恩を仇で返す人
人は、誰かのために何かをしてあげる事を「恩を売る」などと言う。そして、してあげたその行為に対しての見返りを求めてしまうものだ。
しかし、良かれと思ってしてあげたことも、恩を感じられることはなく、むしろ疎ましく思われてしまい、恩を仇で返されることがある。
すると「●●してやったのに…」と憤慨することになる。
「恩を仇で返された」という気持ちだ。
その人のためにしてあげたことなのに、恩を仇で返される経験をしたことはないだろうか。
■恩を仇で返す
「恩を仇で返す」とは、恩を受けた人に感謝するどころか害を加えるような仕打ちをすることだ。仇(あだ)とは、仕返しをしようと思う相手のこと。敵、あるいはかたきのことだ。
この「恩」という言葉は、人の感じ方によって大きく変わることがある。つまり自分が思っているほど相手は恩を感じていないことがあるということだ。
逆に有難迷惑だと思われていることだってある。
「恩」とは、人から受けた感謝すべき行為、恵み、或いは情けのこと。問題になるのは、自分が恩を与えたと思い込んでいるだけの場合だ。
相手が恩だと感じていないのであれば、「仇で返した」という自覚もないだろう。こちらの気持ちだけで相手に見返りを求めてしまうことは実社会でもよくあることだ。
■恩を売る
誰かのために良かれと思って何かをしてあげる。それが「恩」として成立しているかどうかは相手にしか分からない。そこには世間一般の常識では測れないものがある。
こちらがいくら良かれと思ってしてあげたことでも、相手にとってどう捉えられているのかは相手にしか分からない。
世間的に見て、たとえそれが「恩」だと思えても、相手がそう思っていなければ「恩」は成立していない。
つまり「恩」は売るものではなく、「相手が感じるもの」ということだ。相手の感じ方次第だ。「恩着せがましい」という言葉があるように相手に恩を着せるのはこちらの思い込みに過ぎない。
■恩を着せる
人に何かをしてあげた時、相手に感謝されたいという感情が湧いてくる。恩を売ると、必ずお返しを期待することになる。
しかし、恩は着せるものではなく、相手が自ら着るものだ。着るか着ないかは相手の自由だ。
こちらのお返しを求める露骨な感情を受け取った相手は「恩着せがましいな」という気持ちが膨らみ反感を抱くことになる。
このように見て行くと「恩」というものは不確かで厄介なもののように感じてしまうが、本来は日本人が持つ「義理」という感情から生まれている。
義理を感じるからお返しをしたくなるということは悪いことではない。「恩を売る」のではなく、相手が義理を感じてくれるような関係性が元々成立していたなら、何も「恩を仇で返す」ことにならずに済むのかもしれない。
「恩」は相手に売るものではなく、自分が感じるものであるという考え方が、お互いにとって平和的で温かいもだと思う。
その方がきっとお互いが楽になるのではないだろうか。
■まとめ
恩を仇で返された、という感情は極めて浮薄なものだ。「恩」というものが不確実なものだから。
「恩」は自分の持ち物ではなく、相手の持ち物だ。一方的な思い込みは自分の心を怒りと不安で膨らませる。
「恩」を自分の持ち物にしたいのなら、最初から売らないことだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?