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自然的記号と自然的情報と志向的記号、そして生き物にとって利用しやすい情報

【キーワード】
・自然的記号
・自然的情報
・志向的記号


う~ん、なんか今回のタイトルはよくわからんゾ。

安心してください。解説していきます。

たとえば、黒い雲を見かけますよね。すると、「雨が降る」とか「日光が遮られる」「もうすぐ地面が濡れる」などといった情報がその黒い雲によって伝わるわけです。

で、その情報のうち一部を生物は利用して「傘をささなきゃ」といった信念をつくるわけです。

このとき、

黒い雲→【自然的記号
「雨が降る」とか「日光が遮られる」「もうすぐ地面が濡れる」などといった情報→【自然的情報
「傘をささなきゃ」といった信念→【志向的記号

と呼びます。
志向的記号は表象の一種であり、間違い可能性があります。

信念は心から生じ、心は志向性を持っているからです。

これについては、以前のnoteに書きました。

また、志向的記号は、自然的情報の一部を利用して生き物によって形成されます。


さて、自然的記号と志向的記号。これらは別個です。

自然的記号は、なにかの「ために」あるものではなく、自然発生的です。それに対して、志向的記号は生き物内部で形成され、それゆえ生き物の「ために」あるのです。


ところで、哲学者ドレツキの言う自然的情報の定義は、生き物にとって利用しずらいものになっています。

その定義についてはゆれがあるものの、

①条件付き確率が1で伝わるもの
②自然法則によって伝わるもの

と考えられています。

定義が2つあるというわけではなく、ドレツキの定義がこの2つのうちどれを指しているのかハッキリしていない、ということです。


もう少し詳しくのべると、ドレツキとしては「条件付き確率が1で伝わるもの」として自然的情報を定義しているわけですが、これが文字通り統計的な確率が1で伝わるものと考えているのか、それとも自然法則が成り立っているから結果として条件付き確率1で伝わるものと考えているのか。よくわからないのです。

ただ、いずれにせよ、ドレツキの定義では生き物にとっての自然的記号と自然的情報の関係として使えるとは言い難いのです。

それを説明します。

まずドレツキが、自然法則によって自然的記号から自然的情報が伝わると定義していたとします。

すると、自然的記号が自然的情報を伝えることは普遍的であり、一般的であり、必然的である、ということになります。それらの意味は、自然法則と同じ意味合いを持つからです。

つまり、自然的記号が自然的情報を伝えることに個別性はない、ということになります。

個別性に関する自然法則というのは、「個別性」と「自然法則(普遍的・一般的・必然的)」で意味が矛盾しているからです。

これは何を意味するのか。

「サトシくん」や「オイラルくん」、「テリーちゃん」といった個別的な名前がつけられている人をすべて「人間」という一般的でしか表象できないことになってしまいます。

そんなことはないはずです。

その証拠に、あなたは、母や父は別人であると分かるでしょう。


また、記号とそれを表すもの(情報の内容)の間に一般法則がなりたたなければいけない、というのは強すぎる条件です。

たとえば、地球上のA地点では、夜にキリが出たら翌朝は雨になる、ということが成り立つとしましょう。

ここで、地球上のA地点に住む生き物にとって、B地点やC地点、なんなら火星や違う惑星系でもその気象条件がなりたたなければいけない、つまり普遍法則でないと不都合かと言われると、そうではないわけです。

生きていくうえでは、A地点での環境について分かればいいわけですから。

A地点でなりたっていることがわかっていれば、生きていくのには十分有効なわけです。


これは、なにを意味するのか。

そう、生物にとって、その生物が住む局地的な情報が分かればいいのです。

また、先ほど、ドレツキの自然的情報の定義の前提が

①条件付き確率が1で伝わる
②自然法則によって伝わる

のどちらがあいまいだと言いました。そして今さっきまで、②の普遍法則が強すぎて、局地的でなり立てればよいと言いました。

これは、①をも否定します。

生き物にとっては、確率1で(つまり絶対)情報が伝わらなければいけないという考えは強すぎる。記号と情報の内容の間になんらかの関係性(つながり)が見いだせればよいのです。

たとえば、ウサギが足跡をみたとき、「この近くにキツネが絶対にいる!」では考えが強すぎです。「この近くにきつねがいるかもしれない」と可能性が分かっていればそれで考えるに十分あたいします。

また、帰宅して玄関に娘の手袋が落ちているとしたとき、「あ、娘が帰ってるんだな」と考えるのは

手袋はめる娘
玄関に手袋落ちてるー娘の帰宅

という記号と情報の内容の「つながり」を見出しているから情報が取得できるのであり、確率1で情報が流れている、というのは生き物の生活においては強すぎます。

ただし、補足として、「つながり」が完全に偶然でも困ります。情報が流れるには理由・原因が必要です。

たとえば、キツネがいたことと、キツネがいたところに足あとができることには因果関係があります。よって、足跡を見てウサギが「キツネがいたんだな」と判断できるのです。

キツネがいて「偶然に」足あとができるとなると、足あとが伝える情報がハッキリしません。これでは、生き物が利用する情報の定義としては弱すぎます。

参考文献

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