他者との比較―自己の衝突―について
なぜ生きるのが難しいのか分かった気がする。
結局、概念を「信じる力」で幸か不幸か決まるので、周りから間違っていると言われても自分が信じきっていれば幸せ。
だが、人間とは社会性ある生命体であり、否応なしに周りの世界―概念―とぶつかる。自分軸がブレる。これ、すなわち不幸。
「他人と比較する」ことは、世界の衝突を自分から招いているので、自分軸―自分の信じる世界―に傷がつき、自己がくずれていく。
さて、ここからが問題で、自己がくずれることからの再起を楽しめる人もいれば、そのまま空中分解する人もいる。どちら側の人間であるのか、知らなければならない。
「不幸になりたくないから、他人と関わりたくない!」
それでよろしい。
ただし、いったん軸をぶらして新たな自己を再生することにより、より進化した自己に出会うこともあり、それが結果的にいいこともある。
もちろん、墜落し、元通りになるまで時間がかかるという、マイナスなことにもなり得る。
あえて不幸になりに行くのもどうかしているので、やはり最初から逃げておくのがいいのか。
いやいや、新たな自己に出会うため、あえてぶつかりに行くのか。
これは、程度による。自分の性質を読みとって、どちらがいいのか考える必要がある。
ぼくはクヨクヨするタイプであり、自己を立て直すのに時間がとてもとてもかかるタイプであるため、最初から逃げておく。
だが、それでは新たな自己と出会えず、面白みにかけるので、たまーにぶつかりに行く。
さじ加減大事です。
精神―自己―を守るのがまず、生活するうえで、そして任務を遂行するうえで、大切です。