JR手原駅から鈎の陣所・多喜山城跡・旧東海道を巡る

画像1 所属する城郭探訪会の行事で、栗東市のJR手原駅を起終点に77名が鈎の陣所・多喜山城跡そして旧東海道を歩きます。人数が多いので4班に分かれて、地元の観光ボランティアガイドさんの案内で出発です。
画像2 駅を歩き始めるとすぐ古代建物群・手原遺跡の石柱があります。説明には白鳳時代・平安前期という言葉・異方位を残す条里地域などの説明があり、歴史のある地域だということが分かります。
画像3 足利氏と六角氏が争った「鈎の陣」で有名な一帯まで歩きます。ここには、室町幕府・九代将軍の足利義尚(よしひさ)公ゆかりの地」という碑や八代将軍・義政と交わした歌碑などが、幾つか建っています。
画像4 さらに歩いて、近くの永正寺にたどり着きます。
画像5 巨大な土塁に出います。義尚公の陣所で、「御所」が置かれた場所だそうです。この一帯に陣を置いていたので、土塁や堀の跡が各所に残っているとの説明です。
画像6 お寺の前に、詳しい説明板があります。
画像7 一時間ほど歩いて、多喜山城跡の麓にたどり着きます。日向(にっこう)山は222m程で、それほど高くはありませんが、鈎の陣所あたりから随分と歩いてようやく到着です。
画像8 山頂の多喜山城跡まで、721段の石段を登ります。
画像9 なんと、1988年(昭和63年)のふるさと創生事業・一億円で、整備したそうです。
画像10 頂上まで登ると、すぐそこに三上山・432mが見えます。その手前は野洲川の緑地帯です。
画像11 山頂の周囲には少し高くなった土塁があり、石垣もあります。石垣は、ほとんど石積の形をしていません。枡形虎口という場所にも案内してもらいますが、樹木に覆われていて長年の風雪により、はっきりした形は確認できませんが、なんとなく面影影を残しています。ここで昼食をとりますが、雨模様になってきたので、急いで下山を開始します。
画像12 山頂でヒトツバに出会います。周囲は絶壁の崖になっているそうなので、岩石の上に生えるヒトツバの生育に適しているのでしょうか・・・。
画像13 下山後、旧東海道に向かいます。現在は福正寺となってますが、かつて六地蔵城があり、本丸・二の丸などの地名が残っているそうです。小さな土塁と堀跡を見学します。今日は門が閉鎖されていたので、見学はここまでです。
画像14 すぐ近くに、旧和中散本舗・大角家住宅の建物があります。
画像15 国指定重要文化財となっている大きな建物で、春と秋に特別公開が行われているそうです。和中散は徳川家康の腹痛を直したことで知られていて、旧東海道沿いにあるため広く知れ渡り大いに繁盛したそうです。
画像16 旧東海道沿いに手原駅方向に歩いて行くと、六地蔵の一里塚に出会います。
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画像18 古絵図の碑が建っていて、旧東海道沿いの様子が分かります。近くに和中散本舗などもあり、よく賑わっていたことが想像できます。
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画像21 道沿いのあちこちには、塗師・塩屋・醤油・旅籠などの看板や碑があり、自動車に注意しながら昔を偲び歩きます。
画像22 「肩かえの松」です。かつては、ここで荷物の引き渡し(交代)をした場所だそうです。
画像23 景観重要樹木の第一号に指定されていますが、随分と年月が経っているので枯れる心配もあり、後ろのほうに二代目を養生中だそうです。
画像24 稲荷神社にも立ち寄ります。
画像25 SLが保存されているので、案内していただきます。地元のグループによって、綺麗に保存されています。
画像26 昼食時間も10分、ほとんど休憩なしで歩いて4時間半ほど・・・、終点の手原駅に戻ってきます。今日は風がある寒い日なので、できるだけ休憩なしの行動でした。さすがに旧東海道沿線です。歴史的資源が満載で地域の人達の保全努力もうかがえ、満足の一日でした。JRの電車で帰路につきますが、帰ってみれば20,600歩、今日もよく歩きましたが、寒い一日でした。

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