#3 アルバイトで発見した新たな自分
「あんた、このアルバイトなら安定して時給も良いんじゃないの?」
なんとなく大学生活を過ごしていた大学3年の頃、見かねた母親が教えてくれたのが新聞で見付けたらしい学生アルバイトの募集。
確かに時給も良さそうだし、福利厚生もあるようだし、
それに新聞社の編集局って面白そうだなと漠然と面接を受けたものの、
なぜだか採用。
社会部に配属になり学生ながらさまざまな勉強を経験をすることになるのです。
とにかく勉強が死ぬほど嫌いだったのですが、
どうやら本心はその逆で、「本来の僕は勉強は好き」なようです。
目的のわからない、ただ詰め込まされるだけの学校の勉強がキライなだけで、興味のある分野の勉強はむしろ積極的に勉強する自分がいたのでした。
新聞社の仕事はとにかく文字との戦い。
なのに僕はとにかく勉強がキライで、中でも特に成績が酷かったのが「国語」
例えば数学って
1+1=2であって他の答えはあり得ない。
答えは一つ。
だけど国語って解答がぼんやりしてることが多いし、そもそも問題を読むことすら苦痛で全くわけわからなかったんです。
余談ですが、現役の時になぜだかセンター試験を受けたのですが、200点満点の現代国語は38点でした 笑
マークシートだったので適当な回答を含めて38点ですから、100点満点なら19点以下なわけで、
それはもう目も当てられないくらい酷い状況。
そんな僕が編集部でのアルバイトの3年間、毎日毎日朝刊夕刊を読んでスクラップ作業をしたり電話応対をする仕事をしたのです。
気象協会から流れてくる天気概況から文章をピックアップして適切な文字数に書き直すということもしていました。
この天気概況を読者の方が頼りにされてると思うと、責任感も出て、気合が入ったものです。
ちょうどこの新聞社入社1年目に阪神大震災が起きました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/阪神・淡路大震災
毎朝各支局から送られてくるFAXが神戸市局からは送られて来ず、督促の電話をしても電話が繋がらない。
まだこの時はこんな巨大地震が発生してるとはみんな気が付かず、
しばらくしてテレビでその惨状を見た時の衝撃は今でも忘れられません。
その年の7月に勃発したのが地下鉄サリン事件。
そしてオウム真理教の大騒動が勃発。
村井秀夫氏の刺殺、幹部の逮捕、そして麻原彰晃の逮捕。
とにかく変化のある毎日。
同じことが二度と起こらないのが新聞社の特徴でもありました。
そして微力ながら紙面作りに貢献しているという点もやり甲斐として大きかった記憶があります。
お手柄エピソード①
誌面の大幅改革の会議の時にたまたま部長から「アルバイトの立場から何か提案はないかね?」と言われ、
入社以前の普通の読者の時から思っていたことを伝えたら即採用。
それは「南東の風」「晴れ時々曇り」など文字で書かれていた天気予報を全て「☀︎」
「↗︎」などの絵文字にするというもの。
単純な話のようですが、当時は絵文字ではなく「文字」が新聞のスタイルだったようです。
メールやLINEが生活の一部になった今日では絵文字は当然なのですが、ある意味先駆けだったかもしれませんね。
もちろんケータイではなくまだ数字だけが送信可能なポケベルの時代でしたから 笑
このスタイルは今では当然の主流となってます。
お手柄エピソード②
まだインターネットが一般に普及していない時代だったので、読者からの新聞社への問い合わせは「電話」
しかし問い合わせや通報などはなぜだか社会部にかかってくるので、一旦は僕が電話を取り、対応可能な場合は全部処理するということもやっていました。
そんなある日、オープンしたばかりのキャナルシティ博多で子供さんが大怪我をしたというお父さんからの電話。
詳しく聞くと、キャナルシティ博多に置いてある花壇の縁が尖っており、
ごった返した人に押されて転んだ子どもさんがこの縁に額をぶつけてしまい大出血の大怪我になったのだとか。
この話を記者さんに伝えたところ、早速記事になり、
後日キャナルシティ博多さんは全ての花壇の尖った部分にゴムを巻いて対策をしてくださいました。
あれから25年以上経ちますが、今でもしっかりその対策はしてあります。
キャナルシティ博多に足を運ばれる機会があったらぜひ花壇を見てみてください。
お手柄エピソード③
1996年6月13日。
福岡空港でガルーダ航空が離陸に失敗。
3名の方が亡くなるという痛ましい事故が起きました。
消防無線がちょうど僕の机の前に置いてあり、いち早く緊急事態に気付いた僕はたまたま福岡空港方面に出かけていた記者の方がいたことを思い出し、緊急でポケベルを鳴らして状況を伝えて現場に急行してもらい、新聞各社の中で唯一、事故の生々しい写真が夕刊の掲載に間に合ったということもありました。
他社は全て翌日の朝刊に写真が掲載。
ライバル他者を出し抜くのは新聞社としては大きな勲章だったようです。
記事になる前の誤字脱字の校閲もやってたのでどの記者がどの記事を書いたのかなどを全て記憶で把握しているし、一連の新聞製造工程を見てると妙に興味が出て、あんなに国語が嫌いだった僕でも朝刊夕刊を積極的に読むようになりました。
ちなみに学生時代に一面の下にあるコラム欄を読んで感想を書くという宿題がありましたが、これまた苦痛で苦痛で何を読んだのか何を書いたのか全く覚えてません。
社説なんて長すぎて論外。
興味あるかないかでこうも違うんですね。
そんな毎日を送っていたので友人とは会話が全く噛み合わず、
TVの話やドラマの話には全く付いて行けず。
午前0時くらいに朝刊の締め切りが終わると記者の方と屋台に繰り出し、
「今回の裁判の判決どう思うよ?」
なんて記者さんたちと裁判の話で盛り上がるような大学生でした。
ちょうど贈収賄事件が起きた時に県警記者クラブの記者さんから、
「贈賄罪と収賄罪の違い」を教えてもらったこともはっきりと覚えています。
やはり法律にはなにかと関心があったのでしょうね。
ほかにも現在進行形で展開されている裁判の話や、警視庁記者クラブの記者さんの話は常に興味津々。
時事ネタ、地域の話題、選挙、共同通信社の社会情勢ネタ、スポーツ、経済、
話題豊富な新聞社の中でやはり最も興味を示したのが「法律」だった気がします。
これまた余談ですが、
バイト生活3年目のセンター試験、
新聞に全問題が掲載されるので前回38点だった現代国語を解いてみたのですが、漢字1問間違っただけの198点を記録!
繰り返し新聞を読むことそして面白いと思えたことで得た文章の読解能力、そして作文能力。
ほんと、楽しいと思えることをどんどん吸収していく凄さを実感した出来事でした。
もっと早く勉強していればよかった。
しかしこのような貴重な経験をするきっかけを作ってくれた母親に感謝です。
そんなある日、事件が起こるのです。
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第1話 プロローグ(序章)
第2話 勉強が大嫌いな少年期
第5話 大手ネットワークビジネスの会社 ニュースキン登場
第6話 今度は最大手のアムウェイ登場
第7話 業界で急成長中のneways登場
第8話 neways行政処分の衝撃
第9話 保険の外交員になり、金融商品取引法を学ぶ
第10話 月利3%のFXの会社に転職
第11話 なんと詐欺師の会社だった
第12話 大元の会社に助けてもらう
第13話 ここも詐欺師の会社だった
第14話 危機一髪 被害者を救い出す
第15話 警視庁24時(TV番組)に当事者が登場
第16話 山田、スポーツブックアービトラージに挑戦
第17話 次は香港で海外投資?
第18話 偽装通貨で大損した人続出
第19話 勉強するしかない
第20話 これから副業を始めようという方へ
第21話 何をしているのかわからない息子
第22話 両親から託された夢の実現へ