【14】清酒醸造の微生物(1) -酵母①-
【12】清酒醸造の科学的解明の歴史 では、清酒酵母の存在が明らかになったのち、優良酵母の探索について触れました。その結果生まれたのが「協会酵母(きょうかい酵母)」です。その過程と、各きょうかい酵母の紹介をまず-酵母①-、-酵母②-…と何回かに分けてお送りし、その他の酵母に関するトピックを最後にまとめようと思います(きょうかい酵母を順番に挙げていくだけで、文章量がとてつもなく多くなりましたので…)。
優良酵母の探索
1906年(明治39年)、醸造試験所の技師であった高橋偵造は酵母の研究に際して、研究員に1月からの酒造期に全国の酒造地に赴き、その地域で最も品質の良い酒と良くない酒と、それぞれの酵母を集めるよう指示を出し、高橋自らも全国各地66の製造場を訪ね、計62株の酵母菌株を単離しました。
当時、酛(酒母)は蔵付き酵母または差し酛による造りが主流でしたが、醸造試験所では、安定した清酒醸造のために純粋培養酵母を添加する酛(添加酛)の研究が行われていました。その研究を進める中で、奥村順四郎らが、それまでの研究で試験所で使用していた酵母と、高橋が全国から新たに採取してきた中から純粋培養した櫻正宗酵母での比較試験を行った結果、酛、それで仕込んだ醪、そして出来た酒の何れも櫻正宗酵母を用いた方が品質が優れていたことから、櫻正宗酵母が清酒酵母として優良であると考えられました。
この櫻正宗酵母は1906年に設立された「醸造協会」(現・公益財団法人日本醸造協会)より試験的に「甲種清酒酵母」として頒布されることになりましたが、その後さらに研究が進み、後述するように清酒用の優良酵母の種類が増えてきたため、1917年(大正6年)には番号が付記されることとなり、櫻正宗酵母が「第1号」酵母となりました。
きょうかい酵母
1906年に単離された櫻正宗酵母が優良酵母として試験的に頒布されて以来、現在に至るまで様々な「きょうかい酵母」が登場しています。
「きょうかい(協会)酵母」という名称についてですが、商標登録が行われたのは1963年(昭和38年)のことです。文献上では1947年(昭和22年)の塚原らの報文に「協會六號酵母と七號酵母の差異について」として用いられたのが初見のようで、既にその頃に通称として「協会〇号酵母」と呼ばれていたようです。その後1949年(昭和24年)にも、勝屋らが「所謂協會酵母に就いて~」という報文を投稿しています。
以後きょうかい酵母を紹介していきますが、焼酎やワイン用の酵母もいるため、正式には「清酒用〇号」となるところですが、「清酒用」の3文字は省略させてもらいます。また、後に泡なし酵母「_01号」が単離されますが、これらは時代も少し後になるので、-酵母②-にて紹介しようと思います。
1号酵母
分離源:櫻正宗
分離者:高橋 偵造
分離・実用年:1906年(明治39年)
上述の通り、純粋培養した酵母を添加した酛の品質に関する研究で、従来研究室で用いられていた酵母に比べて品質の良い酒が出来たことから優良酵母とされた―とあるのですが、上記に引用していますように、試験の報文中に何故「櫻正宗酵母」を最初に比較試験に用いたのかは記載がありません。高橋らが全国より収集した酵母の研究について一旦まとめて報告するには8年を要しており、「その性質等に就いては更に報告するところあるべし」というには実に長い年月ですので、さて、比較試験に至る迄にはどういう過程があったのか…。その大正3年の文献に記載があればよいのですが、入手できていないのでわからないままです。
1925年に江田鎌治郎がまとめた1号~5号酵母の記載によれば、その頃には1号酵母は「普通酵母」として考えられ、「其の形状は円形、又は卵形で、比較的酸、アルコール、濃糖度及び高温度に対する抵抗力強く、取扱上別段の注意を必要としない」とされており、酒の安全醸造を目的に使われる酵母で、品質改善を目的とした場合には2号以後の酵母を用いるケースが多かったようです。
また、1号酵母の特徴を簡潔に示した複数の文章の中で「高温に適す」「低温に適す」の両方が散見され、どういうことだろうと思っていたのですが、値としてはどちらの記載も「20℃」付近を指していました。
奥村らの試験が行われた明治末期は、灘や伏見では醪の最高品温が25℃を超える仕込もあり(当時の醪経過の記録にて確認できます)、それに比べれば「低温」の扱いだったのですが、現在の仕込では醪品温をそこまで上げることがほぼありませんので、20℃は「高温」と考えられるため、両方の記載が見られる模様です。
1号酵母については、私が確認した限りでは、発祥蔵の「櫻正宗」が数アイテムを通年商品として、年1仕込みでは京都の「玉川」、長野の小布施ワイナリーが冬季の閑散期に醸す「ソガ ペール エ フィス」(1号以外の戦前使用酵母もあり)から1号酵母使用酒が販売されていますし、使用されなくなった協会酵母を用いた試験醸造品として、数蔵から限定商品が販売された痕跡は確認しています。
櫻正宗は発祥蔵ではあるのですが、太平洋戦争時の空襲により複数の蔵が焼失するなどした戦前戦後の混乱期に、蔵での1号酵母の保存株を失っており、長い間「幻の酵母」と考えていたようです。しかし、日本醸造協会において、頒布は中止されていましたが、菌株は保管され続けており、学術研究の際には利用されていました。2001年ごろの文献で「K-1」(協会1号酵母の略称)の文字を見た櫻正宗の技師が執筆者に確認し、1号酵母が現存していることを知り、日本醸造協会に問い合わせたところ、発祥蔵ということで特別に頒布されて60年ぶりに「里帰り」したそうです。その数年後には一号酵母を使った清酒を商品化したようで、現在も定番商品として4アイテムが発売されています。
玉川については、発祥蔵でもないのに何故1号酵母を使うようになったのか、が酒販店さんの商品紹介のページに書いてありました。
上記引用にもあるように、保存菌株として過去のきょうかい酵母は残っていまして、今では日本醸造協会へ使用したい旨を申し出れば、性質の保証はされませんが頒布してもらえるようです(後述の8号酵母も同様の経緯)。
次も同様に醸造協会から菌株を得て行われた複数蔵のプロジェクトですが、2023年4月には秋田の「山内杜氏組合創立百周年記念企画酒」として、”百年前の酵母と現代の秋田式吟醸造りの融合!”という掛け声のもと、10蔵が1号酵母仕込の清酒を一斉発売しました(5月には完売したもようです…リンクいつまで残るかな)。
余談ですが、百年前の酵母なら百年前の造りを再現しよう、という対照的な造りをしたのが発祥蔵の「櫻正宗」のこちらの商品です(以前はもう少し詳しい解説があったのですが…)。
2号酵母
分離源:月桂冠
分離者:(不明)
分離・実用年:1912年(明治45年)
「林檎のやうな芳香を放ち」「酸の生成量及びアミノ酸の生成量は極めて少ない」と評されており、香りが良好で雑味の少ない良酒を醸す酵母であると当時から認識されていました。
発酵初期の立ち上がり(食い切り)は良いものの、アルコール発酵能力が低く、他の酵母がアルコール分17〜18%くらいまではアルコールを生成するのに比べ、2号酵母では15〜16%くらいで止まってしまうそうです。しかし、これは他の酵母がアルコールで死滅するのとは異なり、生きてはいるもののアルコールの生成機構が働かなくなるのだとか。
先の1号から5号酵母と、今主流のきょうかい酵母(6号以後)は遺伝的系統が随分異なっていることがわかっており、アルコール生成機構の違いもその辺りに由来するのでは、と発祥蔵元の月桂冠が発表しております。
頒布開始(1917年)から100周年を迎えた2017年に、月桂冠から記念プロジェクトとしてこの「きょうかい2号酵母」を用いた清酒造りの取組が行われており、その際の記事がこちらに掲載されています。
また初回生産商品の販売時のプレスリリースがこちらです。
その後、月桂冠からの商品リリースは確認できておりません。先述の「ソガ ペール エ フィス」の他は試験的な製造などがあるくらいで、通年での生産は今のところなさそうです。
3号酵母
分離源:醉心
分離者:(不明)
分離・実用年:1914年(大正3年)
3号から新4号、5号までは、広島の酒蔵発祥の酵母が続きます。
明治末までには広島地方で軟水を利用した酒造りが確立されており(いずれ水の話もしたいので、三浦仙三郎の「軟水醸造法」についてもそのときに……)、広島も銘酒の産地として名を馳せるようになりました。というのも、1907年(明治40年)より開催された「全国酒類品評会」において、広島地方の酒が優秀な成績を収めたからです。
「醉心」は1912年(明治45年)の「第二回全国酒類品評会」で1位を受賞しており、優良酵母の選抜によって1914年(大正3年)に3号酵母として認定されます。この品評会は「品質改善の奨励を唯一の目的とするもの」とされており、品評会で優秀な成績を収めた蔵から酵母の採取が行われたであろうと考えて良さそうです。
なお「醉心」は、その後の1919年(大正8年)、1921年(同10年)、1924年(同13年)と3回連続で「全国酒類品評会」の優等賞獲得(3度目の受賞により「名誉賞」を授与)という成績を残しています。
先述の江田の報文では、3号酵母はあまり特長に触れられておりません。
上記引用文にもあるように、比較的早く頒布が中止されています。この報文中には今年度とあるので1925年(大正14年)から?と思われるのですが、他の情報だと1931年(昭和6年)頃ともあります。何にせよ1号・2号酵母よりも早くその役割を終えた酵母として扱われています。
3号酵母に関しては、発祥蔵元の「醉心山根本店」の公式サイトにもきょうかい酵母として選抜されたことしか記載がなく(同蔵所縁の横山大観の話は十分載っているのですが…)、商品も創業160周年を記念して3号酵母で醸した清酒を発売したことは酒販店等のwebサイトから確認は出来ましたが、その後特に動きはなく、2号酵母同様に「ソガ ペール エ フィス」の他は試験的な製造に留まっているようです。
旧4号酵母
分離源:(不明)
分離者:(不明)
分離・実用年:不明(3号酵母と同時代)
江田の文献中に「旧4号」「新4号」と併記されていまして、私もこの文献読んで初めて知りました…。
それ以外に情報を求めてみたところ、以下の赤尾先生の文章中に辛うじて痕跡が認められました。元は同じ江田の報文かと思います。文中にも記載がある通り、醸造協会にも菌株が残っていない、本物の「幻の酵母」です。
4号酵母(新4号酵母)
分離源:広島県内酒造場
分離者:江田 鎌治郎、小穴 冨司雄
分離・実用年:1924年(大正13年)
広島県内の酒造場から江田らによって単離され、(旧)4号酵母の欠番後に協会酵母として認められた(新)4号酵母ですが、由来の酒造場の詳細は不明です。現存していれば発祥蔵として名乗りそうなものなので、既に絶えたものと思われます。そのため特にアピールされることも少なく、1~5号の中でも一段と影の薄い4号酵母……。なお下記引用にありますが、旧4号酵母との関連性は全くないものだそうです。
江田の報文では以上のような説明があります。1号酵母が一般酒造向けとされており、4号はさらに扱いやすいとのことですから、変性によって使用が中止されなければ、もっと広く使われていたのかもしれません。3号酵母と同じく1931年(昭和6年)に頒布中止となっています。
5号酵母
分離源:賀茂鶴
分離者:江田 鎌治郎、小穴 冨司雄
分離・実用年:1923年(大正12年) → 1925年(大正14年)より頒布
醉心よりも西、今も酒蔵地域である西条(東広島市)に複数の蔵を構える「賀茂鶴」から5号酵母が単離されています。
賀茂鶴もまた大正期の「全国酒類品評会」で好成績を収めており、大正10年の品評会では優等賞の1位~3位を独占。そのため賀茂鶴で使用されていた酵母が優良酵母として選抜されたと考えられます。
特徴としては、発酵能が若干弱いものの、香気特によく、果実用の芳香が出るために優良酒に向くとされています。賀茂鶴においても、5号酵母を用いた商品開発の際には発酵力の弱さに苦労したとの逸話が紹介されています。
後述の6号酵母が頒布と同時に酒造業界を席巻したため、5号酵母の頒布は1936年(昭和11年)に終了しています。
上述の「広島錦」と「5号酵母」による”オール広島産の日本酒”として、賀茂鶴より「広島錦」はじめいくつかの商品が販売されている他は、5号酵母の酒としては試験醸造程度の商品があるのみです。
6号酵母
分離源:新政
分離者:小穴 冨司雄
分離・実用年:1925年(昭和5年) → 1930年(昭和10年)より頒布
5号酵母までは西日本の蔵から分離されてきた協会酵母ですが、6号は一転して東北、秋田の「新政」から採取されています。そして現在でも頒布が続いているきょうかい酵母としては「最古の酵母」です。
酵母の特徴としては「発酵力が強く、香りはやや低くまろやか、淡麗な酒質に最適」としか日本醸造協会のサイトには書かれていないのですが、新政公式サイトでは以下のように記載されています。
1~5号までの酵母に比べ低温耐性が高く、また技術の発達により低温発酵による高品質の清酒造りが行われるようになったことも追い風となり、6号酵母が席巻した理由の一つと考えられます。
低温発酵がもてはやされるようになった経緯については、新政・蔵元の佐藤祐輔氏が以下のように記述していました。
6号酵母が新政より採取・分離された経緯も、上記引用した報文や、新政公式サイトに記載がありました。他の蔵と同様に、品評会や鑑評会で優秀な成績を収めたことが採取のきっかけのようです。
ちなみに同サイトには5代目の佐藤卯三郎(後に五代目卯兵衛)が「大阪高等工業学校」(現・大阪大学工学部)にて、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝と同窓生で、同校には「西の竹鶴、東の卯兵衛」という学業成績の優秀さを讃える言葉があった、と記載されています。この5代目の技術研鑽が上述引用にある優秀な成績に繋がり、6号酵母の採取に至ったとされています。
秋田の酒造技術についてまとめた報文中にも、6号酵母と佐藤卯兵衛の話が掲載されていましたので、少し長いですが引用します。
余談ですが、大阪大学にはかつて「醸造(学)科」があり、大阪醸造学会→日本醗酵工学会→日本生物工学会となった経緯があります。大阪大学大学院工学研究科生物工学専攻のサイトにて、その歴史が掲載されていましたので紹介しておきます。
新政酒造は8代目の佐藤祐輔氏が蔵に戻ってから大きな改革を続けて注目されるようになりましたが、2009年(平成21年)の酒造年度より、使用酵母を6号系に限定しています。No.6というアイテムは当然6号酵母の「6」に由来しているのですが、デザインとネーミングとその特徴的な味わいから、酵母のことを知らない人にも広く認知されているかと思います。
6号酵母は現在でも頒布されている酵母ですが、一時は頒布中止も考えられていたものが、新政による多くの特徴的な商品群によってその性質が見直され、使用する蔵が増えたために息を吹き返したそうです。
新政の他にも6号系の酵母を用いた清酒は多くありますので、特に紹介はせずにおきます。
1~5号と異なり、6号および7号、9号以後のきょうかい酵母は(8号については後述)遺伝系統上では同じグループに属しており、6号を祖とする説と、6号と7号の共通の先祖がいたと考える酒総研・赤尾先生の説がそれぞれ確認されました。6号酵母が日本全国の酒蔵に広まったため、その系譜に連なる7号以後の酵母が発生した、というベースは同じみたいですけど……。その辺りの話は次の-酵母②-の7号酵母の方で紹介します。
当初10号くらいまでを①でまとめるつもりでしたが、6号酵母で急に情報が増えまして既に1万字を超えたので、一旦リリースしようと思います。
②では15号くらいまで行けたらいいかなぁ…。