱い議論を交わしていました。父の趣味はテレビゲームとプロ野球巨人戦、そしてゴルフ。私の実名はとあるゴルフプレーヤーから引用されています。そして母は飲酒と巨人戦、音楽鑑賞などが好きでした。(初めて気が付いたのですが、この2人はお酒を飲みながらの巨人戦を通じて強い絆を保っていたのかもしれません。)家族の死で8歳から11歳の時に心の傷を負った私ですが、両親の愛情に救われています。父はリトルリーグで活躍できない私を見かねて毎晩のようにトスバッティングの練習に付き合ってくれました。母は、私がどんなに失敗しようとも最後まで信じ抜いてくれました。彼らには本当に感謝しかありません。

さて私の話に戻しましょう。
小学校はリトルリーグで県大会ベスト8、中学校は心機一転バレーボール部へ入部し県大会ベスト8、高校もバレーボール部で県大会ベスト6と、全ての年代において関東大会まであと一歩届かずというのが、12年間打ち込んだスポーツライフの結果でした。また、学業成績は進学高校へ主席入学した頃がピークで、高校へ入ることが目標だった私は入学と同時に勉強をやめてしまい、数学IIICのテストでは生まれて初めて0点の答案が返却されることとなります。前の日には頭の良い友達を集めて球技大会の練習をしていたのですから呆れます。そして何となく合格した中堅大学に入学し、遊びと飲食店でのバイトをとにかく頑張るという、ザ・ジャパニーズスタイルで4年間を過ごした後、22歳で今の石油会社へ就職します。そして27歳で結婚し、30歳で娘を授かり、今は3人で暮らしています。転勤族なのでいつ異動になるかはわかりませんし、新型コロナウイルスも相変わらず猛威を奮っている状況ではありますが、今は安定した生活を送れています。

長々と書いてきて私が何を言いたいのか。

「私はハッピーな人生を過ごしています」

2.私がnoteを書く理由

私がハッピーである理由はシンプルです。
●愛する家族と一緒に生活していること
●安定した収入があること
●人間関係にストレスが少ないこと
●週休2日で十分な休養が取れていること

私の状況を客観的に分析すると、世間が定義する俗語「幸せの絶頂」という謎ステータスに近い状況で、ここに持ち家を加えれば完璧です。私は無敵スターを取ったマリオや、火山へ指輪を納品したフロド・バギンズ、銀河系に平和をもたらしたルーク・スカイウォーカーのようなスペシャルワンでは無いけれど、安泰と平和を手にした市民であり、ヒト特有の愛と幸福を育んでいる成功者のように見えるのです。そして私自身も今の生活を幸せだと思っているのは疑いようのない事実です。

しかし、ジェダイに対しシスがあるように、光のあたる場所には必ず影があります。ハッピーな気持ちの陰に隠れて、ずっと何かがうごめいていました。全てが順調なはずなのに。

さて、満を持して申し上げなければなりません。

私のなかにあったモヤモヤの正体。

「私は何者かになりたい」

そう。私は何者かになりたい人間だったのです。

それは、サラ・コナーやフロド・バギンズのような運命を背負う者なのかもしれないし、ジェームズ・ボンドやジョン・マクレーン刑事のような仕事のスペシャリスト、もしくはジャック・スパロウみたいな海賊(浮浪者)かもしれない。何か大きな使命を全うしたい。世間に対して影響力を持ちたい。自分のなかにそのような気持ちが芽生えているのを認めないといけなかったのです。

SNSによって誰もが影響力を持てるようになった時代。私のように(もしくは気付いていない人も含めて)「何者かになりたい」と思っている人は多いのではないでしょうか。あるところまではボーっとレールに乗っていられても、自分の存在意義だったり『使命・天命・宿命』のような哲学的思考が岩となり、突然ぶつかってくる時代だからです。

では、何者かになるためにはどうしたら良いのでしょうか。私はコロナ禍が始まったおおよそ1年前からずっと考えてきました。

「自分らしく生きた人が何者かである」

それが私の答えです。

つまり、個々の日常に存在するオリジナリティ、近い言葉でいえば"自分らしさ”を追求した先にある姿こそが何者かなんだと。例えば、私の場合はnoteを書き続けることはとても独自性のあることだし、娘の育児も妻との会話もすべて自分らしい。特に父親や夫という立場は、最も明快な何者かです。

さて、ここで難解な問題が発生しました。
私がnoteを書くきっかけになっている問いです。


*『自分らしさ』というものが超抽象的でわからない


そもそも、自分らしく生きようと何かを変えようとする時点で、それは自分らしくない行動とも言えるし、自分らしさを追求して誰かの考えをそのままコピペしてしまったらそれは本末転倒。かと言って他人の意見を全く聞かない人は孤独な天狗でしかない。じゃあとにかく承認欲求を捨ててありのまま生きることが自分らしさなのか。いやそれも否。そこには単純な2項対立では説明できない複雑なマトリクスが存在します。

以上の考察から、私がnoteを始める目的を下記の通りまとめました。

●『自分らしさ』という超抽象的ワードをより具体的に言語化する。
●私と同じように、何者かになりたいと悩んでいる人へ言葉を届けたい。
●日常をテーマにした連載を通じ、自分らしさを具体化するヒントを得る。
●私自身が何者かになるために、日常をテキスト化し感性を開放する。
●ライティング経験がないため、良い文章を書ける実力をつける。

本連載『日常』はテキストを通じて答えを探す旅です。
また、私自身の成長物語でもあります。
日常を文字に起こし、皆さんと一緒に自分らしさとは何かを考えていきます。毎月3~4本を目安に投稿させて頂きますが、時間は何よりも大切にすべき資産です。その限られたリソースを使い、私の記事を読んで頂ける全ての読者の皆様に感謝します。皆さんと共に考え成長できましたらこの上ない喜びです。

ここまで偉そうなことを書いてきましたが、普段は妻と子供と日々戯れる会社員です。なんだか気が合いそうだなと思う方は是非フォローをお願いします!(^^)!

                             まさお。

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