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【23】清酒と水

清酒の原料というと、ラベル表示を見ると米、米麴、醸造アルコールなどのその他政令で定める物品……と並んでいますが、記載が省略されているだけでその大半を占めるのが。銘醸地には必ず豊かな水源があるとされますが、水が清酒醸造に与える影響と、その違いが酒質にどのように表れるのか、などを紹介したいと思います。


酒造用水の条件

酒造用水、というと読んで字のごとく、酒造りに使われる水全般のことを指すのですが、清酒醸造においては用途で細分化されています。

清酒醸造に用いられる用水の量は、用いる白米量の20~30倍が必要であるといわれている。これを使用別に分けると洗米、浸漬水、仕込水、割水、洗浄水、ボイラー水、冷凍機などの冷却水や雑用水になる。その中で特に洗米、浸漬水から割水までの水質は、酒質に直接影響するので、使用にあたっては十分な水質検査と管理が必要である。それぞれ水の備えるべき条件は次のとおりである。
○洗米水は、有害成分がないこと。
○浸漬水は、原料米重量の20~30%を吸水し、この間に成分の溶出や吸着が認められるので、中性または微アルカリ性で無色透明、無味無臭であり、有効成分を十分に含み、逆に有害成分が少ないこと。
○仕込水は、浸漬水と同様中性または微アルカリ性で無色透明、無味無臭であり、有効成分を十分に含み、逆に有害成分が少ないこと。
○割水は、製成酒(普通アルコール含量18~20%)を市販酒のアルコール度数(15~16.5%)にするために加える水であり、この水には有害微生物や有害成分が存在しないこと、としている。

酒造用水の分析結果について」(稲橋 正明 他, 日本釀造協會雜誌, 79, (8), 558-562(1984))より

必要量は上記引用では20~30倍とされていますが、他の記事では50倍と記載されているものもあります。総米1,000kgの仕込に対して数十トンの水ともなれば、必然的に豊かな水源があることが前提条件となってきます。
なお、直接清酒に触れることのない雑用水については、工業用水などを用いることもあります。

水道法上の条件との比較

水源としては井戸水を用いるところが多いと思いますが、清酒製造業として井戸水を利用する場合、食品衛生法の定めるところにより、各自治体が定める条例に基づき、結果として水道法に規定される水質基準を満たす必要があります(口に入れるものの主原料なので当然といえば当然です)。

水道水(専用水道)の水質基準については、水道法第四条により、以下のように定められています。

(水質基準)
第四条 水道により供給される水は、次の各号に掲げる要件を備えるものでなければならない。
 病原生物に汚染され、又は病原生物に汚染されたことを疑わせるような生物若しくは物質を含むものでないこと。
 シアン、水銀その他の有毒物質を含まないこと。
 銅、鉄、ふっ素、フェノールその他の物質をその許容量を超えて含まないこと。
 異常な酸性又はアルカリ性を呈しないこと。
 異常な臭味がないこと。ただし、消毒による臭味を除く。
 外観は、ほとんど無色透明であること。
 前項各号の基準に関して必要な事項は、環境省令で定める。

e-Gov 法令検索 「水道法」より

水道法による水質基準には51項目(←水質基準に関する省令)があるのですが、酒造用水においては一部の項目でより厳しい条件が求められています。

水道法の水質基準と酒造用水の水質基準の比較
※有機物は現在の水道法では全有機体炭素(TOC)にて定めています

時代の違いもあって単位(mg/L≒ppmですが厳密には違います)や項目に差異がありますが、基本的に水道水以上に清浄な水が求められていると考えてください。また、水道水には衛生上塩素が残っていないとダメなのですが、酒造用水にとってはその濃度の残留塩素は忌避される存在なので、水道水を使う場合には脱塩素処理(薬剤使用や活性炭処理など)が行われることもあります。

硬度と酒質の関係

水に含まれる成分のうち、清酒醸造に有効なのは基本的に無機物です(有機物については前述の表にあるように含まれない方が良いとされます)。一括りに「ミネラル」と表現されることもありますが、それらの量の大小で清酒醸造がどう変わるのか、酒造りと水に関する歴史的背景について解説します。

硬水と軟水

水には主にカルシウムイオンとマグネシウムイオンが含まれていて、水1000ml中に溶けているカルシウムとマグネシウムの量を表わした数値を「硬度」といいます。簡単にいうと、カルシウムとマグネシウムが比較的多く含まれる水が硬水になります。
WHO(世界保健機関)の基準では、硬度が0~60mg/l 未満を「軟水」、60~120mg/l 未満を「中程度の軟水」、120~180mg/l 未満を「硬水」、180mg/l以上を「非常な硬水」といいます。また、日本においては一般的には、硬度0~100mg/lを軟水、101~300mg/lを中硬水、301mg/l以上を硬水に分けられています。

evian 製品サイト > 「ミネラル量と水の硬度、硬水と軟水の違い」より

この辺の解説はミネラルウォーターのサイトが一番わかりやすいですね。
上記の硬度の数値は「アメリカ硬度」(単位:mg/L)と呼ばれるもので、日本では過去に「ドイツ硬度」(単位:°dH)がよく用いられていたため、酒造用水の硬度についてはドイツ硬度で記載されているものも多いです。
アメリカ硬度では、カルシウム塩・マグネシウム塩の量を炭酸カルシウム (CaCO3) の量に、ドイツ硬度では酸化カルシウム (CaO) の量に換算しており、それぞれの算出方法については以下の通りです(※有効数字は情報記載している場所によって異なります)。

・アメリカ硬度【mg/L】=(カルシウム量×2.49)+(マグネシウム量×4.11) 
・ドイツ硬度【°dH】=アメリカ硬度×0.056 
(アメリカ硬度=ドイツ硬度×17.8)

「灘の男酒、伏見の女酒」

上記の言葉は二大銘醸地である灘(兵庫)と伏見(京都)の水の違いが酒質にも表れるとして、それを示す代表的な言葉です。そこで、硬度と各地の酒造用水を示すとこのような感じになります。

水の硬度と硬水/軟水の定義、および酒造地域の水の硬度
※酒造地域の水の硬度は資料により若干の差異があります
(宮水は資料によっては硬度180とするものもあり)

宮水は硬水、伏見は軟水、と言われますが、案外狭い範囲に収まっています。日本の水自体が全体的に軟らかい中で、相対的に少し硬い(中硬水)のが宮水です。新潟や広島(ただし西条はもう少し硬い)はもっと軟水で、軟水地域での酒造法が確立(後述します)され、銘醸地になるのは近代に入ってからの話です。また奈良県の油長ゆちょう酒造(風の森)、千葉県の岩瀬酒造(岩の井)が硬度200超の超硬水仕込であることが知られています。

硬度の高低は発酵の強弱に直接的には関係せず、硬度の高さに比例した他の成分量が影響していると考えられています。以下に引用したのは1950年代の文献になります。

(一) 水の硬度と水の強さは先ず一致するか。
 どの本を開いても、硬度の高い水は力が強いと書いてあり、此の事は、凡そ酒造のいろはを学んだ者なら誰でも知つている常識であるが、果してそうであろうか。硬度は水の強さの一応の目安にはなつても、水中の石灰・苦土が、直接酵母の醗酵力に影響するとは考えられない。既に此の事を指摘している人も二三あるが、一般には普及していない。勿論硬水が湧きが強く、軟水が湧きが弱い場合が多いが、探してみるとそうでない場合も少くない。清酒と他の酒類では比較にならないかも知れないが、他の酒類では硬度と醗酵の強弱との関係は問題になつていない様である。では何故昔から此の説が信ぜられて来たのであろうか。第一は、硬度の高い水は他の成分にも富んでおり、醗酵を強烈にする成分を多く含み、湧きが強い場合が多い。第二には清酒の主産地であり先進地である灘の宮水は硬度が高く湧きが強い事。此の二つの為、硬度と、醗酵の強弱との間に直接的関係があると信ぜられたものと思う。

愚想録」(野白喜久雄, 日本釀造協會雜誌, 49, (2), 44-46(1954))より 

なお、直接的に、と書きましたが、α-アミラーゼの挙動には硬度(特にカルシウム)が関係しており、米の溶解が進むことによって醪経過への間接的な影響を及ぼしていることがわかっています(上記引用文献にも同様の記載があります)。

もろみ初期において、α-アミラーゼが蒸米に吸着され、吸着された状態では酵素活性の一部しか発揮されない、すなわちα-アミラーゼの無効吸着現象が起こることが報告されている。α-アミラーゼの無効吸着は蒸米の溶解性と関連があり、Caなどの塩濃度が高くなると無効吸着が抑制され米の溶解性が向上することが報告されている。

仕込水の性質が清酒醸造に及ぽす影響」(奥田将生 他, 日本醸造協会誌, 117, (8), 580-608(2022))より

詳しい調査は文献がごろごろ転がっていますので割愛しますが、酒造用水に関する2大トピックである「宮水」と「軟水醸造法」について解説します。

宮水みやみずの発見

灘が国内一の銘醸地となった要因の1つに挙げられる「宮水みやみず」ですが、酒造用水として適していることがわかったのは江戸時代末期の話です。

宮水は灘酒の名声を全国に広めた要因の1つで、西宮市内の特定の地下からくみ上げられている井戸水のことをいう。
関白一条兼良が随筆集「尺素往来」の中で「西宮の旨酒」と賞賛していることから、15世紀頃より西宮では良質の酒が醸造されていた。しかし、宮水が酒造用水として広く知られるようになったのは、山邑太左衛門の功績によるものが大きい。
山邑家は当時(江戸時代末期;1800~1870年頃)西宮郷と魚崎郷で酒を醸造しており、常に西宮郷の酒が品質的に優れている事に気づいていた。米や杜氏を変えても西宮郷の優位は変わらなかった。そこで西宮郷の梅の木蔵の井戸水を魚崎郷で用いたところ、西宮の酒と同様の良酒が醸造された。このことより1840年から本格的に梅の木蔵の井戸水を魚崎に輸送し仕込水として使用する事で良質な酒が造られた。このお酒は江戸の市場でも大好評となり、灘や他地方の酒造家も競って西宮の水を使うようになった。これが、宮水の起源である。この梅の木井戸が宮水発祥の井戸となり、山邑太左衛門が発見者とされている。
また、この時代から宮水井戸を持たない酒造家に井戸水を売る水屋というこの地方独特の商売が起こり、自然の井戸水が商品として売買されていた。この井戸水は最初「西宮の水」と呼ばれていたが、略されて「宮水」となったといわれている。

WEB版灘の酒用語集 > 宮水 より 

文中の山邑というのは、櫻正宗さくらまさむねの後の6代目山邑やまむら太左衛門たざえもんです。牛の背に水を詰めた樽を載せて大量に運ぶ姿を写真で収めたものが櫻正宗のWEBサイトには掲載されています。また、梅の木蔵の跡地には、現在「宮水発祥の地」として石碑が建っています。

なぜ宮水が酒造りに良い水なのか、後の研究で様々な化学分析によって成分値が明らかになり、その有用性と特異性がわかりました。

宮水の成分的特徴としてはつぎの諸点があげられる。無機成分として、適量の中硬水でカリウムが多い。リンが特異的に多く、鉄分が極めて少ないことである。また、蒸発残留物が多く、ホウ素、バナジウム、ルビジウムの他、微量の金属元素を含み、これらがまた、酵母菌の発育に触媒的な作用をおよぼすという。リンは他地方の酒造用水の約10倍もある。また、ナトリウムに対するカリウムの含有比も高く、リンと同様に、酒造の際の酵母菌の発育を促進する作用が強いという。
宮水は、醗酵促進のみならず、麹の糖化酵素の浸出に効果的であり、これが灘酒の濃醇さの一因をになっている。

名水を訪ねて (5)宮水」(済川 要, 地下水学会誌, 31, (1),  57-62(1989))より

この「天然の酒造好適水」である宮水がどのように生まれるのかは、以下の新聞記事に図も含めて記載がありましたので紹介します。

縄文時代、宮水の井戸群がある北側は現在の市役所付近まで入り江の海だったという。そして、宮水は北から流れる札場筋ふだばすじ伏流、遠く武庫川水系に源流を持つ東の法安寺伏流、六甲山方面から流れる西のえびす伏流の3つの伏流水が混じり合ってできるという。
法安寺伏流と札場筋伏流はかつて海だった地層を通るため、リンやカリウム、塩分など生命の母なる海が持つ栄養分をたっぷり含む。西の戎伏流は六甲山からの傾斜で流れが速く、酸素を多く含み2つの伏流水とぶつかる。
酸素は酒造りの大敵である鉄分と結合し、酸化鉄を形成して除去する。こうして、酒造りに必要な養分を含みつつも、鉄分が少ない宮水ができあがる。宮水が「天与の霊水」と呼ばれる由縁だ。

兵庫・灘の酒、キレの秘密は奇跡の『宮水』」(日本経済新聞 大阪夕刊関西View2014年3月11日付, 2014年3月16日付web公開)より 

かつて海であった層が陸地になっていることと、そこへ3つの地下水が合わさって起こる反応との、2つがこの組成の水ができるポイントのようです。そのため、宮水が供給されるエリアは狭い範囲に限られており、港湾工事や台風による塩害など、周辺環境の変化で井戸場も下図の通りの変遷を経ています。
1924年(大正13年)には「宮水保護調査会」が産官学の代表者によって構成され、1954年(昭和29年)には西宮市長を会長として「宮水保存調査会」となり、現在も水資源の保護のために活動しています。

WEB版灘の酒用語集「宮水」に掲載されている宮水井戸場の変遷図

「宮水」は、六甲山系から流れる地下水で、周辺の土木工事や揚水量の増加などによる影響を受けやすく、これを守るために神戸地区では灘五郷酒造組合の「水資源委員会」、西宮地区では「宮水保存調査会」が活動をしています。両組織では調査研究を行い、土木工事等の地下水への影響を最小限にとどめるための活動を行っており、下記の範囲における建設・解体等土木工事については、事前の協議が必要となります。

灘五郷酒造組合WEBサイト > 酒造用地下水(宮水)の保全に関する対応の件 より

なお、宮水は酒造用水としては唯一、1985年(昭和60年)選定の「名水百選」に選ばれています。

軟水醸造法

一方で、軟水地域ではミネラル分が少ないことから、良酒醸造のために様々な手段を講じてきましたが、その中で広島の酒造家三浦みうら仙三郎せんざぶろうが編み出した軟水醸造法は1つのターニングポイントでした。

三浦氏は、明治9年酒造業を興して以来、醸造法の改善を意欲的に進めてきたが、立地条件の不備によりその多くは徒労に帰した。そこで明治14年、三津町内に土地を選定し、酒造場を移転・改築するとともに試験所を開設し、一部の原料を犠牲に供し、特殊な装置を考案して、原料米、酒造用水等について検討を重ね、醸造法の改善、特に軟水による醸造法の研究に没頭した。そして明治30年遂に広島地方の水に適した軟水醸造法を完成した。翌31年には「改醸法実践録」を刊行し、酒造組合員に配布して技術の指導および普及に努めた。

『広島酒』醸造技術の歩み」(和高等, 日本釀造協會雜誌, 79, (9), 606-609(1984))より

文中にある「改醸法実践録」は、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことが可能です。

内容については、軟水だからこうしよう、というテーマがあるわけではなく、灘とは異なる自分たちの環境で良酒を造るにはどうしたら良いのかを探求した結果をまとめたもので、清酒醸造でよく用いられる「一麴、二酛、三造り」の通り、製麴についてから始まり、酒母、醪管理と続く、こうしたらいい造りになった、を具体的数値を以て管理した記録となっています。まず麴室こうじむろの構造に言及しているのが特徴的です。
広島のみならず、伏見や静岡、長野を経て新潟などへもその中身は伝わり、同様に灘と異なる軟水地域での酒造りに大きく貢献したと言われています。
「改醸法実践録」の中身については、こちらのnoteで書かれている内容を読まれた方が早いのでリンク貼っておきます。

百試千改」という、三浦仙三郎が遺した言葉がありますが、改醸法実践録を記すまでのおよそ20年間、失敗の都度その原因を追究し、自らが灘の酒蔵で蔵人として酒造りに携わるなどしながら、どうすれば良い酒になるか追究しています。
広島県の道徳教育指導資料の中にある教材開発例「百試千改の夢」にコンパクトに内容がまとめられていますので、そちらをご覧ください。

三浦仙三郎はその後も広島の酒造りの技術向上に尽力し、1907年(明治40年)に開かれた第1回全国清酒品評会では、竹原の藤井酒造の「龍勢」と倉橋の林酒造の「三谷春」が、灘や伏見をおさえて最高賞である優等1等2等を獲得し、全国に広島の酒を知らしめます。翌1908年(明治41年)に仙三郎は逝去しますが、その後も広島の酒は、醸造技師の橋爪はしづめきよしの指導や、現在のサタケの創業者・佐竹さたけ利一りいちの精米機の発明による精米歩合の向上など、さらなる酒質の向上に励み、全国清酒品評会、全国新酒鑑評会ともに優秀な成績を収めています(きょうかい酵母3~5号は広島から選ばれましたが、上述の好成績も影響したと考えられます)。
低温でじっくりと発酵させる軟水醸造法は現在の吟醸酒造りの基礎ともなっており(吟醸という単語は鹿又かのまたちかしによる広島流の酒造りの報告によって定着したと考えられています)、軟水醸造法を確立させた三浦仙三郎は「吟醸酒の父」とも呼ばれています。

↑を書かれた池田明子の著書「吟醸酒を創った男 : 「百試千改」の記録」(時事通信社、2001年刊行)が三浦仙三郎についてまとめたもので、各所でも参考文献として用いられていますが、現在絶版のため、中古市場や図書館などでお探しください。同時期の酒造家や技師たちの繋がりも記載されており、非常に興味深かったです。

各成分が与える影響

水に含まれる成分のうち、清酒醸造に関係するのは無機物が大半です(有機物はほぼメリットがありません)。

清酒醸造は麴菌と酵母の両方の微生物の働きによって行なわれているものであり、その微生物の増殖成育の栄養となる無機物が必要であり、酒母、醪中で麴からの酵素の溶出を助け、酵素作用を促進させるための成分として無機物が必要である。

酒造用水の分析結果について」(稲橋 正明 他, 日本釀造協會雜誌, 79, (8), 558-562(1984))より

酒造地域の水質についての科学的調査が1950年代には既に行われており、銘醸地の水には共通して多い成分が含まれていることが分かっています。

嘉納は、全国、主に西日本のいわゆる名醸造地の54の用水の無機成分を分析した。現代の水道の水質分析とほぼ変わらない17項目の成分分析が先駆的に実施されている。そして、灘、伏見、広島の無機成分水質は酷似しており、カリウム(K)が多いこと、また宮水はリン(P)含量が極端に高い水であることを明らかにした。
(中略)
さらに嘉納は、第一報の54か所に加え、全国、主に東北地方の22か所の名醸造地の分析を行った。その結果、Pが多いのは宮水に特異的であり、その他では Pは少なく、Kが20mg/L近く、Caもまた20–40 mg/Lで多かった。結局、日本酒醸造への水の良否は、K、Na、Ca、Mg、Cl–、SO42–が重要と結論し、Pは必要だが米の溶解により充分供給されるとした。

軟水による米麹からの無機成分の溶出と清酒酵母の発酵能に与える影響および軟水醸造法における意義」(佐々木慧 他, 生物工学会誌, 95, (5), 254-261(2017))より

以下に酒造用水における有効成分、および有害成分について解説していきます。ただ、この辺はテキスト類が多数ありますし、ざっくりと紹介するに留めておきます。

有効成分

水に含まれる微量無機成分の意義として、カリウム (K)、マグネシウム(Mg)、リン酸(P04) は酵母の発酵促進に影響する。カルシウム(Ca)、ナトリウム(Na)、クロール(Cl)は麹酵素の抽出や蒸米の溶解性に影響する。

仕込水の性質が清酒醸造に及ぽす影響」(奥田将生 他, 日本醸造協会誌, 117, (8), 580-608(2022))より

と酵母や麴のはたらきに影響する成分として以上の6つが挙げられています(他にも微量元素が様々な因子となるようですが)。

カリウムは米中に遊離(イオン)の形で存在しているので洗米・浸漬中に流出しやすく、使用水にカリウムが不足している場合は補填の必要があるということが1950年代の時点で明らかにされています。

清酒醸造の際、洗米を掛流しにより行うと醗酵阻害が起り、殘糖分が多く酒精の生成が悪くなるのであるが、その原因に就ては灰分による無機分の流失特に石灰、燐酸鹽の流失或はビオス成分の流失等の原因があげられているが確證はないとされている。
外碎米を原料とする香味液仕込では脱臭のため洗滌過度になり醗酵阻害の傾向が現れるのでこの原因に就て試驗を行つたが、Phytin、酸性燐酸加里が醗酵を旺盛にする促進作用があるのを知つたので報告する。

掛流し洗米による醗酵阻害に就いて : 合成酒に關する研究(第6報)」(猿野琳次郎, 醗酵工學雑誌, 32, (12), 495-498(1954))より

また酵母細胞外のカリウムイオン濃度が上がると、酵母のエタノール生産が上がるという現象について、2015年に報文がありました。

昨秋、Science誌に、酵母のエタノール耐性に関する報文が掲載された。そこに示されたのは実にシンプルな話で、培地にリン酸一カリウムを添加するだけで酵母のエタノール生産を改善することができたのだと言う。確かにリン酸一カリウムは発酵助剤として用いられており、酵母にとって必要な栄養分だから、とも考えられるが、本当にそうなのだろうか。この作用がカリウムイオンによるものか、それともpHの上昇によるものかを調べるために、塩化カリウムと水酸化カリウムを個別に添加したところ、どちらも同様にエタノール生産を上昇させた。さらに、細胞内にカリウムイオンを取り込むTrk1pや細胞外にプロトンを排出するPma1pといった細胞膜上のATP依存性イオンチャンネルの活性化によってエタノール生産が上昇することも見いだされた。以上の結果から、発酵過程におけるエタノール濃度の上昇が、細胞膜の透過性を高めることによってイオンを漏出させ、細胞内外のカリウムプロトン勾配を消失させることがエタノールによる毒性の本質であり、これを防ぐことによって酵母はエタノール耐性を獲得し発酵力を維持することができる、というモデルが提唱された。

酵母のエタノール耐性:内と外から細胞を護る」(渡辺大輔 他, 生物工学会誌, 93, (8), 460-463(2015))より

単に細胞の生命維持活動に必要だから、というだけではなく、アルコール発酵で酵母自身が生み出したエタノールとのストレス応答にも、周辺環境のカリウムが影響しているという理解でいいのかなコレ……。

マグネシウムは、酵母増殖期において十分に存在すると、アミノ酸取り込み能に変化が起こり、小仕込み試験により製成酒のアミノ酸が少なくなった、という報告もあるようです。

リン酸は宮水においてその含量が多いことが特徴とされていますが、絶対量としては米から供給される量の方が多く、きちんと米を溶かすことができれば水の含量はそこまで気にしなくても良いのでは、と考えられています。ただし米内の有機態のリンから、麴菌の酸性フォスファターゼなどによって無機態として抽出される必要があり、醪初期にはリン酸が不足気味とされ(リンの多い宮水を用いた場合に発酵が旺盛なのはこの辺が効いているのかも?)、後述の加工剤で補填する場合もあるようです。

クロールは酵素の生産性や抽出性、活性を高めるのに必要となりますが、大量に含まれていると塩素の臭いが清酒に移ってしまいます。上述の通り、水道水には法令の規定で一定量以上の残留塩素が求められています。仕込水として使用する場合には発酵に伴い消失することもあるようですが、割水で使用する場合には脱塩素装置を用いて臭いを取り除くなど処置が必要となります。

硫酸は硫酸イオンの形で酵母のアミノ酸代謝や米麴からの酵素溶出に影響を及ぼすことがわかっています。

有害成分

-麴菌②-でも触れましたが、金属の中でもはっきり「好ましくない」とされるのがマンガンです。鉄については以下の通りですし、マンガンも日光着色の原因とされています。

研究のはじまり
「清酒の品質に関係する無機成分」という面からみた時、誰しもが最初に挙げるのは鉄であろう。そして鉄ほど、徹頭徹尾「マイナス」の面からのみ注目されている無機成分もめずらしい 。
すでに1929年江田らは、鉄分の多い水が清酒の着色度を高めることを明らかにしているし、引き続いて金井ら、鈴木らによって、鉄が清酒の香味を劣下させ、こうじの糖化作用やアミノ酸の生成を抑制する、という報告もなされている。

清酒と鉄・この興味ある関係」(高瀬澄夫, 日本釀造協會雜誌, 62, (2), 114-116(1967))より

鉄もマンガンも微量必須元素ではあるのですが、米に含まれる量で十分で、醸造用水からは供給される必要はないと考えられています。

重金属は言うまでもなく、有機物も基本的には少ないことが望ましいです。
水中の有機物は、微生物や動植物の腐敗によるものが多いため、臭気の原因となり、過剰に含まれていると、清酒の品質低下につながります。

加工剤

清酒の原料表示には記載されていませんが(原料として取り扱われないため)、発酵を助成促進する目的で、仕込水に以下に記載されている無機塩(食品添加物規格のもの)を添加することが可能です。

7 酒類の原料として取り扱わない物品
 次に掲げる物品は、酒類の原料として取り扱わない。
なお、その使用について食品衛生法の適用を受けることに留意する。
(中略)
(2) 発酵を助成促進し又は製造上の不測の危険を防止する等専ら製造の健全を期する目的で、仕込水又は製造工程中に加える必要最小限の次の物品
イ 酸類(乳酸(乳酸菌を含む。)、りん酸、りんご酸、無水亜硫酸、酒石酸)
ロ 塩類(食塩、リン酸二水素カリウム、リン酸水素二カリウム、リン酸二水素カルシウム、リン酸二水素アンモニウム、リン酸水素二アンモニウム、硫酸マグネシウム、硫酸カルシウム、メタ重亜硫酸カリウム、亜硫酸水素カリウム液、塩化カルシウム、塩化マグネシウム、硝酸カリウム、硫酸アンモニウム)
(後略)

国税庁WEBサイト 酒税法及び酒類行政関係法令等解釈通達 > 第3条 その他の用語の定義 より

イは速醸系酒母に用いる乳酸などを指しており、経済酒の調味液(醸造アルコールに有機酸や糖類を添加したもの)などに用いられる酸類とは別のものです。
本題はロで、水分中に不足する無機物を添加する(水の加工という表現をします)ことが可能です。
ただ、成分を宮水に近づけた「人工宮水」で醸した酒は、本物の「宮水」で醸した酒に及ばなかったともいわれており(大正末期の話だそうですが)、単純に数値だけを揃えてもそううまくは行かないようです。

灘酒の名声を全国に広めた大きな要因のひとつが、天保11年(1840)に発見された宮水。発見当時から酒造りに適した水であることが広く知られている一方、現在も謎に包まれていることが多く、“神秘の水”とも呼ばれている。
それを物語るのが、大正末期から積極的に行われた「人工宮水」の実験。これは宮水の成分を分析して人工的につくろうという試みで、専門家が研究に研究を重ねた結果、実際の宮水に近い成分の水を得るに至った。ところが、その水を使って酒を造っても、なぜか天然の宮水を使用した酒の味には及ばず……。現在の科学でも、宮水の成分と酒造りの関係については完全には解析不可能といわれている。

剣菱酒造株式会社WEBサイト > 古今酒造くらべ より

実際のところ、加工をしなくても十分健全な発酵は可能と言われますが、加工剤による補填は今も行われているところが多いのではないでしょうか。リン酸カリウム、硫酸マグネシウム、食塩あたりが多いのかな?
また生酛系酒母の酛立てに際して、硝酸カリウムを添加することもあるようです。これは生酛系酒母の工程で必要な「亜硝酸反応」を誘引するために用いられています。

気が付けば約12,000文字。後半の息切れ感がありますが、酒造用水におけるアレコレを詰め込んでみました。
テキスト類も時代によって若干言うこと変わっていまして、自分の勉強としても混乱したところもありますが、まぁこんなところで。

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