見出し画像

真面目系クズが浪人生活を送った結果...(四浪目)

皆さん、こんばんは。どん底まるおです。

今回でついに、僕の底辺人生の始まりである浪人編が最終回となります。
もし三浪目をまだ見てない方はこちらを読んでいただけたらと思います。

では、早速前回の続きを書いていきたいと思います。



2013年4月

僕は、長い浪人生活を経て精神的に限界を超えていたかと思います。

「結果はどうあれ今年で浪人生活を終わりにしよう...。これ以上やったら、社会的にも人間的にも終わる気がする...。」と強く感じていた。

この時の僕は、「孤独感」の限界も突破して、なんだか逆に冷静に判断できるようになっていたのである。

恐らくですが、悟りを開いた状態に近かったのかもしれないと今になって思います笑

そのためか...、なんとここに来て科目を変える決断をするのであった。

科目を変えたのは、「化学」と「日本史」であった。

変えた理由は、長い時間をかけても点数があまり上がらず、かといってやらない期間が空くと点数が下がっていたからであった。

そして、代わりに「地学」と「現代社会」を選ぶことにした。

理由として、「地学」は範囲が狭く暗記が多いためすぐに点数があがるだろうと思い、「現代社会」は教科書の他に、新聞やニュースを少し読んどけば8割ぐらいは余裕と聞いたからであった。

また、主要三科目である「国語」、「英語」、「数学」にもさらに力を入れることにした。

「国語」は一浪目と変わらず、予備校のテキストの復習もやっていたが、過去問をどんどん解いて実践的問題を中心にやることにした。

「英語」は予備校の先生のアドバイスを受け、英検準2級の問題を中心に解いていき、採点が終わったら文型を書き込み何度も復唱し英文を理解するようにした。また、週1回予備校で行われるセンター試験対策にも現役生に混じり参加し、過去問を解いては復習していった。

「数学」も今まで「根暗そう」という理由で避けていた元東京理科大の先生に分からないところがあれば聞きに行ってみた。
すると意外な事に(失礼すぎる苦笑)分かりやすく説明してくれるし、問題の本質なども話してくれて苦手だった数学もすぐに6割を超えるようになっていた。
塾長に聞いたら1時間聞いても分からない問題も、この人に聞いたら20分ほどでスッキリ理解できた時は感動しました!笑

こうして、勉強方法を変えたり、教え方の上手い先生のアドバイスを聞いたりしたが、これは後々書くセンター試験の結果につながるのであった。


ある問題

上手くいっている試験勉強とは裏腹に僕はある問題を抱えていました。
それは、四浪目に入る前から考えていた事だが、「自分が志望している某国立大学水産学部を卒業しても就職先はあるのか?」という事だ。

もし入学して順調に卒業しても、その時の年齢が26歳なのである。

「研究職なんて絶望的だし、下手したら就職先は漁師しかないんじゃないか...?」と考えていたのである。

そして、親と何度も相談した所、「看護学部」という道を提案されたのだった。

一応、僕は生物が得意で人体のしくみについての本などもよく読んでいた。

高校生の時に身長が低いのがコンプレックスで、それを解決するために「身長が伸びる習慣」が書かれた本を買ったのがきっかけで人体の仕組みについて興味を持ち時々、書店や図書館でそういう関係の本を読むようになったのだ。

まぁ、身長はと言うと、結局殆ど伸びず低いままなんですけどね...苦笑

その事は置いといて、看護師という職業にはあまり興味はありませんでしたが、当時(2013年)は、男の看護師も増えているという事をテレビ番組で見た覚えがあり少し気にはなっていました。

そのため、10月ごろまで進路を考えてたのですが、給料や就職面を考えると看護師の方がメリットが多そうだという結論に至りました。
また、年齢にも寛容的だと感じたため、僕は最終的に地元の大学の看護学部を志望するのでした。

そして、これがまた人生の選択の失敗だと言う事を当時の僕は分かりませんでした…。


センター試験本番

こうして、あっという間にセンター試験本番を迎えた

僕は、その日なんだか清々しい気分だった。

なぜかというと、今年で結果がどうなろうともようやく浪人生活が終わるからだ。

長いようで、◯ぬほど長かったこの生活が終わるのを僕は待ち侘びていた。(自分で選んだ道ですけどね...汗)

なので、気持ちは「とりあえず全力でやろう。それで、駄目だったらそれが運命だと思って受け入れよう。」といかつてないほど気持ちは冷静であった。

そして、センター試験が始まると、いつも以上に冷静だったためか、過去最高に解けた気がしていた。

昼休み休憩なんて、試験会場である大学校内を散歩する余裕すら見せていた。

そして、センター試験を終えた後は「よし、全部やり遂げた!後はどうな結果になろうと悔いはない。」という気持ちであった。


センター試験の自己解答の結果…

センター試験の自己回答したところ、7割近く取れていた。

これは、今までのセンター模試や試験を合わせても最高得点であった。(これだけ浪人してレベルの低い得点の話して申し訳ありません...苦笑)

僕が目指していた看護学部は6割ちょっとのボーダーだったので、「まぁ、これだったら問題なく受かるな。」とほっとした。

そして、後は二次試験の面接対策するだけであった。

面接はセンター試験と比べ、極めて配点が低かったが、僕は週に3回ほどは予備校に通い、面接対策をした。

それ以外の時間は、何をしていたかというと、看護師の仕事内容等が書かれた本を購入し読んでいた。

それだけこの当時の僕は、看護師になろうという気持ちは強かったのだ。

そして、あっという間に面接試験となりました。

僕は、予備校で対策をしていたので難なく合格できた。

そして、親も大いに喜び親戚にも伝わり、お祝い金を貰ったりもしました。
僕も「これから立派な看護師になれるよう頑張ろう!」という気持ちでいっぱいであった。

こうして、僕の大学生活がいよいよ始まるのだが、僕を待ち受けていたのは予想だにしない未来であった…。

つづく


今思う事

浪人編は全部で4記事なので、そこに僕の4年分の人生が詰まっていると考えたら「なんだかなぁー...」と思ってしまいます笑

どう考えても充実した4年間ではなかったし、もしタイムマシンがあったら、1浪目の自分に戻ってやり直したいと思っています。

そして、無駄なプライドや考えなどを捨て、行ける大学や専門学校に行き、普通の学生生活を送り、普通に就職したほうが良かったのかもと思うことも何度もありました。

でも、タイムマシンなんてものはあるわけがなく過去にはもう戻れないと分かってるので、「今、このブログが書けるのはあのどん底人生があったからだ」とポジティブに考えてこのブログを書いています。

また、現在は過去に囚われず自分なりに努力をしていけば、きっと人生それなりに良い方向に行くと思っています。

僕の場合は、精神病を患ってからは本当に将来の希望が見えず、「もう◯のうかな…」と思った事は1000回以上超えてると思います。

その精神病になった時にこの浪人した事を思い出して深い後悔をしたりして、症状が悪化したことが何回もあり、自殺したい気持ちを抑えるのに必死で日常生活さえまともに出来なかった時も多々ありました。

長い年月をかけて、なんとかほぼ回復状態まで持っていって分かったのですが、自己嫌悪に陥って病気になるほどの後悔をして苦しむ必要はないと思います。

皆、誰しも大なり小なり後悔した事はあると思いますが、結局過去はどんなに後悔して反省したって、どう頑張ったって変えられないのです。

でも、現在の努力次第で未来は変える事ができるので、その過ちを教訓として忘れずに胸に刻み未来を見据えて努力すればいいのです。

もちろん、中々上手くかない事もあると思います。

それでもめげずに自分を信じ続ければ、きっと良い未来につながると思います。

断言は出来ないけど、全く努力しないよりははるかに良い結果にはなる可能性は高いと思います。


なんか良い事言った感を出してますが、僕はまだ殆ど何も成し遂げられてません…汗

でも、精神病をほぼ完治した後、どん底の人生から抜け出すために工場派遣に行ってとりあえず貯金をしたり、訓練校で中々馴染めず逃げ出したいと何度も思ったがなんとか修了できたので、それなりの苦労や努力はしてきたつもりです。

今は色々経験したおかげで、自分の視野も広がり将来的に自分がしたい事も見えてきて、それに対する目標に向けて行動出来ているんじゃないかと感じています。

その事を書くとかなり長くなるので、また後々書きたいと思っています。

少し長くなりましたが今回はここまでにしたいと思います。

次回は浪人生活で会った変わった人たちや僕は勉強以外にどんな事をしてたのかについて書こうと思います!

では、皆さんさようなら〜👋

いいなと思ったら応援しよう!