老舗旅館の若女将という私の使命と可能性♡VOL.6
私は他の人からみたら"誰"でありたいのか
若女将ではなく"清水雅美"だ
前回まで、若女将になってから地域の活動に視野を広げていくまでの過程で、わたしは一つだけ葛藤…というか、奢っていたことがありました。
それは、
私は清水屋旅館の若女将という肩書で見られてるわけではない
ということ。
そして、義父が私が旅館に嫁いだ時は市議会議員でした。
いろんなプレッシャーもありながら、清水屋旅館の若女将であり市議会議員の長男の嫁です。評判が悪くならないように気を付けなければいけないという反面、旅館に嫁ぐ人にふさわしいかを見られているようで、わたしはもっと頑張れる人だと言いたかったところもあります。
だから、どんな場に行っても旅館の人としてではなく清水雅美として参加したかったので、はじめの頃は自己紹介では旅館にいることを話してなかったです。
結婚してから5年経ち、今では応援してくださる方もいたり、旅館の一人として中小企業の審議会に出させていただくこともあります。私の事が雑誌や新聞にのったり、ニュースに取り上げていただくことで、清水屋旅館の人だと結びつく方もいました。
今では、私を応援してくれる旅館の家族の支えがあるからこそ頑張れているので、敢えて旅館の人だと言わない状況もありますが、旅館の嫁だということを隠して自分を出していこうという想いはなくなりました。
私は、誰かのチャレンジのために、旅館をもっと活用してもらえるような気持ちでいます。いくつか、初チャレンジのイベントを開催しています。
子育てママを売りにしたくない
もう一つ、ウリにしたくなかったことがあります。
それは「子育てママ」というフレーズです。「子育てママ」というだけで、自分に特別感がでるのも嫌だったし、ママだから気にしてくれているというのも嫌でした。子育てしてなくったって、私でいいじゃんって思うこともありました。
とはいえ、会議の場に連れて行ったりなどしていたので、今思えば「子どもが小さくても頑張ってる感」を出したくなかったのかもしれません。私が頑張っているんだと。そこに子どもがいるだけで評価があがることに、違和感があったのかもしれません。
娘は地域の人と共に育っている
娘がいたから学べたこともあったし、娘がいたから自分の可能性の在り方を見直すことができました。
そして、娘の妊娠期から今の4歳になるまで、たくさんの人に見守られていることも実感しています。4年もすると、本当に様々な積み重ねの中で、娘が歩き、話せるようになり、人とコミュニケーションが取れるようになり、人見知りをするようになり、人見知りを抜けて大人とも一緒に遊ぶようになっています。
他の方からすると、娘の対応の変化も嬉しいと思っていたりして、娘がイヤイヤなってもいつでも優しく声をかけ続けてくれていたことに、本当に感謝します。
私は地域の人と一緒に成長している
いろいろな活動をしていく中で、清水屋旅館も役に立てるようになっていきました。
韮崎市主催のモニターツアーの宿泊場所になったり、ふるさと納税の一部に清水屋旅館を加えて頂けたり、まちゼミに参加してみたり、清水屋旅館を前面に出して楽しんでいます。
嫁だから外に出るなと言う風潮を感じて、鳥かごに入った気持ちになってから5年が過ぎて、なんだか嘘のように晴れ晴れとした気持ちです。
途中は夫と泣きながら喧嘩したり、旅館から完全に出ていきたくなったり、もう離婚だーーーー!!なんてこともあったんですよ。
今は、まったく喧嘩しないわけではないですが、子どもからの純粋な愛を受けながら、穏やか目にすごしていると思います。
私から離れたところからみれば、
最高のことも最悪なこともないんだけど
どうせなら楽しい方がいい。
どうせなら、周りも楽しい気持ちの方がいい。
あなたは今、ワクワクしながら過ごしていますか?