センスは生まれつきでもあり後から出てくるものもある
子供の頃の自由さ
子どもを見ていると、センスあふれた自由な表現を感じます。子どもにイヤイヤ期の中に才能があると言われることもありますが、大人からは見えづらい部分もあります。実際私も4歳の娘がイヤイヤというときは、冷静になろうと思いつつも、そこからセンスを見つけるということが至難の業のときもあります。
卒園して小学校に通うようになると、教科書を前にして机に座って先生が国語とか算数を教えてくれて、受け身の授業が続きます。今は道徳など発言する機会もあると思いますが、発言して終わりということも聴くので、話をしながらアウトプットする経験はあまり積めないのかなと思います。
教わったことのアウトプットの機会はありますが、子どもの意志ではなく、先生の意志にそって回答していき、テストは正解があるもので答えがあってる分だけ大きい数字をもらえるだけです。美術や図画工作は「上手だね」と言われるか言われないか、言われない人は通知表で評価を知ります。
私は裁縫がうまくないと母親に言われたり、版画がすごく上手と友達に言われたり、絵が上手と言われたりしていました。でもそれを自主的にやるよりも、学校での宿題をしたり、テレビゲームや人形遊びをずっとしていました。
好きなことに対する勉強をしたりしないので、芸術のプライオリティがさがっていき、センスを磨くタイミングも少なくなっていきます。好きなように絵を描いたり、好きなように物を作っていた先天性の幼少期のセンスと、知識を身に着けていき社会に役立つ磨かれた後天性のセンスがあると思っています。
センスが知識で磨かれて社会に役立つ人になる
学校の勉強では、美術や図画工作では少し知識を入れることはあっても、ほとんどが実技になると思います。自分自身で考えて作っていくこともセンスが磨かれると思いますが、例えば絵画の背景を知っているかでものの見え方が増えていくこともあります。
絵画の背景などを知る経験を積むことで、他のことでも背景を考えることができるようになると思います。これが目の前の人に対してのセンスとして働いたら素敵ですね。美術の知識を学ぶことが、将来的に活躍していくセンスとして、持っているスキルもセンスアップしていくかもしれません。
技術とセンスは、実は対の言葉だったりもします。マニュアル通りにいけばうまくいくこと、マニュアル以上のことができるのがセンスです。技術がなくても、センスで乗り切れてしまう場合もあります。
新しいことを始められるセンス
新規事業を始めたり、ピンチな時に何かを考え始めたりするときに、斬新な考えを出さなければと思ってしまう方もいます。その斬新な考えはどこからくると思いますか?あなたが忘れている情報から引き出されていくものだと思います。思い浮かぶことは知っていることなのです。
例えば、資格をたくさんもっていてスキルがたくさんある人は、そのたくさんの資格の中に知識があり、そこからアイディアが生まれてくるかもしれません。または、毎日のニュース、好きな本、漫画、テレビなどからも得ている知識があると思います。その真ん中にあるのがセンスだったり、それは斬新なものではなく案外普通のものかもしれないです。
斬新なアイディアを出してヒットさせようと思っても、なかなかうまく行かないこともあります。ヒットさせるためには、ある程度人が知っているものからのアイディアが、「ありそうでなかった」という感じで人気になるかもしれません。
斬新でヒットすることって今までにないことを考えようとしても出てこなくて、どれだけ自分が多角的・多面的に普通のことを知って、いろいろなものの真ん中を知ることが大切です。
センスはどんなタイミングでわかるのか?
センスは、話し合いの場などの中で、みんなの言葉や雰囲気を脳が拾って雰囲気の中に降りてくるのかなと思っています。空気が読めて、最適な案を伝えることができるのもセンスのうちの一つです。
専門家はセンスのかたまりのように見えますが、センスは実技だけではなくて、専門家でも専門の業種の中で不得意はあったりします。なので、専門的な話のときの何人かが集まった時には、その専門の中の更なるセンスで補いながら解決に向かっていくと思います。
わたしが思い出すのは、小室哲哉さんの楽曲はとてもキャッチ―ですごくいいのに、小室さんが歌うと音程が外れていました。その時に、音楽が得意だなと思う人の中で、音楽の中での一部に特化して得意なことがあるってセンスなのかもと思いました。小室さんが人の心に響く歌声を持つ人やダンスで表現する音楽のセンスがある人を見るセンスもあり、斬新にヒットするものができていたのでしょう。
好きなことの背景を知ったり、行動しながら知っていったりすると、どんどんセンスが磨かれていきます。
直感はその時にピッタリな知識が瞬時に出てきている
私はオーラソーマをしているのですが、セッションをしている中でセンス(直感)は知識の上に成り立つのだなと気づいたことがありました。オーラソーマのボトル(写真①)の下層がレモンイエローで上層がロイヤルブルーのものがあります。(古い魂のボトルと呼ばれています。)
イエローは「個」や「知識」などの意味があり、ロイヤルブルーは「高次元」「直感」などという意味があります。下層は潜在意識で、上層が顕在意識になります。直感に見えることでも、そこには直感の中の思考プロセスがあることに気が付きました。
例えば、停滞したときに在り方を見出すセンス、事業を立ち上げる時のセンスなどがあります。この時に、人に市場調査しないことやマニュアル通りではなく価値を創造することが対価になったりします。外側から取り込むのではなく、内側から出していきます。
最近は、某大学のゼミで学生さんが私がいる旅館の改善やファンづくりについてプレゼンするということがありました。この時一人も旅館に問い合わせをする人はいませんでした。すべてWeb情報でSWOT分析が行われました。もちろん発信している情報がファンづくりにはなりますが、私の旅館としてのアイディアは一つもありませんでした。
外側からのアイディアがあっても、自分自身から湧き出たアイディアで、旅館の人はどうなのかなと聞いてみて、そこから本当のセンスが出てくるような気がしたので、そのあたりはフィードバックさせて頂きました。
センスは思い込みではなく背景を知っていくこと
センスがいいから流行るのではないということもあります。見せ方をよくしたところで、何もしていないよりはいいですが、いきなりファンが増えることはありません。iPhoneの例でいうと、iPhoneが出た当時はそれを必要とするイノベーターが購入し、その次に取り入れ始める人が増えてきて、しばらくするとみんなが持ってるから買おうという人が出てきます。
誰でも見たことがある過去に存在する知識があり、新しいものに不安なときは過去を参考にします。新しいものが出てきたらちょっと様子を見て見たり、今はインターネットでなんでも調べられてしまいます。
なので、見た目を整えたり、それがリアルでない時でもいつでも心地よく整えていく、美意識やセンスが価値となっていきます。ピンチの時の処方箋を提示してくれるのは、コンサルタントではなく、コーチかクリエイティブディレクターだと思っています。
新しいものには事例がなく、個人のセンスを磨いていくのがコーチで、企業の業績が危ないときに回復させるのがクリエイティブディレクターだと思っています。また、自分自身で見えていないセンスを大切にしてくれるのもコーチです。
新しい発想は過去から愛されているものへの敬意
新しいことを考える時に、過去から愛されているそのものらしさを大切にして、それをさらに素敵なものにしていくということもセンスです。なので、新しくしようとすることの背景を知る事も大切になります。
そして、提供するであろう相手が知っていることに寄り添いながら、ありそうでなかった予想外のいくつかの組み合わせをもとに、それまで培った他の知識も含めて予測して、一歩さきに行くことで、喜んでもらえるものができてくると思います。
もしダメだったら、もっと欲しい人の背景を想像したり、喜んでもらえるまでのストーリーを考えることも一つかなと思います。ただ、センスには賞味期限があるので、そのときの状況や相手の欲しいものの変化によって更新していくことも必要です。