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2024年3月

一年の4分の1が終わった。今月は大物の家具を買ったのと、ラマダン月が始まったのでめちゃくちゃあっという間に1ヶ月が通り過ぎた。


「針からミサイルまで揃う市場」アタバへ

カイロのダウンタウンに「アタバ」という巨大な市場がある。十数キロ四方に及ぶエリアで、数百、あるいは数千の小さな店や露店がひしめいており、ここで買えないものはないと言われている。
以前から興味はあったけど、エジプト人の友達からは一人で行くなと言われていた。値段交渉前提で外国人だと高値をふっかけられることが多く、混雑がすごくてスリが多発しているためだ。

Arab Weekly より引用 / AFP

ここに、ひょんなきっかけで出かけることになった。
エジプトで見かける工芸品のついたて。
リビングとワークスペースを仕切るために購入したいけど近所で売られているのは高すぎると友達に相談したら、その子のママが「アタバで見たことがある気がする」と言っているという。

行くならラマダンの前がいいということで、その話をした2日後に早速出かけた。週末の午後、友達親子と待ち合わせしてアタバ内を歩く。
観光客や若者向けの露店エリアには目もくれず(偽ブランドのバッグや服、謎グッズなどを売ってる)周りの人と会話しながらどんどん進んでいくママ。アタバの中はなんとなく商品ごとに区分けされていて、たとえばトロフィー屋の近くには同じようなトロフィー屋が、照明屋の近くには照明屋が少なくとも5-6軒以上集中している。
買う方からすると何軒も回るのは面倒ではあるが、品揃えも担保されるし、何より自然と価格が適正化するのだろう。よくできていると思う。

大通りから15分ほど歩き、見落としてしまいそうな細い路地から家具屋エリアに突入した。100店ほどの小さな店がひしめき合っている。
店頭には完成した家具もあれば、作っている途中のものも。その中に見つけた…、私が欲しかった透かし細工のついたて!

似たようなデザインのものを近所では25000ポンド(以前の相場で125000円)で売っていたのだが、ママが交渉した結果、なんと4000ポンド(その日の相場で12000円)で買えた。10分の1以下の価格になったのだ。なんてクレイジー。これぞエジプト!
仕上がっているものなら3000ポンドでいいよと言われたが、濃い色が欲しかったので未塗装のものを塗装後に納品してもらうことに。

この透かし細工がエジプトならでは

交渉中は真剣勝負なので写真も撮れないし浮かれた顔はできない。でも私は内心、ワクワクを押し殺すのに必死だった。エジプシャンママはめちゃくちゃ交渉上手でクールだった。

その後は、せっかくアタバにきたんだから、ということで周囲を散歩。ラマダンの飾りやカーテンのタッセル、スープ用のお皿、可愛いかご、ステンレスのフライパンなどどれもびっくりするくらい安く購入できた。

エジプトでは「ありがたやありがたや」のニュアンスで「アルハムドゥリラ」と言う。アッラーのおかげ、という意味だ。帰り道、私はずっとママにアルハムドゥリラと唱えていた。マジでハムドゥリラ。

ラマダンムードのテーブルライナーとクッションカバー
ド派手サイン。中のカラフルな電球がピカピカする
葦だったかな?植物を編んで作るカゴと敷物、カイロの至る所で売っているけど可愛いデザインのものを見つけてゲット。写真を撮っていると割り込んでくる猫
ラマダンの時期特有の「ハヤメイヤ柄」のクロス。この鏡に合わせてついたてを買いたかったのだ

ちなみについたてはラマダン月開始後3日目に予定通り届いた。出来立てほやほやでまだニスのかおりが残っていた。
ラマダン後と言われても仕方ないと思っていたけど、あっという間に届いた。

ちなみに、今年買おうと思っていたものの一つに、ついたての他に大きな鏡がある。エジプトでは出来上がった鏡を買うこともできるけど、額縁屋さんなどでオーダーするのも結構気軽に行われている。
友達が家に掛けていた大きな鏡もオーダーメイドだと聞いて、いつか我が家もと思っていた。

そしてついに今月、トライした。近所の額縁屋でサイズを伝え、フレームを選ぶ。5日後に、スタッフが二人がかりで持ってきて、壁に設置までしてくれた。
230cm x 170cmの特大サイズだ。
あまり値段のことばかり言うのは気がひけるのでここでは書かないけれど、びっくりするほどお安く作ってもらえた。

Before
After

ついたてと鏡が増えたことで一気にアップデートされて、リビングがますますお気に入りの空間になった。
息子は毎日鏡の前で踊っている。

めちゃ重い。その重厚感もまたよし


ラマダンカリーム!

3月11日、ラマダン月がスタートした。断食のイメージが強いラマダンだけど、ムスリムの人たちにとってはアッラーに近づき、心を寄せ合い、毎日のように友人や家族と集まるとても楽しい1ヶ月。
「Ramadan Kareem」「Ramadan Mubarak」などがお祝いの言葉だ。
我が家はこれで4回目のラマダン。私たちはムスリムではなく、断食はしないけれど、国中のお祝いムードをちょっとだけ分けてもらっている。家の中をデコレーションしたり、日没後の食事(イフタール)に招かれたり、招いたり。下町の方では路上に1キロほどテーブルを並べて行われることもあるし、恵まれない人が無料で参加できるイフタールのテントもそこここに見られる。

日没に合わせて友人が集まる
息子と二人でガラベイヤ。私のはお友達親子がプレゼントしてくれたもの!


去年までと少し違うのは学校の様子だ。息子は今Grade3なのだが、クラスメイトのほとんどが今年から断食しているらしい(大体10歳前後で開始する子どもが多い)。もちろんキリスト教徒の子どもたちや、年下の子どもたちは断食をしないが、ラマダンが始まった最初の2~3日は教室でスナックを食べたり水を飲んだりするのが申し訳ない、と少し悩んでいた。
でもムスリムの子どもたちにとっては「たとえ他の人が飲食したとしても我慢でき、他人の選択を尊重できるのが大人の証」らしい。今はお弁当箱を空っぽにして帰ってくるので、彼なりに折り合いをつけたようだ。

印象的だったのは、近所に住むクラスメイトのご家庭から招かれたイフタールでの一幕だ。
日没を告げるアザーンが聞こえると、家族が一斉に集まり、フルーツジュースやデーツで緩やかに血糖値を上げながら食事の時間が始まる。
その後、お父さんの先導でお祈りの時間になったのだが、驚いたことに息子もちゃっかり一緒にお祈りしていた。去年たくさんエジプト人の友人にモスクに連れて行ってもらい、お祈りにも参加していたので慣れたものだった。(先方の家族も驚いていた)

特定の宗教に入信するかどうかとか、ムスリムではないのにラマダンやお祈りに参加することの是非とか、大人はあれこれ考えてしまう。でも、本質はそこにはないと思う。
相手の信仰をリスペクトする。友人と共に、ただ心地よく機嫌よく祈る。
こういう感覚は本で読んだとしても絶対にわからないし子どもならではだと思う。多様な文化の中で生きていることのありがたさを実感している。しなやかに朗らかに成長している息子が頼もしい。

エジプトの母の日

エジプトでは3月21日が母の日だ。エジプト人には反抗期がないという人もいるくらい、みんなママが大好きだ。
母の日に合わせて、ショッピングモールや学校などで色々なイベントが行われていた。
息子は学校でたくさんのギフトを作って持って帰ってきてくれたし、街中ではお菓子屋さんがミニギフトをくれたり、行きつけのビューティーサロンではお花をプレゼントしてくれたり、とってもハッピーな一日だった。

プレゼントを両手に抱えてスクールバスから降りてきた息子

ムーンちゃんとの出会いと別れ

楽しいことだらけのラマダン月だが、つらいこともあった。
息子のバスケの練習の帰り道、母猫に捨てられた子猫を見つけた。まだ産まれて数時間も経っていないだろう。初乳も飲んでいなそうで、アパートの軒先でか弱く鳴いていた。

遠くから母猫と思われる猫が見ていたが、近寄ろうとしない。息子はかなりショックだったようで、泣いていた。少し離れた場所から30分ほど見守ったが、結局母猫は戻ってこなかった。このままだと夜になり、子猫は死んでしまうだろう。野良犬に食べられてしまう可能性もある。
そのままにしておけず、息子のジャケットに包んで保護した。ラマダン中ということもあり近所のアニマルクリニックの電気はもう消えていた。仕方なくペットショップに連れて行くと、手書きのメモを手渡され「これを買って飲ませなさい」という。指定されたミルクを薬局で購入し、注射器で少しずつ飲ませた。

お腹が少しだけ白い、小さな黒猫だった。湯たんぽでベッドを温めた

夜中も続く2時間おきのミルクは、息子が生まれたころを思い出させた。里親としてなのか飼い主としてなのかは別としても、育てていこうと覚悟を決めた。ただ、運命は残酷だ。翌朝、息子がミルクをあげ、登校して数時間経った頃、子猫は静かに天国に旅立った。

息子にとって初めて、死に触れた瞬間だったと思う。私もショックだったが、下校してそのことを知った時、彼は完全にパニック状態に陥った。

信じたくない。
受け入れたくない。
でも何もできない。
もしもあの時こうしていたら。
もしもあの時こうしなかったら。

息子は2時間半ほど号泣し、怒り、神様に祈り、また泣いた。

落ち着いてきたのを見計らい、
「魂はもう天国にいるから、体をあなたが持っていたら生まれ変われないよ。少し神様のもとで休憩したら、今度はきっともっと元気な体に生まれ変わってまた会いに来てくれるはず。だから体も自然にかえしてあげよう」
と伝えた。

二人で泣きながら家の前の火焔樹の大木の根元に埋葬した。
まだ目も開いていない子猫だった。名前は目が開いてからつけようと保留にしていたが、満月の夜に生まれたことからムーンと名前をつけた。

この一件から今日で1週間が経つ。

「体の中では僕はまだ泣いているよ。でもそれを体の外に出したらムーンちゃんは戻って来れないでしょう。だから僕はもう体の外には出さないんだ」

感情をこんなふうに体感覚で捉えて言葉にできることに眩しささえ感じた。

ただでさえ日常が非日常なエジプト暮らしだが、今月は特に感情が揺さぶられることが多かった。
喜びも悲しみも全部、大切に大切に、生きていきたい。

それでは来月また。マァッサラーマ!

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