Apple Vision Proで見られるイマーシブ映画「沈没へのカウントダウン」がすごすぎて感動
タイトルで全部しゃべってしまった記事なので、あとはもう蛇足になるのかもしれない。とにかくすごい。5年後、10年後にみんなが観たがるイマーシブ映像のベースラインがここにある、ということをここから下に書き連ねていきたい。
内容は、沈没する潜水艦の中を描いた映像作品だ。沈没するというのはタイトルで書かれてあるからネタバレでは無い。沈没するのが潜水艦であることも映画の概要文で書かれてあるのでネタバレでは無い。他の乗組員と一緒にあなたはカメラとなって沈没する潜水艦の中にいる。
映画といっても17分くらいの短編映画だが、時間の尺はちょうど良いと感じた。17分というとえらい具体的な数字だが正確な数字はよくわからない。Vision proのAppleTVのインターフェースで、映像の視聴時間がわかりにくい。どこかに書いてあるかと思ったんだが見つけようと思うと見つけにくい。15分よりは長かったけど20分よりは短かったように思うという意味での17分くらいという表現だ(と思ったら紹介したリンク先に17分と書いてあった、よかった)。
Appleはいきなりすごい答えを出してきたと感じた。Vision Proを買って沈没する潜水艦を体験したいと思わない人がいるだろうか?答えはノーだ。否定文が重なってしまった。つまりみんな沈没する潜水艦の体験がしたいということだ。
Vision Proを買ったときに、最初に3D映画を観たのが「ゼロ・グラビティ」だった。大変感動した。劇場公開時から、3Dで観たかったと思っていたが当時は小さい子供の子育てに追われており赤子を残して劇場に足を運ぶことはかなわずそのままになっていた映画だっただけに、自宅でVision Proの迫力で視聴体験できることにとても価値を感じた。
ちなみに3D映画で「最初に観た」映画と言ったが、今のところゼロ・グラビティが最初で最後だ。他のはまだ観てない。華麗なるギャッツビーはiTunesStore映画だった頃に公開された時点で購入していたから、観ようと思えば観れるのだがいくら購入するほど好きな映画だとしても時間に限りある身としては同じ映画を何度も観るのはよっぽどのことがないとできない。アクアマンも現時点でAppleTVで3D映画としてレンタル・販売されてあるが、主演のジェイソンモモアは大好きだが子供たちと一緒に観たいアクション映画を自分一人でVision Proかぶってまで観ることは無いかなーと思っている。あともしかしたら平面ですでに一回みたかもしれない。ゼロ・グラビティは子供たちはまだ観ても退屈するだろうし自分一人で3Dで体験するにはちょうど良いと思ったので視聴した。
ゼロ・グラビティの3D映画と、沈没へのカウントダウンのイマーシブ映画の違いは、前者が平面のディスプレイに奥行きがあるのに対して後者は180度前後で包まれた空間で奥行きがある映像が流れることだ。それ以上の違いは本質的には無いと言える。だが体験はすごく違ってくる。イマーシブ映画のほうがぐっと中に入り込んだ体験になる。違いを言葉で表すとすれば、視聴体験と没入体験というふうに区別できるだろうか。
3D酔い、VR酔いなどは人によって違うだろうから参考にならないだろうが、私は意外とカメラ移動で酔わなかった。私は3D酔いは全然しないが今までは乗り物酔いとVR酔いはけっこう弱い。VR酔いに関しては今まではカメラが少し動くだけでも気持ち悪く感じたが、沈没へのカウントダウンは不思議とそんなことはなかった。ちなみに妻はカメラ移動で酔ったそうだ。だから人による差が大きいと思う。
Appleの作ったイマーシブ映像の体験の何がすごいかというと、私が感じたのはVision Proを含めて「高解像度を突き詰め(ることによって結果的に画質を向上させ)れば没入感が増す」というひとつの指針を示したことがすごいと感じた。「画質を向上させれば没入感が増す」何を当たり前のことを言っているのだと思うかもしれない。
人間がVRの何で高い没入感を感じるのかはまだ研究段階の途中で、正直なところどうすればいいのかはまだ誰も答えを持っていない。しかしながら「今まではまだ没入感が高まるほどの高画質でないのは事実であるとして、そこから逆算して高画質化すれば没入感も高まるはず」という仮説そのものは自然に至りそうなものだが、だからといって高画質にここまで投資するのは並大抵の志が無くてはできないはずだ。単にAppleがお金を持ってるから出来たと思うかもしれない。お金を持っててもしない人がいる中で、お金を投じてやってのけたことが凄いのだ。何に投じたか、これは信念の問題だ。
筆者がVRコンテンツ作りに関わり始めたのが2017年ごろからで(VRコンテンツ制作者みたいな書き方になってしまったが今は全然作ってない)、この時期を早いとみるか遅いとみるかは人によるかとおもうが、この頃の時期では高まるVRへの期待とともに、思ったよりも体験が低い問題をどう解決するか、現時点の民間機の技術では解決できるのは相当先なのではないかという問題をはらんだまま盛り上がりにくい状況が続いているような状態だった。
人間に限らず五感などを使って現実世界という外部を認識している生物の原始的な目的は、餌を見つける事と餌になる危険を見つける事である。そのために視覚や聴覚だけに頼らずあらゆる感覚を駆使して世界を認識してきた。生物の時代から何万年と続いた外部認識の歴史からみて、我々人間が三食に困らず外敵の危険性もさほど気にしなくて良くなったのはつい数百年ごろからだろうし、たまたま視覚と聴覚のみ遠隔で伝達しやすいメディアが開発されてその娯楽が発達し、享受する側も視覚と聴覚のみに娯楽を頼るようになったのは長い歴史の中のさらについ最近である数十年に過ぎない。
だからほとんどのVRコンテンツ制作者はわかっている。視覚と聴覚だけで訴えても没入感や体験価値が低いことを。わかってはいるが他の感覚を刺激するコストとの天秤で、仕方なしに視覚と聴覚だけで市場が盛り上がってコンテンツが売れるように仕向けるしか今は方法が無い。
だからせめて、視覚と聴覚だけは高い品質で埋めれば、体験や没入の価値が高まるのではないか、という仮説の下で、再生環境や制作環境に投資し続けることはとても勇気のいることだ。
単に画質を上げればいいのかというと、そうではないのかもしれないという意見も2017年頃はあった。例えば人間が現実世界で見ている光のほとんどは反射光だから、ディスプレイが液晶や有機ELなどの発光の場合はどんなに解像度や画質が上がろうとも違和感が残るのでは無いか、とも言われている中で、つまり今あるディスプレイの技術の延長線上に答えがあるのかどうかも誰もその正解がわからない時点からひたすらに高精細な有機ELに投資し続けるのは誰もができることでは無い。投資し続けた結果、思ったような成果が得られない可能性だってある中で続けてきたのだ。スクリーンドア効果だって、2017年頃はディスプレイをレンズで調整して見る構造上完全には解決しないと言われていたのだ。構造上解決しない問題を、スクリーンドア効果が感じにくくなるまで高精細化をひたすら進めた。これはすごいことだ。
そんな中で、Vision Proとイマーシブ映画でひとつのベースラインはできた。肯定的に捉えても、できてしまったというべきかもしれない。ベースラインが出来たのだから、ここから技術の競い合いが始まる。再生環境と制作環境の。どうすれば体験価値が上がるか。それ以前に何を体験と捉えているか。正解こそないものの間違った答えを選んでしまっては失格するレース。基準点が高すぎる。5年先に必ず来る当たり前を目の当たりに体感できて、本当に良かったと思う。怖くもあるが。
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