清酒の原料というと、ラベル表示を見ると米、米麴、醸造アルコールなどのその他政令で定める物品……と並んでいますが、記載が省略されているだけでその大半を占めるのが水。銘醸地には必ず豊かな水源があるとされますが、水が清酒醸造に与える影響と、その違いが酒質にどのように表れるのか、などを紹介したいと思います。
酒造用水の条件
酒造用水、というと読んで字のごとく、酒造りに使われる水全般のことを指すのですが、清酒醸造においては用途で細分化されています。
必要量は上記引用では20~30倍とされていますが、他の記事では50倍と記載されているものもあります。総米1,000kgの仕込に対して数十トンの水ともなれば、必然的に豊かな水源があることが前提条件となってきます。
なお、直接清酒に触れることのない雑用水については、工業用水などを用いることもあります。
水道法上の条件との比較
水源としては井戸水を用いるところが多いと思いますが、清酒製造業として井戸水を利用する場合、食品衛生法の定めるところにより、各自治体が定める条例に基づき、結果として水道法に規定される水質基準を満たす必要があります(口に入れるものの主原料なので当然といえば当然です)。
水道水(専用水道)の水質基準については、水道法第四条により、以下のように定められています。
水道法による水質基準には51項目(←水質基準に関する省令)があるのですが、酒造用水においては一部の項目でより厳しい条件が求められています。
時代の違いもあって単位(mg/L≒ppmですが厳密には違います)や項目に差異がありますが、基本的に水道水以上に清浄な水が求められていると考えてください。また、水道水には衛生上塩素が残っていないとダメなのですが、酒造用水にとってはその濃度の残留塩素は忌避される存在なので、水道水を使う場合には脱塩素処理(薬剤使用や活性炭処理など)が行われることもあります。
硬度と酒質の関係
水に含まれる成分のうち、清酒醸造に有効なのは基本的に無機物です(有機物については前述の表にあるように含まれない方が良いとされます)。一括りに「ミネラル」と表現されることもありますが、それらの量の大小で清酒醸造がどう変わるのか、酒造りと水に関する歴史的背景について解説します。
硬水と軟水
この辺の解説はミネラルウォーターのサイトが一番わかりやすいですね。
上記の硬度の数値は「アメリカ硬度」(単位:mg/L)と呼ばれるもので、日本では過去に「ドイツ硬度」(単位:°dH)がよく用いられていたため、酒造用水の硬度についてはドイツ硬度で記載されているものも多いです。
アメリカ硬度では、カルシウム塩・マグネシウム塩の量を炭酸カルシウム (CaCO3) の量に、ドイツ硬度では酸化カルシウム (CaO) の量に換算しており、それぞれの算出方法については以下の通りです(※有効数字は情報記載している場所によって異なります)。
・アメリカ硬度【mg/L】=(カルシウム量×2.49)+(マグネシウム量×4.11)
・ドイツ硬度【°dH】=アメリカ硬度×0.056
(アメリカ硬度=ドイツ硬度×17.8)
「灘の男酒、伏見の女酒」
上記の言葉は二大銘醸地である灘(兵庫)と伏見(京都)の水の違いが酒質にも表れるとして、それを示す代表的な言葉です。そこで、硬度と各地の酒造用水を示すとこのような感じになります。
宮水は硬水、伏見は軟水、と言われますが、案外狭い範囲に収まっています。日本の水自体が全体的に軟らかい中で、相対的に少し硬い(中硬水)のが宮水です。新潟や広島(ただし西条はもう少し硬い)はもっと軟水で、軟水地域での酒造法が確立(後述します)され、銘醸地になるのは近代に入ってからの話です。また奈良県の油長酒造(風の森)、千葉県の岩瀬酒造(岩の井)が硬度200超の超硬水仕込であることが知られています。
硬度の高低は発酵の強弱に直接的には関係せず、硬度の高さに比例した他の成分量が影響していると考えられています。以下に引用したのは1950年代の文献になります。
なお、直接的に、と書きましたが、α-アミラーゼの挙動には硬度(特にカルシウム)が関係しており、米の溶解が進むことによって醪経過への間接的な影響を及ぼしていることがわかっています(上記引用文献にも同様の記載があります)。
詳しい調査は文献がごろごろ転がっていますので割愛しますが、酒造用水に関する2大トピックである「宮水」と「軟水醸造法」について解説します。
宮水の発見
灘が国内一の銘醸地となった要因の1つに挙げられる「宮水」ですが、酒造用水として適していることがわかったのは江戸時代末期の話です。
文中の山邑というのは、櫻正宗の後の6代目山邑太左衛門です。牛の背に水を詰めた樽を載せて大量に運ぶ姿を写真で収めたものが櫻正宗のWEBサイトには掲載されています。また、梅の木蔵の跡地には、現在「宮水発祥の地」として石碑が建っています。
なぜ宮水が酒造りに良い水なのか、後の研究で様々な化学分析によって成分値が明らかになり、その有用性と特異性がわかりました。
この「天然の酒造好適水」である宮水がどのように生まれるのかは、以下の新聞記事に図も含めて記載がありましたので紹介します。
かつて海であった層が陸地になっていることと、そこへ3つの地下水が合わさって起こる反応との、2つがこの組成の水ができるポイントのようです。そのため、宮水が供給されるエリアは狭い範囲に限られており、港湾工事や台風による塩害など、周辺環境の変化で井戸場も下図の通りの変遷を経ています。
1924年(大正13年)には「宮水保護調査会」が産官学の代表者によって構成され、1954年(昭和29年)には西宮市長を会長として「宮水保存調査会」となり、現在も水資源の保護のために活動しています。
なお、宮水は酒造用水としては唯一、1985年(昭和60年)選定の「名水百選」に選ばれています。
軟水醸造法
一方で、軟水地域ではミネラル分が少ないことから、良酒醸造のために様々な手段を講じてきましたが、その中で広島の酒造家三浦仙三郎が編み出した軟水醸造法は1つのターニングポイントでした。
文中にある「改醸法実践録」は、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことが可能です。
内容については、軟水だからこうしよう、というテーマがあるわけではなく、灘とは異なる自分たちの環境で良酒を造るにはどうしたら良いのかを探求した結果をまとめたもので、清酒醸造でよく用いられる「一麴、二酛、三造り」の通り、製麴についてから始まり、酒母、醪管理と続く、こうしたらいい造りになった、を具体的数値を以て管理した記録となっています。まず麴室の構造に言及しているのが特徴的です。
広島のみならず、伏見や静岡、長野を経て新潟などへもその中身は伝わり、同様に灘と異なる軟水地域での酒造りに大きく貢献したと言われています。
「改醸法実践録」の中身については、こちらのnoteで書かれている内容を読まれた方が早いのでリンク貼っておきます。
「百試千改」という、三浦仙三郎が遺した言葉がありますが、改醸法実践録を記すまでのおよそ20年間、失敗の都度その原因を追究し、自らが灘の酒蔵で蔵人として酒造りに携わるなどしながら、どうすれば良い酒になるか追究しています。
広島県の道徳教育指導資料の中にある教材開発例「百試千改の夢」にコンパクトに内容がまとめられていますので、そちらをご覧ください。
三浦仙三郎はその後も広島の酒造りの技術向上に尽力し、1907年(明治40年)に開かれた第1回全国清酒品評会では、竹原の藤井酒造の「龍勢」と倉橋の林酒造の「三谷春」が、灘や伏見をおさえて最高賞である優等1等2等を獲得し、全国に広島の酒を知らしめます。翌1908年(明治41年)に仙三郎は逝去しますが、その後も広島の酒は、醸造技師の橋爪陽の指導や、現在のサタケの創業者・佐竹利一の精米機の発明による精米歩合の向上など、さらなる酒質の向上に励み、全国清酒品評会、全国新酒鑑評会ともに優秀な成績を収めています(きょうかい酵母3~5号は広島から選ばれましたが、上述の好成績も影響したと考えられます)。
低温でじっくりと発酵させる軟水醸造法は現在の吟醸酒造りの基礎ともなっており(吟醸という単語は鹿又親による広島流の酒造りの報告によって定着したと考えられています)、軟水醸造法を確立させた三浦仙三郎は「吟醸酒の父」とも呼ばれています。
↑を書かれた池田明子の著書「吟醸酒を創った男 : 「百試千改」の記録」(時事通信社、2001年刊行)が三浦仙三郎についてまとめたもので、各所でも参考文献として用いられていますが、現在絶版のため、中古市場や図書館などでお探しください。同時期の酒造家や技師たちの繋がりも記載されており、非常に興味深かったです。
各成分が与える影響
水に含まれる成分のうち、清酒醸造に関係するのは無機物が大半です(有機物はほぼメリットがありません)。
酒造地域の水質についての科学的調査が1950年代には既に行われており、銘醸地の水には共通して多い成分が含まれていることが分かっています。
以下に酒造用水における有効成分、および有害成分について解説していきます。ただ、この辺はテキスト類が多数ありますし、ざっくりと紹介するに留めておきます。
有効成分
と酵母や麴のはたらきに影響する成分として以上の6つが挙げられています(他にも微量元素が様々な因子となるようですが)。
カリウムは米中に遊離(イオン)の形で存在しているので洗米・浸漬中に流出しやすく、使用水にカリウムが不足している場合は補填の必要があるということが1950年代の時点で明らかにされています。
また酵母細胞外のカリウムイオン濃度が上がると、酵母のエタノール生産が上がるという現象について、2015年に報文がありました。
単に細胞の生命維持活動に必要だから、というだけではなく、アルコール発酵で酵母自身が生み出したエタノールとのストレス応答にも、周辺環境のカリウムが影響しているという理解でいいのかなコレ……。
マグネシウムは、酵母増殖期において十分に存在すると、アミノ酸取り込み能に変化が起こり、小仕込み試験により製成酒のアミノ酸が少なくなった、という報告もあるようです。
リン酸は宮水においてその含量が多いことが特徴とされていますが、絶対量としては米から供給される量の方が多く、きちんと米を溶かすことができれば水の含量はそこまで気にしなくても良いのでは、と考えられています。ただし米内の有機態のリンから、麴菌の酸性フォスファターゼなどによって無機態として抽出される必要があり、醪初期にはリン酸が不足気味とされ(リンの多い宮水を用いた場合に発酵が旺盛なのはこの辺が効いているのかも?)、後述の加工剤で補填する場合もあるようです。
クロールは酵素の生産性や抽出性、活性を高めるのに必要となりますが、大量に含まれていると塩素の臭いが清酒に移ってしまいます。上述の通り、水道水には法令の規定で一定量以上の残留塩素が求められています。仕込水として使用する場合には発酵に伴い消失することもあるようですが、割水で使用する場合には脱塩素装置を用いて臭いを取り除くなど処置が必要となります。
硫酸は硫酸イオンの形で酵母のアミノ酸代謝や米麴からの酵素溶出に影響を及ぼすことがわかっています。
有害成分
-麴菌②-でも触れましたが、金属の中でもはっきり「好ましくない」とされるのが鉄とマンガンです。鉄については以下の通りですし、マンガンも日光着色の原因とされています。
鉄もマンガンも微量必須元素ではあるのですが、米に含まれる量で十分で、醸造用水からは供給される必要はないと考えられています。
重金属は言うまでもなく、有機物も基本的には少ないことが望ましいです。
水中の有機物は、微生物や動植物の腐敗によるものが多いため、臭気の原因となり、過剰に含まれていると、清酒の品質低下につながります。
加工剤
清酒の原料表示には記載されていませんが(原料として取り扱われないため)、発酵を助成促進する目的で、仕込水に以下に記載されている無機塩(食品添加物規格のもの)を添加することが可能です。
イは速醸系酒母に用いる乳酸などを指しており、経済酒の調味液(醸造アルコールに有機酸や糖類を添加したもの)などに用いられる酸類とは別のものです。
本題はロで、水分中に不足する無機物を添加する(水の加工という表現をします)ことが可能です。
ただ、成分を宮水に近づけた「人工宮水」で醸した酒は、本物の「宮水」で醸した酒に及ばなかったともいわれており(大正末期の話だそうですが)、単純に数値だけを揃えてもそううまくは行かないようです。
実際のところ、加工をしなくても十分健全な発酵は可能と言われますが、加工剤による補填は今も行われているところが多いのではないでしょうか。リン酸カリウム、硫酸マグネシウム、食塩あたりが多いのかな?
また生酛系酒母の酛立てに際して、硝酸カリウムを添加することもあるようです。これは生酛系酒母の工程で必要な「亜硝酸反応」を誘引するために用いられています。
気が付けば約12,000文字。後半の息切れ感がありますが、酒造用水におけるアレコレを詰め込んでみました。
テキスト類も時代によって若干言うこと変わっていまして、自分の勉強としても混乱したところもありますが、まぁこんなところで。