どうしてこんなにもめんどくさかったのか ザコアドベントカレンダー24
はじめに
このアドベントカレンダーも気がつけば24回。明日でラストだ。ここまで23投稿してきたものの、次第にクオリティが下がってきている、ような気がする。一人で25回も毎日連続投稿するのは無理だったのだろうか。今回は、最終回目前にして、いままでの反省をしていきたい。
義務感という枷
最初はとても楽しく投稿していたのを記憶している。予定が入っている日でも、なんとかして時間を捻出して書き、やり遂げる達成感があった。しかし、次第に、誰かとの予定が入るたびに「アドベントカレンダーの執筆時間が取れるかな」と考えるようになっていた。そしてまた、「今日は帰ったらこの本をじっくり読みたいけど、まずアドベントカレンダーをやらなきゃな」というように、だんだんマイナスな方向で考えるようになっていた。義務感でやり抜くには、25日は少し長すぎたのかもしれない。終いには「なんでこんな思いつきで始めた企画を律儀にこなさねばならんのだ」と思う始末だった。完全に、ザコアドベントカレンダーへの殺意が高まっていた。一回の変換でいつまで経っても「雑魚アドベントカレンダー」と変換するマックブックにも殺意が沸いていた。
最初で散々継続するための方法論を述べていたが、やはりこの義務感によるモチベーションの低下を考えていなかったことが反省点としてあるだろう。今後このような企画をやるのなら、必ずこの点には注意したい。
習慣化でのつまづき
ザコアドベントカレンダーをはじめて10日目くらいに、連日で終日の予定があり、またそこで体調を崩してしまったことがあった。それが、せっかく作っていた毎日投稿の習慣化のペースを崩壊させてしまった。プラスもマイナスもない単なる癖としての行動コントロールを目標にしていたにもかかわらず、癖づけが出来上がりそうなタイミングで中断が入ってしまったのは誤算だった。そのせいで、未成熟の卵を割り、奇怪な幼鳥となってしまったこの投稿企画は、義務感という冷風に晒され、過酷な生き方をする羽目になった。
企画の準備不足
この企画、25回投稿であれば、なんとかなっていたかもしれない。しかし、25日毎日投稿というところがネックだった。企画は12月1日に思いつきで始めた。つまり、その当時は書くためのネタがほとんどない状態であった。それでも、アイディアノートを掘り返せばどうにかなるだろうという楽観があった。しかし、どれだけノートにアイディアがあったとして、それがブログ、そして3000字程度に収まるようなものを探すとなると困難を極めた。だから、仕方なく、文字数に合うようにアイディアを引き伸ばしたり組み合わせたりしていた。Pekora-Almond Effectのあたりから、もう分割投稿で字数制限をぶち壊していたが。やはり、書き溜めは重要であった。そして、ネタや企画の準備もしておくべきであった。そもそも、ゼロベースの状態からやっていくというのは無理があったのかもしれない。海上でいかだを作りながら航海をしていくようなものだった。本来、11月あたりから準備をしておくべきだった。
人生が充実している方が大切
実は、この12月、ザコアドベントカレンダーを書いていない間は充実していた。結局ザコアドベントカレンダーを優先せずに人との予定を優先していたからこのようにクオリティの低下があったとも言えるが、それでもリアルでの充実の方が、筆者にとっては価値があった。まず筆者はこの12月で運転免許を取った。そして、3度心理学実験に参加した。また、人生で初めての人形浄瑠璃も見た。高校の友人と旧交を温めたし、新宿で「ダンサーインザダーク」という筆者の人生観を変えた映画を見た。友人が、気になっていた「チェンソーマン」を読ませてくれたし、内定先の同期たちとの飲み会や、研修をへて、厚く親交を深めた。大学の友人のコンサートにも行ったし、同伴したもう一人の友人と深夜の新宿公園を歩きながら深い話ができた。他にも、大学卒業を前にさまざまな友人と出会い旧闊を叙した。あと、10月から行っていたダイエットも6キロ減という結果を残し、4キロ減という目標をクリアできた。もちろん、卒業論文も完成させた。(気になっている飲食店もなんとか年内にすべて行くことができた。)
振り返るととても充実した毎日だった。だから、これでよかったのだという気持ちもある。結果としてザコアドベントカレンダーは微妙な出来となってしまったが、それ以外では12月に得たものの方が大きかった。この企画を通して筆者を見ているとほんとうにザコのまま12月を終えていくように見えるが、そこまで悪くはなかった。実は元気である。何かを始めたからには徹頭徹尾やりとげることは大切だが、もしかしたら、他にある大切なことを守るのもそれと同じように大切なことなのかもしれない。
おわりに
このザコアドベントカレンダーは崩れゆく惑星のように尻窄みで終わっていく。何を隠そう、明日のネタがないのだ。爆発力のあるネタはたぶん出ない。絶望的な状況だが、それは今日だけではない。いままでもそんな時があった。ザコアドベントカレンダーで学んだことは、みっともなくても、ザコでも、頑張っていくしかないという、人間の生き方の一側面だったかもしれない。
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