猫の日に改めて考える、自分にとって猫とは
猫の日という事で、自分にとって猫とはなんだという事を改めて考える。
だいぶ前に何かしらの絵本を見た時、表紙を開くとこの一文が書かれていた。
僕が猫を好きな理由が、この一文に集約されている。ような気がする。
猫はかわいい。
しかしかわいいだけじゃなく、
なんと言うか「粋」みたいな物があると思っている。
義理人情みたいな。
一見自由奔放で、そっけないし、気まぐれだけど、言う事聞かない君だけど、、
でもやっぱり、こいつと決めた相手には全てを委ねてくれる。
人間が猫に憧れる理由は、一日中寝ていられるからではなく、誰の指図も受けず自分の本能のままに生きているからだろう。
それと、干支に入ってないところも好きだ。
「勝手にやってろよ」みたいな。ちょっと上から見てる感じがなんかとても好きなのだ。
まさに猫って感じで。
よく人間が猫と遊ぼうと、猫じゃらしをフリフリしたりする。
まったく我関せずで、反応しない猫も好きだし、体が勝手に反応して戯れてる猫も好きだ。
眠そうな猫も、甘えてる猫も、怒った猫もすきだ。
結局どんな猫でも好きなのだ。
嫌なのは、猫の具合が悪い時だけ。
だから獣医さんは偉大なのだ。
結局何が言いたいかと言うと、
「数千年前、ねこは神として崇められていた。
ねこはそのことを決してわすれない。
そして、現代の人間はそんなねこを再び神として崇めている」
のだ。
神よ。
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