武蔵小杉と言う街の不運【3/完】
今年は何事もなく台風シーズンを終えましたが、武蔵小杉と言えば2019年の台風19号の一件は避けられない話です。
実際に被害にあわれた方にとってはあまりに不幸な出来事でした。
ただ、武蔵小杉のこれまでを見ると起こるべくして起こったなとどうして思えてしまうわけです。
たまたまが生んだ悲劇
偶然の産物によって再開発計画が変わって規模が大きくなり、偶然の産物によって交通の要衝となり利便性が高まった武蔵小杉は東京に限りになく近いベッドタウンとしての地位を得ました。
年々メディアなどでの注目度が高くなっていくさなか、2019年は一番最悪な注目度の高さだったと思います。
【1】で紹介した記事の再開発を担当したデベロッパーが再開発の将来性を笑顔で語る様子から、こんな未来が来るとは思っていなかったでしょう。
台風19号による武蔵小杉周辺の浸水被害は、日本各地で起こるような河川氾濫による浸水被害に比べれば小さかったと思いますが話題性は十分ありました。
浸水被害が起こった原因としては多摩川が氾濫したわけではなく、多摩川へ雨水を流すための排水ゲートが閉まらず、増水した多摩川の水が逆流し市中に流れ込んだためという事が分かっています。
その中でも浸水した場所がどこなのか、と言うのがポイントで、比較的低地な場所という事でした。
そしてその低地に再開発エリアの一部も含まれていた事でした。
暴れ川
川崎の小学校では、かつての多摩川がクネクネと蛇行した暴れ川でよく氾濫を起こしていたことを習います(今はどうなんだろう…)。
川崎と東京両岸の地名に「沼部」「丸子」「等々力」「野毛」など同じ地名があるのはかつて一つの土地で、多摩川の流れが変わったことで二つに分かれたと言う、ブラタモリ知識も学校で習います。
なので多摩川に近い土地の地図で見ると、ここは川だった場所だなと言うのがなんとなくわかります。
そして武蔵小杉周辺はそういう土地でした。
前回までの記事の内容を振り返ってみます。
・かつて小杉の街は今よりも北にあった
・南武線は今よりも北側に通したかったが諸事情で現在のルートを通した
・現在の武蔵小杉駅周辺はかつては畑が広がり後に工場や企業が集まった
なぜかつては今より北にあり現在の場所は畑から宅地へではなく工場が集まったのか、なぜそもそも当初の再開発の計画は商業エリアだったのかという事を考えると「そこは避けていていたんだな」と言うのがなんとなく見えてきます。
しかし残念ながら当初よりも大規模な開発用地が偶然生まれ、交通の要衝が偶然生まれ、街としての価値を見出されてしまった事によってそういった点が見逃されてしまったのかもしれません。
そしてさらに残念なことに、この件で浸水してしまった土地は今後も同じような事が起こるという事です。
そう言うところに街が作られてしまったのが武蔵小杉と言う街の不運…。
「川」「崎」と言う土地
と、さも武蔵小杉と言う土地が欠陥だらけの様に書いてきましたがそういう
わけではありません。
ここでハザードマップを見てみます。
そもそも川崎市の南部ほぼ全域(北部も多摩川沿いは同じく)は洪水による浸水想定エリアだったりします。
武蔵小杉だけをあげつらうわけではなく、多摩川と矢上川、鶴見川に挟まれた土地は川崎の名の通り河川による水害の危険にさらされているわけです。
同じく2019年の台風19号で鶴見川が氾濫危険水位まで達し、実家が近い事もあり中々肝を冷やしました。
近くの家の屋根の上に乗ったボートを見て川の水はここまで来るんだなと実感したり、自分が通っていた高校が川沿いにあり過去の多摩川の氾濫で浸水した話があったり、現在まで大規模な水害被害は起こってないものの身近な存在といえます。
先日このようなニュースがありました。
市民ミュージアムは等々力競技場などがある等々力緑地にある博物館・美術館を兼ねる施設で、こちらも2019年の台風19号による所蔵品の浸水被害があり現在も臨時休館中で、再開しないまま移転を検討するという事が記事になりました。
等々力緑地もまた、かつて多摩川が流れていた所が緑地へと変わった土地で低地となっている場所です。
川崎とはそういう土地なのです。
もう一つの再開発用地
ここ十数年で急激な開発が行われた武蔵小杉のすぐ近くに、もう一つ再開発が進むエリアがあります。
それは前回にも登場した武蔵小杉から少し南にある新鶴見操車場跡地。
武蔵小杉から3kmほどしかな離れていない場所です。
上の写真は【1】のヘッダーでも使用した2002年に撮影した新鶴見操車場跡地の写真です。
陸橋から武蔵小杉の方を写したもので、当然ながらまだ高層マンション群は存在せず、現在では手前に見える空き地に富士通が入る建物があるため、小杉のビル群をここから見ることは出来ません(よく撮ってたなこんな写真)
右手に見える高層ビルは、80年代に新川崎駅と鹿島田駅の間にある工場跡地が再開発された場所です。
新鶴見操車場が80年代に廃止となり、レールが剥がされた後も東洋一と謳われた広さの操車場の空き地状態がしばらく続きました。
川崎球場がなくなった後この場所に新しく球場を作る噂や、新駅を作る噂などこの土地を活用しようという動きの噂は流れてきましたが、大規模な開発がされることはなく、90年代に入り慶応大学のキャンパスや小学校が作られたり公園の整備がされるなど公共的な物を中心に細々とした用地活用がされるようになりました。
(なお、「噂」は十数年後インターネットの力により事実だったことが判明します。インターネットすごい!)
もう一つの跡地
なかなか空き地の利用が進まない新鶴見操車場跡地。
それと対比して、似たような条件の空き地が見事に開発された例が生まれました。
それは埼玉県三郷市・吉川市にある、武蔵野操車場跡地。
新鶴見操車場よりも広い105haある貨物操車場で、新鶴見と同じく80年代に廃止され長く空き地となっていた場所です。
こちらは2006年から三井不動産によって商業地区、住宅地区と開発が成され、さらに新たに駅が作られ利便性も図られるようになりました。
新鶴見操車場跡地も武蔵小杉の開発の影響なのか開発が進み空き地はあまり見られなくなりましたが、武蔵野操車場跡地の様な計画的な開発ではなく、穴を埋めていくように開発されていきました。
なぜ、新鶴見操車場跡地は大規模な再開発が行われなかったのか…。
・川崎中心部から近すぎる
・横浜から近すぎる
・都心から近すぎる
・開発エリアが駅から微妙に遠い、駅を作るのには既存駅から近すぎる
・周辺が住宅地で埋められていて新しく住宅需要を生み出しにくい
色々な要因が考えられるでしょう。
とりあえず、ここより先に武蔵小杉がゴリ押しのように開発されていきました。
ここが武蔵小杉の様な開発を受け持っておけばまた違った街の形があったのか…今となってはわかりません。
再開発って難しいね、と言うお話でした。
三郷はコストコやIKEAが出来て羨ましいなあ!(本音)