人生は偶然なのか必然なのか?
自分の人生を振り返ると、今の自分というものが数々の偶然の上に成り立っていることに気づく。
さらに遡れば、自分のルーツであるご先祖様から延々と続く偶然の繋がりというものがある。
自分という存在は、その延々と続いた偶然の繋がりが創り出したものだと言える。
つまり自分というものが存在するためには、「偶然」は「必然」であったということになる。
もしも、あの時●●だったら…、今のわたしは存在しない。
自分という存在を起点とするならば、この世界は全部「必然」で出来ていると考えられる。
小林正観さんという方の「宇宙方程式の研究」という本の中で、人の死期が見えるようになったお話が書かれている。
病気を患っていて死ぬのなら分からなくもないが、突然の事故死で亡くなる人の死期も見えたと言う。
そして小林さんは、人生は生まれる前からシナリオが決まっていることに行き当たる。
人生が決まっているのなら、生きる意味なんてないじゃないか、と思ってしまうが、偶然の死から遡ると、そこに至るまでの必然が見えて来る。
起った「偶然」を起点にすると、その前に起こった事、そのまた前に起こった事、遡って全てがまるでオセロの駒が白から黒に変わるように「必然」へと入れ替わることになる。
もっと分かりやすく言なら、原因を遡るということ。
今起っていることの原因は?
そのまた原因は?
そのまた原因は?
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「原因」と「結果」の積み重ねだ。
起る出来事だけではなく、人間関係(心)にも原因と結果が存在する。
しかし、わたしたち人間は原因を直視しようとしない傾向にある。
結果ばかりに心が行き、原因を見ようとしない。そして、その結果がまた新たな原因となってしまう。
自分という存在は、生まれる前から「必然」というものが創り出しているのかもしれない。
もしも起こることが必然であるなら、じたばたせず風に向かって受けて立つしかない。
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