好きを詰め込むなら冷静になれ ザコアドベントカレンダー23

はじめに

 前回、エントリーシートや面接で相手に自分のことを伝えるならば、文章の高さと奥行きをつけると良いという話をした。今回は、その話の応用編である。

素人を通してプロの凄さがわかる

 筆者は、実は小説を書いている。一度リーディングの回で拙作「preoccupied」を引用したことがあったと思うが、覚えているだろうか。小説を書くということは、もちろん小説を読むことがある。それも、同じように執筆を趣味としている人の小説を読むことがたくさんある。素人の小説を読むのはとても面白い。とくに、小説を書き慣れていない人の小説を読むのはとても勉強になる。自分の小説を棚に上げていうのもおかしな話だが、出版されている小説とのクオリティの違いがわかるからだ。出版される小説は編集者のチェックやミーティングを踏まえながら、仕事として世に出されるので、かなりクオリティの高い作品ばかりだ。もちろん、作家としての地位を確立している書き手なので、技術面でも一般人とはかなり違う。一方、素人、特に初心者は技術も若く、それでいて独力での執筆であるし、基本的にお金はもらえないので責任感やモチベーションが違う。筆者も、技術面はもちろんのこと、個人趣味でやっているので作品のクオリティを上げるような環境にはいない。だが、そのクオリティの差が、思わぬ発見をもたらしてくれる。素人の作品のどこがビミョーなのかを分析していくと、プロがどうしてすごいのかがわかるのだ。作品を作る上で完成度を下げてしまうことを知っておくと、それをしていないプロの凄さがわかるのだ。

幅があり、高さがないものはビミョー

 そんな、素人のやりがちな完成度を下げる原因の例の一つに、「幅がありすぎて、高さがない」というものがある。1段階具体性を持たせて言えば、物語のテーマやドラマが豊富すぎて、なんの物語なのかがよくわからないという問題である。
 筆者はいままで20人以上の素人小説を読んできて、うち半数は処女作から読んでいる。その初心者10人のやりがちなパターンとして上がるのが「自分の好きな要素を詰め込もうとする」ことである。
 これはものすごく自然で素直な発想だと思う。なぜなら、自分の描きたい物語はきっと自分の好きな物語だし、そんな物語を作るなら、自分の好きな物語たちの要素を借りてくるほかないだろうからだ。自分の面白いと思うものを限りなく詰め込めば詰め込んだだけ面白くなるだろうという直感は、一見信憑性があるように思える。しかし、本当にそうだろうか。自分の好きな食べ物だけを詰め込んだフルコースはフルコースとして最高なものになるだろうか。好きなフレーズを切り貼りしてつなげていった曲は最高の音楽になるだろうか。
 少々例えが悪かったかもしれない。詳しくみていこう。第一の問題として、好きなものだけを詰め込んだとして、各要素の相性を考慮できているか怪しいということがある。第二に、物語からどう要素を抜き出して、どう適用するかによって大惨事になりかねないということである。そして第三に、これが今回の内容だが、物語の主題がわからなくなる、というところである。物語の主題がわからなくなる、というのは筆者が思うに致命的なことだと思う。なぜならそれは、なにを伝えようとしているのかが曖昧になる、ということだからだ。小説は芸術という表現である。表現という前提がありながら、そのメッセージが不明瞭というのは、文芸としての前提が壊れていることになる。もちろん、想定する読者の読解力の水準が高いために、「何が言いたいのかわからない」状態になることはある。しかし、この「幅が多すぎる」場合は、読解力の問題はあまり重要ではない。幅が大きすぎる問題は、主題を伝える能力の多寡ではなく、物語の構造的に主題が曖昧になることにあるからだ。

「実践言語現象学」の失敗

 具体例に移ろうとしたが、他人の作品を名指しで貶すような記事になるのは避けたいので、自身の失敗を取り上げる。先ほどまで初心者にありがちなミスが〜〜などと言っていたくせして、8年も執筆している人間の最新作を失敗例として紹介するのだから、もうほんとうに、筆者は眼高手低、読むのだけは一丁前で書く能力は一向に乏しいのだ。恥ずかしい限りである。
 なんと、「実践言語現象学A」という小説は、テーマが3つもある。馬鹿である。もちろんプロ作家はこのくらいのテーマ数なら綺麗に描き切ることもできるだろうが、書いているのは素人。せいぜい1つのテーマをぎりぎり描くので精一杯の技量である。さて、その3つのテーマの内容だが「言語学」「大学生の成長」「フェミニズム」である。それぞれ独立したテーマが3つある。その結果、どうなってしまったのかというと、何が言いたいのか、何が面白い部分なのか、どこに力点をつけて読めばいいのかが曖昧な作品となってしまった。執筆当時、筆者は小説のアピールポイントは多い方がいいと思っていた。普段初心者に「描こうとしていることが多すぎて片手落ちしているから、もう少し作品の内容を絞った方がいいかもしれない」などとアドバイスしているにもかかわらず、だ。
 内容に幅を持たせることの欠点は、焦点がブレるというところにある。言語学の話題が出たと思えば、内容は大学生が新しい自己像を獲得していくし、そうかと思えば、女性の抑圧に触れるようなエピソードが入ってくる。そうなってくると、正直何が大切なのかがぼやけてくる。文字数もそう多くないので、幅を増やせば各要素の高さも奥行きも圧迫される。その結果、各要素が浅くなる。そして、要素への注意が分散するので、それぞれの要素の印象が全体的にダウンしてしまう。そうなることで、てんで何がしたかったのかわからない小説が出来上がってしまうのだ。

おわりに

 なんだか、自虐大会になりそうなので、ここらで終わろうと思う。とにかく前回から引き続き伝えたいことは「あれもこれも」と欲張ると、どうしようもないということだ。「二兎追うものは一兎をも得ず」である。言われてみればあたりまえのことではあるものの、実際これは言われなければ注意できない問題だ。それは日常の文章でも、ストーリーライティングでもおなじなのである。

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