ラナ家直系の貴婦人の来訪
ーー吾輩は犬の原種ポカラであるー(小説)
「草月流生け花のデモンストレーション」と
「宮廷内の大虐殺事件」の話―― (その1)
記
2024.9.13 石河 正夫
1.草月流生け花のデモンストレーション
カトマンズ盆地にても、秋の気配を感じる頃、午前10時ごろ守衛が門の扉を開く音がしたと思うと、屋敷内の庭園を見ながらゆっくり歩いてくるご婦人に気が付いた。華やかなサリーを着ている。
近づくにつれ、大柄で目鼻立ちがはっきりしており、金製の首飾りを3重か4重にしているのが目につく。肌色は白いがどうもインド系の貴婦人らしい。
人間は人種の如何を問わず、犬が好きなグループと嫌いなグループに大別される。
どちらのグループに属するかについては、犬側からは瞬時に見分けられる。このご婦人は犬が好きらしくニコニコしながら、花壇の花を眺めながらゆっくりと玄関のほうへ近づいてくる。
女主人も気が付いてタイミングよく玄関先に出た。
「ナマステ!マダム・シャハ!先日はパーティーに招いて頂き有難うございました。歩いてこられる近所でしたらもっと早く知り合えばよかったと思いましたよ。」
「ほんとにそうですね。この辺りはラナ家の血を引く屋敷が多いような気がします。」とマダムイシコ
「ラナ家は日本では徳川家にも匹敵する家柄ですから、昔はこの辺りはナラ家の所有だったのかもしれませんね。
本日は我が家で有益な話の続きをお伺いしたく楽しみにしておりました。どうぞこちらへ。」と挨拶して、マダム・イシコがサロンの奥のソファーに導いた。
吾輩は外に出されるのか、または1階のリビングにいてもいいのかなとマゴマゴしていたら、
客人が
「私の家でもラサ・アプソを飼っています。賢い犬で、客と分かれば静かにしており、家族同様に扱っております。カトマンズでは今涼しいシーズンですから」
と言ってくれた。
女主人は
「犬が好きな趣味も同じですね。」
と応じながら、サロンのコーナーに吾輩用のラグを敷いてくれた。
「マダム・イシコは先日「カトマンズ婦人の会」にて草月流の幹部の来訪の機会に生け花のデモンストレーションをしていただき、イケ花の基本が分かりました。有難うございました。多くの出席者の方々からこのようなデモンストレーションは初めてで、とってもよかったと感嘆の声が聞かれました。
(
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生け花デモステレーションの写真)生け花の基本を講義するマダム・イシコ
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ネパールの生け花同好会の会員たちが聴衆として参加
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師範の資格を持つマダム・イシコが英語で生け花の基本を分かり易く説明。
スイーツは既にテーブルに置かれており、コックが大きなお盆にコーヒーセットをテーブルにセットした。
「コーヒーがお好きな点は私も同じでコーヒーを用意しました。スイーツは日本製のもので羊羹とタルトです。ご賞味下さいね。」
「このタルトは珍しいですね。四国の松山市の道後温泉の絵が貼られていますよ。」
「最近、愛媛大学の地理地質学の先生が来訪した際、土産に持参してくれたものです。」
インテリ風の貴婦人は話題の続きに戻って、
「ところで、先日は、関ヶ原の戦いが収まって、1603年以後、平和裏に2百数10年も江戸時代が続いたと聞きましたが、天皇と徳川家が併存して大きなトラブルも無かったのは不思議ですね。
ネパールも1846年から1951年まで武士階級のラナ家一族がラナ時代を築きました。その点、江戸時代の徳川家と比較できますね。」
と言った。
女主人は何か歴史を思い出すかのように、じっと窓の外の木を見つめながら質問した。
「そのラナ家は政権を確立する前に大きな武力衝突はなかったのでしょうか?また、
ラナ政権が続く期間に王宮とラナ家との確執は無かったのでしょうか?」貴婦人はテーブルナプキンで口元を拭いながら、こう答えた。
「多くの外国人は、ネパール人は人が良く、喧嘩する姿もあまり見られないと平和な雰囲気との印象を持っているようですが、
歴史的事実を知ると、ネパールにおける権謀術数と混乱は凄かったようです。」とラナ家の貴婦人が答えた。
女主人は身を乗り出すようにして、
「大きな事件としてどのような事が起きたのでしょうか?」と聞く。
2.宮廷内の大虐殺事件
「1846年9月に起きたコート(王宮内)の大虐殺事件が有名です。
コートとは祝祭日にヤギなどを犠牲に神に捧げる場所のことです。ククリ刀で先ず喉を切られた家畜は血しぶきをあげて倒れる様子を見たことがある。最初見た時は驚きました。
でも、ユダヤ教でもこれに似た行事が行われている。
家畜の屠殺は屋外でなされることが多いが、その後の儀式は屋内でなされることが多い。大きな屋敷では集会もできるホールが使用される。王宮内では重要な会議が開催される場所でもある。
さて、1845年はネパールの王宮内では国内の財政難に絡んで、権力争いで混乱を極めていた。
王妃の野心がこれに拍車をかけていた頃、人心一新のため新政権樹立の動きが高まり、その首相の候補として、王妃の信任が厚い(王妃の愛人ともいわれる)ガガン・シンが有望となった。」と貴婦人が答えた。
「ネパールの歴史では、王妃が政治的影響力を行使することがあるのですね。」と
女主人が相槌を打つ。
そうなんです。ところが、そのガガン・シンが1846年9月何者かに暗殺された。
一番怒ったのは王妃でした。
王妃は直ちに王宮内の主な重臣たちをコートに集めて犯人捜しの尋問を開始した。
その尋問がスムーズに進行せず、議場に混乱の怒号が反響した絶妙のタイミングに、王宮を警備する司令官、ジャンガ・バハヅール・クンワールがその実弟と少数の部下を引き連れて会議場に乗り込んだ。
素早い動きで、主な重臣達を虐殺してしまった。
こんな早業は緻密な計画と演習なくしては不可能ではないかと思います。
これがコートの大虐殺事件と呼ばれるが、現場の証人も殺されているので真相は明らかでない。
しかしながら誰が大きな利益を得たか。その後の動きをフォローすれば明らかとなるのではないでしょうか。」とラナ家のご婦人が答えた。
「日本の歴史においても徳川家による江戸時代が1600年から1868年まで続き、形式的には天皇がトップに立ちながらも実際には徳川家が支配してきました。」
と女主人がのべると、ラナ家の夫人も「ネパールも王様がトップに立ちナラ家が支えるといった構図は日パ両国に似通ったところがあり面白いですね」と相槌を打った。
(次号に続く)