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真面目系クズが浪人生活を送った結果...(一浪目)

皆さん、こんばんは。
どん底まるおです。

今日は早速前回の続きを書きていきたいと思います。
(前回の記事を読んでない方は、よければこちらを読んでいただけたらと思います)


初めて予備校に行く

通う事になった予備校は、朝の8時30分から遅い時には19時頃まで講義がある予備校でした。

前回も書きましたが、僕自身、東京海洋大学を目指しており、センター試験では5教科7科目を受けなければなりません。

そのため、大体17時頃まで講義がびっしりと入っていて、週に1回ほど19時まで講義を受けるという感じでした。

友達も皆、国公立大学を目指していたので、同じようなスケジュールでした。


国・数・英の3教科は殆どの人達が受けるので、いつも教室は40人以上はいました。

そして、10年以上経った今でも印象に残っているのは、国語の講義でした。


今でも印象に残っている国語の講義

その時のセンター試験の国語は現代文・古文・漢文に分かれていました。(今でもかな?)

そして、僕は国語が苦手でセンター試験本番では200点中70点と驚愕の点数を取っていました…汗

…というか、全部の科目が5割をきっていたので、全教科苦手でした苦笑


そして、国語の講師が、僕が苦手なタイプでぐいぐいくるタイプでした…汗
顔が鶴瓶さんに似ていましたが、性格も今思うと少し似てる部分があったなーと思っています。
なので、次からはこの国語講師の事を鶴瓶と書かせていただきます笑

鶴瓶の講義は主にセンター試験の模試の一部を解いた後、答え合わせと解説となっていたのですが、答えを必ず生徒達に聞いていました。

そして、中々答えられなかったり、間違えた答えを言った生徒は鶴瓶に机の前まで近づかれ、「本当にそうなのか〜!?(圧)」とか「よ〜く考えてみろよ〜(満面の笑み)」と中々のプレッシャーを与えられました汗

それだけでも嫌になる人はいると思いますが、男の場合はさらに後ろから軽く背中叩かれたり、肩組まれたりもしました…汗

もちろん、僕も出来る方ではなかったので、よくそれをやられてました苦笑

今だったら、結構問題になる事も皆の前で言われたため、正直最初の頃は講義に出るのが嫌で仕方ありませんでした。(将来風俗通いしそうな顔してるね!とか言われたけど…今だったらアウトだろうな汗)


しかし、この講義に我慢して出続ける内に、鶴瓶の良い所も見えてくるようになりました。

まず良い所の1つ目として、解説がとても分かりやすく、感情豊かに説明してくれるので頭に残りやすいと感じました。

国語は、小説・古文・漢文なんかは物語みたいなものが多いので、それらを感情豊かに演技したりしてくれるので、言葉や文章の意味をとても理解しやすかったです。


そして、2つ目の良い所は点数が上がっていたら必ず褒めてくれる所です。

3ヶ月ほど経つと毎週1回ほど腕試しとして、センター模試をちゃんと時間を測り、皆で解いていました。

そして、僕は最初の頃はボロボロでした。
読むのも遅いし、何書いてるのか理解するにも時間がかかりすぎていました。

しかし、半年ほど経った頃から、平均で6〜7割程取れるようになり、現役時代と比べ点数が2倍近く上がりました。
その頃から現代文は速読力や読解力が必要な所があり努力だけでは中々点数が安定しにくい所もあったけど、古文・漢文は勉強した分だけ自分の実力に繋がり安定して8割ほど取れるようになっていました。

そして、テストを返される時に鶴瓶から「よ〜く頑張ってるね!(ニッコリ)」とか「そうそう、その調子で上げていこうな!(ニッコリ)」と褒められるようになりました笑

皆の前で言われるので正直恥ずかしかったけど、やっぱり嬉しかったしやる気にも繋がりました。


他の講師について

他の講師について詳しく書くと、全体で10000字近くなりそうなので、簡潔に書いていきたいと思います。


数学の講師について

数学は、主に塾長が教えていましたが、週2日ぐらいは20代後半の少し変わったお兄ちゃんみたいな人が教えていました。

塾長は少し悪口のようになるのですが…、歳取ったドラえもんみたいな感じの方でした苦笑

40代後半の男性で、体型と話し方がドラえもんに似ていたのですが、声は少し高いけどしゃがれていました…笑

数学を教えてたけど、正直講義内容はあまり覚えてません笑
唯一覚えているのは、塾長がよく弟の事をイジって話をしていた事です苦笑


塾長の弟はとある大学の工学部卒業後、大手の電力会社(沖縄で1番大きい電力会社)に入り、現場監督をしていました。

現場監督は一般的に激務のイメージが強いと思いますが、塾長いわくその電力会社の現場監督はイメージとは真逆で、いつも事務所にこもってクーラー当たりながら雑談ばかりしてると言っていました笑

そのくせ給料一丁前に自分より貰っているとか、ぶくぶく太って贅沢してるとか愚痴みたいな事を毎回言っていました笑

本当かどうかは分からないですが、沖縄では確かにその電力会社に入ったら生涯安泰と昔からよく言われてました。

そのため、よくその話の最後に「みんな、行く所迷ったらここの工学部行った方がいいよ!うちの出来そこないの弟でも入れたし、良い会社にも入社できて稼ぎまくってるからさ!」と言っていました笑


20代後半の少し変わったお兄ちゃんみたいな人は、講義も話もあまり覚えていません…苦笑

覚えているのは、話し方と格好が独特だった事とよく自転車で爽快に予備校に出勤していた事です笑(自分でも思うんだけど、何故授業内容ではなく、どうでもいいような事を10年以上も覚えているんだろう…?と思う事が多々あります苦笑)

話し方は例えが難しいですが、少し抑揚のある感じでした。
そして、格好は「GS美神 極楽大作戦!!」の主人公である横島のような格好をよくしていました。(画像は著作権にかかる可能性があるので知らない方は検索してみてください)

そして、その当時の僕は親に車で予備校まで送ってもらっていて、たまにその人が自転車通勤してたのを横目で見てたのですが、その人は爽快に自転車を漕いでいました笑

めっちゃ綺麗なフォームだったので、もしかしたら競輪とかやっていたかもしれないですが、今思うと結構謎な人でした笑


英語の教師について

英語の教師も2人いて、京都出身の方と福岡出身の方でした。

京都出身の方は、年齢は50代後半の男性で、京都弁で話してたのは覚えています。

僕はその予備校で初めて京都弁聞いたので、なんだか独特で面白い発音だなと思っていました笑

その方は、標準クラスを担当しており、センター試験レベルの問題を主に講義では解かせていましたが、その時の僕には難しくて毎日よく分からないで過ごしていました…汗


福岡出身の方は、年齢は40代後半ぐらいで、確か基礎クラスを担当していたと思います。

毎日講義が終わる前に宿題として100単語ぐらい覚えるよう言われた記憶があります。

そして、講義ではその覚えた単語を使った長文問題が出され、主にその単語を穴埋めしていくものでした。

今思うと、英語のセンター試験3割しか取れてない僕には大事な講義でしたが、その時の僕はその講義をつまらないと感じていて、時々サボったりしてました…汗

結構優しめの講師だったので、サボっても何も言われませんでしたが、今思うともっと真剣に受けとけばよかったと思っています。


他にも日本史・生物・化学の講義を受けていましたが、あまり覚えていないので上記のものだけにしたいと思います。


結局どうなったのか…

上記では主に講師の事について書きましたが、僕はどうだったかというと…正直言い訳ばかりしていたと思います。

最初の頃は、講義が終わった後、友達と残り自習室で一緒に勉強していました。
主に講義の復習をしていたのですが、友達が近くにいるとなんか集中できませんでした汗

そして、家に帰ってから復習するようになるのですが、それも「後でやればいい」と言い訳して段々怠けるようになっていきました。

そのため、1浪目のセンター試験本番は国語が6割ちょっとと、現役より50点ぐらいは上がったぐらいで他は現役と殆ど変わらず悲惨な結果になりました汗

友達はと言うと、無事第一志望の大学に受かった人や第一志望より少しレベルが落ちた大学に行く人もいましたが、皆、何気にやり切った感があり嬉しそうでした。

僕だけ悲惨な結果だったので、落ちこんだようなふるまいをしてましたが、正直内心は違いました…汗

僕は、この時心の中で「ようやく1人になれたから次は集中して勉強できる!邪魔な友達がいない方が自分は本領発揮できるはずだ!」と本気で思ってました…汗

この考えが僕の人生が狂わすきっかけになるとは、この時の僕には想像もつかず2浪目へと入るのでした…。


つづく


今だから思う事

この時の僕は国公立大学に入らないと負け組みたいな考えが強く、本当に頭が固かったと思います。

専門学校や行ける大学に行くという手もあったはずですが、「あんな底辺な所いっても意味ない」と本気で思ってました…呆れ

もし、この時の僕と似たような考えを持っている方がいたら、そのような考えは今すぐやめた方がいいと忠告しておきます。

僕はこのように無駄なプライドを持っていたせいで、多浪し結局行きたい大学の学部にいけず就職しやすいという理由で興味がない学部に入った結果、精神病を患い長期間苦しみながらなんとか完治に近い状態まで回復させたものの、20代という人生で1番貴重な時間の多くを無駄に浪費してしまったと後悔しています。

今はもう気にせず日常生活や今後のことについて考えて行動するだけで精一杯ですが、「あの頃もっと広い考えをもっておけば、もう少し自分に自信が持てたりマシな人生送れたのかな…」とたまに後悔する時が正直あります。

でも、失った時間は決して戻す事ができないので、せめて読者の方には僕のような過ちをおかさないでほしいです。

少し長くなりましたが、今回はここまでにしたいと思います。

次回は2浪目について書いていこうと思いますので、良かったらまた見にきて下さいね!

では、みなさんさようなら〜⭐️





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