勝龍寺城の見学に長岡京市へ・・・

画像1 久しぶりに勝龍寺城を訪問します。パンフレットによれば、この場所は水運や交通の要衝にあり、城は織田信長の命によって細川藤孝が、臨時的な砦を当時の最先端の城郭に造り替えたもので、「瓦葺き・石垣・天守」といった諸要素が取り入れられた近世城郭の先駆けの城、とあります。
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画像3 JR長岡京駅で下車して、まず勝龍寺城から少し離れた神足神社のそばにある土塁と空堀を見学します。
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画像5 この場所は柵などで保全されています。写真では高低差が分かりづらいですが、空堀・土橋・土塁で構成されています。真ん中の柵が土橋です。
画像6 駅から勝龍寺城までは20分ほどで到着です。ここは西辺の土塁の上です。パンフレットによれば、この場所に天守が建てられていた可能性があるそうで、ここからは真正面に南門が見え敵兵を側面から射撃する「横矢掛かり」として機能していた・・・、とあります。
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画像8 説明板には、石垣を備えた城はまだ珍しいため石材供給体制が整っておらず、石仏・五輪塔などの石造物が転用石として使われていたことが書かれています。発掘調査の際に出土したそうです。
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画像10 細川ガラシャは明智光秀の娘、細川藤孝の嫡子・忠興のもとへ嫁ぎます。光秀は山崎・勝龍寺城合戦に際しこの城に退却、再起を期して落ち延びましたが、その途中で落命したことは、よく知られています。
画像11 西辺の土塁に登ると、ムクノキの巨木がありました。長岡京市の保存樹木だそうです。
画像12 城内で大型の解説映像をゆっくり視聴してから、いったん長岡京駅まで引き返し、長岡天満宮まで足を延ばします。
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画像14 昼食休憩後に、参拝・見学です。
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画像18 ここにはムクロジの巨木、なんと樹齢200年・幹周囲3m・樹高18mとあります。これほど大きなムクロジを見るのは初めてです。これも長岡京市の保存樹木です。参拝を終えて長岡京駅まで引き返します。帰ってみれば、歩数14,000歩、蒸し暑い天気、今日もよく歩きました。

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