あなたを想い焼いた日々
あなたは、推しと同じ朝を迎えた時を想像したことがありますか?
私はあります。
めくるめく夢のような夜を過ごし、推しの隣で目覚める朝。
私はきっと推しに朝食を用意するでしょう。
炊きたての白ご飯、お味噌汁、焼いたお魚、お浸し、そして…
卵焼き!!!!
卵焼きを焼いていると、匂いに誘われ起きた推しが、私をバックハグするでしょう。
その時私は卵焼きを、まさか、ヘラで作っていては素敵な朝も台無しじゃないですか。
推しとの朝を素晴らしいものにするためには、お箸で卵焼きを焼かなければならない。
ーこれは私が、推しを想いお箸で卵焼きを焼く練習をした、数十日間の記録である。
私は2児の母であり、夫の妻。
変わり映えのしない毎日。社会にいた頃と異なり、主婦になってからは何の達成感もなく子育てと家事に奔走していた。
特別料理が上手だったわけでもない、むしろ苦手だし、卵焼きはヘラで焼いていた。
来る予定もない推しとの朝の練習を始める事にした。
ペチャンコ迷走期
始めたはいいが、箸で卵焼きなど作ったこともなく、どんな調味料で味を付けたらいいのかもわからない状態。
とりあえず醤油と砂糖で作ることとした。
この期間Twitterにて、あらゆる人々にアドバイスをもらった。
スクランブルエッグを最初に作って、それを軸に巻くといいと教えてもらい、しばらくはスクランブルエッグの軸を使った。
厚みが生まれていい感じ。
この辺はマヨネーズも入れていた。
しかし、私は考えた。
「マヨネーズはチートではないのか」
確かに上手にできるけど、焼く前に推しが起きてきて卵液を混ぜる時に、ブリュリュリュとマヨネーズを出すのはいかがなものか。
マヨネーズをやめた上である程度卵焼きらしい形になってきたが、安定はしない。
目標は7日間安定した卵焼きを作ること。
今日は成功したけど、翌日は上手くできなかったというのは許されない。
この頃はまだ、鍋を振って巻くことも出来ず、味も安定せず、ただただ毎日卵焼きを焼く感覚のみを作っていた。
弘法筆を選ばず、実家への帰省
卵焼き器の色が変わったのがわかるだろうか。
年末年始に実家へ帰ったのだ。
私はそれでも毎日卵焼きを焼き続けた。
実家の卵焼き器はかなり安定しているが、弘法筆を選ばず。私はどの卵焼き器でも安定して卵焼きを作れるようにならないといけない。
2021年年末、今まで模索していた味付けが安定する。
推しのトークイベントライヴ配信にて、質問を受け付けるコーナーがあった。
確か2500円程支払って私は「しょっぱい卵焼きと、甘い卵焼きどっちが好きですか」と聞いた。
推しは「しょっぱいのが好き」と言った。
これ以降、私はしょっぱい卵焼き、所謂だし巻きを作ることとなる。
目指せプロの味
だし巻きを作るにしたって不安定である。
特に40日目は巻けてさえいない。
そもそも形成に問題があるように思えたので、私はコネを利用し、板前に直接教えてもらうことにした。
一目瞭然の違いである。
プロと素人の差を見せつけられた。
板前は格好よく鍋を振ってコロンコロンとひっくり返していたので、私もやはり鍋を振るべきだと感じた。
そして、その日はやってくる。
やっちまった。
いきなりは無理だった。
今まで箸の力のみで巻いていたので、いきなり振るのは困難だった。
もう誰にも愛されないと思った。練習したいのだが、慣れない方法で歪さも増している。
あまりにモチベーションが下がりすぎたので、帰省先から自宅に戻ってからは、一旦鍋振りの練習をやめて、従来のやり方でやった。
しかし、板前が格好よく卵焼きを巻く姿を、どうしても真似したくて、再び鍋振りの練習をする事にした。
目に見えてぴしゃんこになっている。
鍋振りを継続すること1週間。
コツを掴んできた。
手首の動かし方、箸の位置。
この頃には中身はスクランブルエッグではなく、巻いて軸を作り、そこに重ねる事ができるようになっていた。
鍋振り巻きの習得、そして愛しいものへ
長かった。
味の安定から、焼き方、そして鍋振りの習得まで、2ヶ月かかった。
今では安定した卵焼きを焼くことが出来る。
推しに食べさせる日は来ないかもしれないが、我が子が幼稚園に入園し、週に1度のお弁当の日、習得した卵焼きの技術は役立っている。
夫も私がよその男を思いながら焼いた卵焼きを、美味い美味いと食べてくれている。
本当は、いつか推しにバックハグされながら焼きたいものではあるが、今は我が愛しき家族たちが美味しいと食べてくれるなら、それはそれでいいかと思っている。
箸で焼くことができれば、洗い物も減るしね。
現在の卵焼きの中身
・卵2個(本当は3個使いたいが経済的に)
・和風だしの素(目分量)
・水(目分量)
・醤油(目分量)
・推しへの愛(めいっぱい)
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