【21】清酒醸造の微生物(2) -麴菌①-
【14】~【20】と7回にわたって長々と酵母の話を進めましたので、清酒醸造における重要な微生物のもう一方の主役、麴菌について紹介したいと思います。基礎的な話を①で、その他研究に関わる部分を②で書いていく予定です。
酵母が比較的ダイレクトに香味といった酒質に影響する一方、麴菌はその前段階であるコメの溶解に大きく関与しています。香味に直接影響する要素もあるのですが、米麴をどのように造るかが酒屋の技術であって、種麴は種麴屋の専門領域として扱われていた背景もありまして、酵母ほど様々な取組とバリエーションが表に見えていない印象があります(もちろん種麴屋の中では多数の菌株とデータが蓄積されているのですが)。
近年では地域の特性を出そうということで、複数の公設研究機関でオリジナル麴菌の開発も行われるようになってきましたが、生体構造も酵母に比べると複雑であり、取組としてはまだ珍しい部類に入るかと思われます。
後述のように、清酒に限らずさまざまな発酵食品で用いられる麴菌ですが、基本的には清酒醸造に関するトピックスを取り上げようかと思います。
麴とは
はじめに「麴」とは、「米・豆・麦などの穀物に麴菌というカビを繁殖させたもの」で、「アジアの醸造文化の根底を成すもの」とされます。日本では「散こうじ」、大陸では「麯(曲)」と呼ばれる「餅こうじ」の形態が主で、それぞれ使用する菌も異なっています。
日本の醸造産業で用いられる麴菌には主に黄麴菌、黒麴菌、白麴菌とありますが、これらは全てAspergillus属に含まれ、作る胞子(実際には「分生子」で厳密には異なりますが、以後の説明において胞子という単語を使用します)の色の違いから分類されているものです。
なお、「こうじ」という漢字には「糀」というものもあります。日本で作られた国字で、米にコウジカビが「花が咲くように生える様子」から生まれた漢字です。したがって米麴に使うことが多く、それ以外の場合には用いられません。
余談ですが、鰹節の製造に用いられるのもカビで、同じAspergillus属のAspergillus glaucusといいます。
黄麴菌
ニホンコウジカビAspergillus oryzaeの他、ショウユコウジカビAspergillus sojae、タマリコウジカビAspergillus tamariiなどがいます。A. oryzaeは清酒に留まらず焼酎、醤油、味噌など幅広く使われていますが、A. sojaeは大豆タンパク質の分解能が高く、醤油・味噌など大豆を利用した発酵食品に多く使われ、A. tamariiはたまり醤油に使われる菌です。
黄色い胞子といいながら実際には白っぽいものや緑色を示すものまでありますが、米麴を造る段階では胞子ができるほど繁殖させないので、白っぽいイメージがあるかと思います。
A. oryzaeの発見の経緯については、先の投稿【12】にて記載しておりますので、そちらをご覧ください。
黒麴菌
泡盛の製造に用いられてきた黒麴菌アワモリコウジカビですが、かつてはAspergillus awamoriという分類になっていました。しかし、その中にはクロコウジカビAspergillus nigerに属する、泡盛とは縁のない菌種が混在していたことがわかり、分類を進めた結果、A. awamoriという分類は廃止、混在していたA. nigerなどを除いた菌種をAspergillus luchuensisとし、これが国際的に認められるようになりました。
黒麴菌A. luchuensisは、その名の通り黒い胞子を形成します。そして黄麴菌A. oryzaeとの違いが下記のように現れるのです。
1914年(大正3年)、大蔵省醸造試験所の技師・善田猶蔵が、泡盛黒麴菌はクエン酸を造り、生産性、酒質良好なため、黄麴菌の代わりに使用することを焼酎製造者に推奨しており、黒麴菌は泡盛に留まらず焼酎造りへも普及していきました。現在では、クエン酸の風味を生かした高酸度の清酒造りに用いられることもあります。
白麴菌
黒麴菌のうち、胞子形成の際に黒色ではなく褐色の胞子を作るようになったアルビノ変異株とされています(白麴と言いながら白い胞子をつくるわけではありません)。
1924年に、河内源一郎が培養していた黒麴菌の中から突然変異した菌を発見しましたので、Aspergillus luchuensis mut. Kawachiiという名前になりました(Aspergillus kawachiiと記載されているものもありますが、A. luchuensisの変異株として扱います)。
白麴菌は醸造工程で作業服への汚れの付着が少ない使い勝手の良い菌として、1950年代に九州地方に広まり、焼酎メーカーの多くが利用するようになりました。先述の黒麴菌同様、特色ある清酒醸造にも用いられるようにもなっています。
A. oryzaeのアルビノ変異株もありまして、こちらはもっと白くなります。使用する米麴の色を気にする甘酒や塩麴などで用いられる菌株ですが、分類上は「黄麴菌」です。ただ業界によってはそれを「白麴」と呼ぶところもあるらしく、話の齟齬が起こることもあるそうです。
紅麴菌
紅麴菌ベニコウジカビはAspergillus属ではなく、Monascus属に分類されるカビの一種で、M. pilosus(日本)、 M. purpureus(中国)、M. ruber(台湾)などが用いられています。
赤色の天然色素の原料として用いられてきましたが、GABAの含有やコレステロール抑制効果なども認められ、健康食品としても扱われています。
清酒においては、麴米の一部に紅麴を用い、紅麴菌が生成する紅色色素を利用した赤色の清酒が商品化されています。
日本で用いられる麴菌(黄・黒・白)とは属から異なる種になるのですが、デンプン質にカビを生やしたものを「麯(曲)」とした大陸の影響で同じ「麴菌」という表現になっています。
カビ毒と麴菌の問題
上述の通り、黄麴菌A. oryzaeはカビの一種でして、自然界に良く似たカビの菌種が存在しており、一般にAspergillus属糸状菌として分類されています。
黒麴菌や白麴菌、他にも様々なAspergillus属が、日本をはじめとする東アジアの食品発酵産業で用いられています。また近年では有用酵素生産の宿主としても注目されています。
しかし全てのAspergillus属が人類に有益なわけではなく、危害を与えうる厄介な連中もいるのです。以下に示す事件は最もその規模が大きいものでした。
”Turkey X” -Aflatoxin-
1960年、イギリスで輸入飼料を食べた七面鳥が10万羽以上死ぬという事件が起こりました。原因がわかるまでは「七面鳥X病(Turkey X)」としてセンセーショナルな名前が付きましたが、原因はAspergillus flavusによるカビ毒(マイコトキシン)でした。この物質は、最初に発見された産生菌の名前からAflatoxinと名付けられました(A. fla+toxin(毒))。
アフラトキシンはB1, B2, G1, G2など10数種の関連物質の総称で、強い発ガン性物質であることがわかっており、実際にこのカビ毒によりヒトが亡くなった事例も海外では報告されています。
A. flavusの他、A. parasiticusなどが産生菌として知られていますが、これらの”穀物汚染菌”と同じAspergillus属であり近縁種である「カビ」(A. oryzaeやA. sojae)を使っている日本の醸造産業は大丈夫なのかと、この事件の後には大きな騒ぎになりました。
麴菌は長く使われてきた菌で、カビ毒を作らないことは経験的にはわかっていました。しかしこの問題に対しては、1960年代から1970年代にかけて産学官協同して膨大な研究を行い、これら麴菌がいかなる環境においてもカビ毒を産生しないことを示すことが出来ましたが、主に海外からの風評被害に対して、それを撤回するために大変な労力を要したことが想像できます。
2000年代に入り、麴菌のゲノム解析など分子生物学的な研究が進むと、A. oryzaeやA. sojaeの中にもアフラトキシンを生成する遺伝子配列と類似した配列(クラスター)が存在することがわかりました。しかしA. oryzaeにおいてはアフラトキシン生産の転写制御因子であるaflRおよびaflJ遺伝子が存在しないか、または変異により、転写およびタンパク質機能レベルで2重にアフラトキシンを生成できなくなっていることがわかりました。これによって、物質レベルで証明されていたアフラトキシン非生成について、分子レベルにおいても証明されました。
A. sojaeについても、同様に分子レベルでアフラトキシン非生成が示されています。キッコーマンWEBサイトで紹介されている記事のリンクを紹介しておきます。
A. oryzae群においては、カビ毒(22種類)について、醸造条件を含む11の培養条件で生産されない(検出限界以下である)ことが2020年~の独立行政法人酒類総合研究所の試験において確認されています。
そして現在、A. oryzaeはアメリカ合衆国FDA(Food and Drug Administration:食品医薬品局)よりGRAS(Generally Recognized As Safe)としても認定された安全で有用な微生物となっています。
その他麴菌が生成するカビ毒
A. nigerの中には、オクラトキシンやフモニシンといったカビ毒を生成するものがいることがわかり、黒麴菌A. luchuensis(とその変異株である白麴菌)においての安全性を確認する試験が行われました。結果としては、遺伝子型が異なっており、それらのカビ毒を生成しないことが証明されました。
旧分類のA. awamoriではA. nigerに分類されるクロカビも含まれていたために、カビ毒生産菌がいるのではないかという話になったのですが、A. luchuensisとA. nigerにはっきりと分かれたため、実用黒麴菌においては安全であると示されています。
紅麴菌Monascus属においては、腎機能へダメージを与えるシトリニンを生成するものがいますが、日本で使われているベニコウジカビM. pilosusについては、こちらもやはり遺伝子的に生成能を失っていることが明らかにされています。
麴菌の「家畜化」
ここまで記載したように、麴菌の近縁種にはカビ毒を生成する”親戚”がおりまして、近年では、元々カビ毒を生成した種から「家畜化」によって分化して、ヒトにとって有益な菌が独立したという説があります。
A. oryzaeはA. flavusが「家畜化」によって無毒化して生まれたのではないか、という説が唱えられていましたが、東京工業大学の研究では、種の分化は祖先株における有性生殖によって生じたもので、人による育種ではそこまでの系統変化は生じていないと考えられる、ということです。
国菌としての認定
2004年(平成16年)に一島英治が「麴菌を国菌に」と提唱しました。
国花としては桜または菊、国鳥は雉、国魚は鮎、国蝶はオオムラサキ、などありますが、それらと同じように「国の菌」として「麴菌」を、というお話です。下のリンクから全文が確認できます。
この提言を受けて、2006年(平成18年)に日本醸造学会が麴菌を「国菌」として認定しました。この年の総会にて議案として取り上げられ、承認多数で決定したと記憶しています。
後述しますが、麴を用いて作られる酒造りを国としても持ち上げていますので、一学会の提言に留まらず、国がプロジェクトを組んで動いています。
国菌としての麴菌の定義
国菌として認定した「麴菌」とは以下の通りです(2013年(平成25年)に上述の黒麴菌に関する分類から一部内容が改められました)。基本的に清酒、醤油、味噌、焼酎、泡盛など日本の発酵産業に用いられている麴菌たちです。
日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術について
”日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の無形文化遺産登録とユネスコ無形文化遺産への登録に関する活動”をきっかけに、「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の保存会」が2021年(令和3年)4月に設立されました。設立目的は以下の通りです。
2024年4月時点でまだユネスコ無形文化遺産への登録は達成されていませんが、国を挙げて様々な取組をおこなっていまして、その産物としてよく私が利用しているのが以下のページに掲載されている調査報告資料です。
下の方へスクロールしていくと、以下の記載があります。
調査報告(全文)(PDF/2,120KB) と 日本の伝統的なこうじ菌を使った酒類に関する主な事項の年表(PDF/372KB) については、国の公式資料で現在の識者が記したものですので、教科書としても最適です(と勝手に思っています)。
麴の役割
述べる順番が違う気もしますが、まず「麴」の役割とは何でしょうか。
麴と麴菌
酒類に限らず醤油や味噌でも用いられる「麴」ですが、麴菌を用いることで何が行われているのかというと、各種麴菌が持つ酵素遺伝子が原料によって異なる酵素を菌体外に大量に分泌しており、その酵素を利用しているのが「麴」です。
A. oryzaeにおいて、液体培養と固体培養で発現する遺伝子が異なり、液体培養では固体培養に比べて酵素製成量が大きく減ることが報告されました。現在の麴造りにおけるストレス環境こそが、麴菌の酵素分泌を生み出していることが分かったというのは面白い話ではないでしょうか。
グルコアミラーゼについては詳細は上記文献を読んでいただくとして、他の酵素も培養条件の違いで分泌する種類が変わるため、同じA. oryzaeでも、米か麦か、はたまた他の材料かで酵素の生成バランスが変わるそうです。
米も精米歩合によって栄養条件が変化しますので、大吟醸のように磨けば磨くほど酵素の比率は変化するものの、総力価としては低下していきます。
特定の酵素だけを多く作るというのも難しいらしく、近年の大吟醸麴によく使われるグルコアミラーゼ高生産菌ですとチロシナーゼも増えてしまい、麴の褐変や黒粕の原因になると言われています。大吟醸粕が黒くなると商品価値が落ちるため、糖化酵素を出しつつチロシナーゼを抑制できる菌株の要望はありますが、実現には至っておりません。麴菌からしてみれば、発芽して生育していくための環境下で様々な酵素を出していく必要があるわけで、そう簡単に人間の思う通りにはなりませんわね。
なので種麴屋さんでは、複数の菌株の種麴をブレンドして商品化し、酵素のバランス調整をしています。
酵素とは
普通に酵素酵素と連呼していますが、以前にも書いたように「こうじ・こうそ・こうぼ」と名前が紛らわしくて、よく混同されています。
…とまぁ難しい言葉が並ぶのですが。酵素は生物ではなくタンパク質で、麴菌に限って言えば、麴菌の酵素は「はさみ」に例えられ、デンプンを糖類へ、タンパク質をアミノ酸へ分解するはたらきがあります。
タンパク質ですので高温下では変性してその機能が失われます(=失活)。清酒の火入れは酵母や火落菌の殺菌だけでなく、生酒中に残存する酵素を失活させる作用もあるのですが、生物相手の殺菌と同時に行われるため、酵素自体も生物と勘違いされることがあるようです。
清酒麴は米のデンプンをどう溶かしていくのか、という点からアミラーゼ(デンプン→糖類へ分解する酵素)が重要視されます。プロテアーゼ(タンパク質→アミノ酸へ分解する酵素)は、どちらかというとあまり多くしたくない(そもそも米を磨くのも雑味の原因となるアミノ酸とその供給源であるタンパク質を減らすため)ので、プロテアーゼは抑える傾向があります。
醤油麴の場合は大豆や小麦をどれだけ溶かすかが要求されるので、プロテアーゼの方が意識されるそうですが、他の発酵産業の麴を比較した場合、どちらかというと清酒麴の方が特異的な酵素バランスとなっているのだとか。
分解できる物質が異なる(基質特異性と言います)ので、麴の原料となる物質により作る酵素が変わるのは先述の通りです。そして水分量や生育温度によっても作る酵素が変化します。その辺りが米麴造りのポイントなのは言うまでもないでしょう。
一旦ここまで。
次回-麴菌②-で、麴菌の研究やら何やらを触れていこうと思います。