見出し画像

西欧が行った虐殺の数々(1)-スペイン編

南京がどうのこうの、フィリピンがどうのこうので「日本は悪い!」と言いがかりをつけられて、それに乗っかる自虐史観の日本人がまだ多いようですが、今度は西欧人にそんなこと言われる筋合いはないことを示しておきたいと思います。一言で言って彼らの悪行はケタが1000倍以上違います。

「昔の話でしょ?」

いいえ、そうとは言い切れないと思いますよ。今の世界をみても。基本的に共同体が引きずっている性格はそう簡単には変わりません。特に人口が多ければ。

まずは「昔」の話ですが、これが原点になって今に続いています。

(1)スペインによる大虐殺

◇インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫:ラス・カサス)

・この話は一応世界史でサラっと学ぶことが多いですが、この本を読めばどれだけ酷い話かを知る事が出来ます。この本は1493年にスペイン人がインディアス(今の西インド諸島から南アメリカ大陸あたり)に侵入してからの50年弱の現地での大虐殺の模様を、心を痛めて途中で回心した修道士ラス・カサスが国王カルロス1世に報告したものです。

・予め申し上げますが、この本は実に読むには耐えませんので、気の弱い方にはお薦めできません。今から見れば「人」の所業とは思えないのですが、まだ500年ほど前の出来事で、日本で言えば室町幕府の末期頃の話です。

・結局これ以降、欧米中では主役は変われど、大虐殺第二次世界大戦まで続きます。現在では欧米中でも国民レベルではもちろん「そんなことしてはダメ」という理解が浸透してますが、国レベル(=指導者層)は全く反省することはないので、私は今でも世界には虐殺を誘う心があると思ってます。でなきゃ核なんて持たないでしょう。
※実はもっと遡れば旧約聖書も特にヨシュア記は虐殺のオンパレードです。

・何故こんなことが平気で行われていたかというと、アレクサンデル6世の贈与大勅書(1493年)が原因と言われています。これも世界史で習うのではないかと思いますが、世界をスペインとポルトガルで分けようという話で、当時のローマ教皇アレクサンデル6世が世界地図にピュッと線を引いて両国分け与えたという内容です。そんな無体なということですが、旧約聖書(創世記15:18)では「その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。『あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで。』」とあります。もちろん、そこは空き地ではありません。誰かが住んでいました。これが今の中東問題の原点です。ちなみにその線は日本を分断しています。なので、1543年に2人ポルトガル人(名前は諸説あり)が鉄砲を伝え、1549年のザビエル(スペイン人)が鹿児島に着き領有を争っていた構図になります。
もう一つの話はインディアスの襲ったスペイン人侵略者たちは、一応ローマ教皇に「異教徒は人間ですか?」と尋ねて、教皇は「いいえ。お好きなように」というような返信をしたという話もよく聞きますが、これの根拠となる文書や史実はまだ見ていません。まあ、でもあったでしょうね。
・キリスト教徒は内戦も含めて、宗教の名の下にもっとも多くの人を殺したと思われますが、歴史の後半は宗教故にと言うよりも金目当てだったのでしょう。今も変わらないのではないか?相変わらず開戦時はわざとらしく旧約聖書の文言に引っ張ってきますから。

・日本でも戦乱はあったでしょうが、アメリカによるもの(原爆や東京はじめ全国での空襲)を除いて、これほどの虐殺はないでしょう。桁がまるっきり違います。従って、正直ピンとこないでしょうけど。主要国の中でこんな歴史を持つのは日本だけだし、皇室というを頭に戴いた徳治共同体であることに有難味を感じる必要があると思っています。日本では武士はともかく民は天皇の民であって国の宝なので、武士と言えども簡単には手が出せないし、人間を含めて森羅万象すべては天照大御神の子供であるからとも思えます。
・しかし、主要諸外国(=力のある国々)はことごとく違います。彼らは大虐殺を反省することなく今に至っているということ常に心に刻んでおく必要があります。これが政治であって外交です。

・ここにあるインディオをアメリカインデアンにスペインをアメリカに置き換えれば同じ絵柄になります。いくら貢いでも更に要求され絞り尽くされた最後には殺されてしまう、、そんなインディオを日本に置き換えると、真珠湾攻撃直前までの日米交渉、ひいては現在の日本の立ち位置に近くないかと思えて仕方がありません。

日本の伝統的な価値は重視しつつも、外交はべつでしょうね。

それでは、この本に書かれているいくつかの悪行をご紹介しますが、彼らの用いた虐殺の方法は省きます。とても書くに堪えませんので。お知りになりたい方は高い本ではないのでご購入下さい。ここで止めておくのも構いません。


ちなみに最初の主役はコロンブスです。インディアスの住民からみれば彼は黄金にしか興味のない極悪人です。アメリカではコロンブスデーという祝日がありますが、気が知れません。

■全体
・40年間で控えめに言って1,200万人がキリスト教徒が殺戮されたと思われるが、実際には1,500万人以上と思われる。
・キリスト教徒はインディオを獣より劣ると見なしていた。獣並みに扱っていてくれたらまだマシだった。そこらに落ちておる糞か、それ以下だったろう。
・ほとんどの場合、インディオはスペイン人を歓待した。自分たちの食料まで提供した。しかしスペイン人はそれは満足せず、金品も要求し、断ったり隠匿したものには叛逆者の汚名を着せて虐殺した。従ったインディオをすべてを取られた挙句に虐殺された。
・インディア側には非はなかった。逆にキリスト教徒側が仕掛けた戦争で正当なものは1つもない。

■エスパニョーラ島(今のハイチがある島)
・初上陸時点(1502年)のインディオの人口は300万人だったが、今は200人

■キューバ島
・あの広い島のかつての人口は100万人以上だったが、ほぼゼロ。恐らく200人ぐらい。

■サンファン島(今のプエルトリコ)
・かつては豊饒であったが、今は見る影もない。
・ここも人口は100万人以上だったが、ほぼゼロ。恐らく200人ぐらい。
・近隣には30を超える島が人々は全滅した。

■ハマイカ島
・かつては豊饒であったが、今は見る影もない。

■バハマ諸島
・かつては50万人いたが、今はほぼ誰もいない。

■ニカラグア
・人口稠密だが豊饒の地であった。
・老若男女・妊婦・子供まで全員を奴隷労働させ。数千人単位での犠牲者や数万人の餓死者。奴隷は食事も休憩もなく死ぬまで酷使される。
・少なくとも50万人は奴隷として売買された。
・今残っているのは5,000人程度だが、日々酷使している。

■ヌエバ・エスパーニャ(中米からメキシコと思えばいいか)
・侵入後12年間で400万人が殺戮された。(メキシコ付近のみ)

■グアテマラ
・すべての中で最悪の虐殺だった。
・11年間で200万人以上を虐殺。今残っているのは2000人ほど。彼らも日々酷使されているので全滅は目前。
・15年間で400~500万人という記述もある。

■ユカタン王国(現メキシコの一部)
・人間の想像をはるかに超える所業

■サンタマルタ(現コロンビアの北部海岸付近)
・金が産出した。
・過去のすべてのスペイン人による殺戮をはるかに凌ぐ。

■カルタヘーナ(サンタマルタの西隣)
・省略

■ベネズエラ
・ここを襲ったのはドイツ人。これまたスペイン人に負けず劣らず冷酷。
・恐らく400~500万人を殺害


■その他、ペルーとかコロンビアとかありますけど、そろそろ気分が悪くなったので筆を置きます。ここに掲げた数字だけでも2,000万人の虐殺になります。また、別の推計(「侵略の世界史」清水馨八郎:祥伝社黄金文庫)では、1492年~1570年の約100年間での犠牲者はカリブ海地域(38万人)、アステカ地域(2,400万人)、インカ地域(820万人)で合計3,300万人。別の一説では1億人規模の推定があるとか。
但し、必ずしも殺戮による犠牲者だけでなく、スペイン人が持ち込んだ病気(インディオには耐性が無かった)による死者もかなり多かったようです。

■犠牲者は人間だけではない。1510年~1660年の150年間で判明しているだけで金181トン、銀17,000トンが持ち去られたと「侵略の世界史」にはあります。

■あと少々手に入りにくいですが最近の書籍としては以下のものもあります。虐殺はまだ続いていますと言いたげな書籍です。