古事記の世界<上>
これは以前に投稿していた「古事記の世界」を再構成したものです。以前はもう少し小分けにしていたのですが、25以上に分かれてしまい逆に分かり難いというご指摘を戴いたので再構成を試み、<上><中><下>の3つに分けています。内容は微修正してます。
(0)(この投稿の)序
・日本人の心の濫觴の1つは記紀だろうということで、古事記を読んでみました。正直、天皇家の系図のような話が中心で、そのままではあまり面白くないかも知れません(実は面白いのですけど)が、忠実に本文を辿りつつも、出来るだけシンプルに書き記したいと思います。
・タネ本は主に「現代語訳 古事記(福永武彦訳)」で、この本は結構意訳部分が多いと思いますが、わかりやすいのでこれにしました。あれ?と思うところには注を入れておきます。
■古事記概要:
・現存する日本最古の書物で歴史書である。
・和銅5年(712年)に太安万侶が編纂、元明天皇に献上されたもので、上中下の3巻からなり、内容は天地開闢から推古天皇までの記事で、各巻は
上つ巻(序・神話)
中つ巻(神武天皇(1)~応神天皇(15))
下つ巻(仁徳天皇(16)~推古天皇(33))である。
・発起人は天武天皇。壬申の乱後、天智天皇の弟である天武天皇が即位し、『天皇記』や焼けて欠けてしまった『国記』に代わる国史の編纂を命じたもの。そして28歳で高い識字能力と記憶力を持つ稗田阿礼に『帝紀』及『本辭』などの文献を「誦習」させた。天武天皇存命中には完成せず、元明天皇の命を受けた太安万侶が稗田阿礼の「誦習」していた『帝皇日継』『先代旧辞』を編纂し『古事記』を完成させた。
■日本書紀との違い:
①目的が異なる:
・古事記は天皇家の正統性を国内に示すため、
・日本書紀は日本(という国)の正統性を諸外国に示すため。
②文体:
目的が異なるので同じように漢字を使ってますが、
・国内向けの古事記は「日本漢文体」という日本人に読みやすい文体
・日本書紀は大陸の人が読みやすいように「漢文体(=中国語)」を使ってます。
従って、登場する神々の名を表わす漢字が異なってます。
(例)前が古事記で後が日本書紀
イザナギ:伊耶那岐/伊奘諾
スサノヲ: 須佐之男/素戔嗚
タケミカヅチ:建御雷/武甕槌
アメノウズメ:天之宇受売/天鈿女
③ストーリーの微妙な違い:
これも目的の違いからでしょうが、対外的に重要ではないことや好ましくないことについては、記述しない又は変更しています。
・例えば「ヤマトタケル」
古事記では、父のためにと兄を自らの手で殺し、父から恐れられて九州に追いやられたとありますが、
日本書記では、兄を殺したことや父との不仲も一切書かれておらず、逆に父にとって自慢の息子だった。
・例えば「出雲の国譲り」
古事記では因幡の白兎の話など大国主神のヒーロー話がありますが、
日本書紀では出雲神話そのものが割愛されています。
④分量:
・古事記は全3巻、
・日本書紀は全30巻と大部。
⑤「記」と「紀」
・「記」は記録で、出来事をそのまま書き記したものという意味で、その方が天皇家の正統性を強調しやすいということでしょうか。天皇家の歴史を中心として物語風に書かれている。
・「紀」は編年体で書かれより詳細。物語ではなくきちんとした歴史書を意識している。神代紀では「本伝」だけでなく「一書」という表現で複数の異説を載せている。
ということで当時の日本人の心情を知るには「古事記」の方が相応しいかなと考えて、まずは古事記に挑戦しました。尚、神の名と簡単な説明は時々挟んでいる系図を参照ください。
では、本文に入ります。
尚、細かなことですが、天皇の名の後ろにつけている数字は第何代天皇かを示しています。
(1)序文
・忠実な臣下である安万呂が奏上します。
・遠い昔、造化の気が固まり始めた宇宙に初めに天と地が分かれて、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の3神が宇宙造化の糸口を作った。
・そして陰と陽の区別が現れ、「伊邪那岐」「伊邪那美」が生きとし生けるものの全ての親となった。
・宇宙の始まりは奥深く、国家の始まりは遠くてかすかではあるが、神々が「国を生み」「島を生み」また「神々を生み」「人を生んだことが分かる。」
・その後、「天照大神」と「速須佐之男命」の「うけい」の時、「速須佐之男命」が玉をかんで吐いたところから歴代の天皇が続き、八岐大蛇を斬ったところから神々が相次いで生まれた。
・そして、「建御雷神(たけのみかづち)」が出雲で「大国主命(おおくにぬしのみこと)」に国譲りを談判して国中が穏やかになった。
・その結果、「邇邇芸命(ににぎのみこと)」が天から高千穂の嶺にお降りになり、その曾孫の神武天皇(1)が東へ攻め上られました。その道中では荒々しい神が熊に化け襲ってきましたが、「高倉下(たかくらじ)」を通じて天から剣が下されたり、八咫烏が天皇を吉野へ導いたりしました。
・崇神天皇(10)は夢のお告げで「大物主神(おほものぬし)」を祀られ賢明な天皇と呼ばれ、仁徳天皇(16)は民家の煙を見て人民を慈しまれたので聖の天皇と言われています。また成務天皇(13)は国や県の境界を定められ、允恭天皇(19)は天下の氏(うじ)や姓(かばね)を正されました。いつの時代も天皇の事業は過去を参照し今を明らかにし教化道徳の衰微を正し五倫の道の絶えたのを復興させてきました。
(注:ここで儒教の五倫(父子の親,君臣の義,夫婦の別,長幼の序,朋友の信)が出てくるのは、まだ早いような気がするが。)
<天武天皇や元明天皇をたたえる部分は割愛>
・天武天皇(40)が仰せられるには、「諸家に伝わる帝紀や本辞には真実と違うものも多いというので、今正しておかなければ本旨が亡びてしまう。帝紀と本辞は国の行政の根本であり、天下の事業右の基礎であるので、調べて偽りの部分を取り除いた上で後世に伝えたい。」この時、稗田阿礼というはなはだ聡明な舎人がいたので天皇の命により読み習わしたが、この事業は天武天皇のご存命中には実現しなかった。
・そこで元明天皇(43)が安万呂に命じて稗田阿礼が誦んだ旧辞を撰録して、合わせて三巻を奏上しました。
(2)「宇宙の初め」から「伊邪那岐」「伊邪那美」が生まれるまで
① 天の神々
・まだ天も地も混沌としている時、高天原という高いところに三柱の神々が現れた。「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」「神産巣日神(かみむすびのかみ)」で、みな配偶者を持たない単独神で姿も見せなかった。
・その後、まだ天と地のけじめのつかない地上に萌え上がる二柱の神が生まれた。最初は「宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)」で天を指し登る勢いを示す男神。次は「天之常立神(あめのとこたちのかみ)」で、永遠無窮の天そのものを神格化した神である。
・これらの五柱の神は地上に成った神ではなく天神(あまつかみ)である。単独神で姿を見せない神々である。
② 地の神々(=神代七代)
・その後、脂のように漂っているものから、まずは生まれるべき「地」を神格化した「国之常立神(くにのとこたちのかみ)」が、次に「雲」を神格化した「豊雲野神(とよくもののかみ)」だが、二柱とも単独神で姿は見せなかった。
・これ以降は男女一対の神が現れる。
・脂のようなものから、潮と土が次第に分かれ、砂や泥を交えた沼となる。
「宇比地邇神【男】(うひぢにのかみ)」
「須比智邇神【女】(すひぢにのかみ)」
・沼地が固まり、春芽が芽ぶいて育ち、
「角杙神【男】(つのぐひのかみ)」
「活杙神【女】(いくぐひのかみ)」
・そして大地が固まって、
「意富斗能地神【男】(おほとのぢのかみ)」
「大斗乃弁神【女】(おほとのべのかみ)」
・次に大地が不足無く固まり、
「淤母陀琉神【男】(おもだるみのかみ)」
「阿夜訶志古泥神【女】(あやかしこねのかみ)」
女神の名はその時の喜びの声「あやにかしこし」を神格化したもの
・次に現れたのが、
「伊邪那岐【男】(いざなぎのみこと)」
「伊邪那美【女】(いざなみのみこと)」
・これらの2神+5組男女神を合わせて神代七代と呼ぶ。
(3)伊邪那岐と伊邪那美の国生み・神生み・人生み
※とにかく生みまくる。人も元を辿れば神。我々人間だけでなく森羅万象全てが神の子孫である。まさに八百万神。ここが大事なところ。日本は神国である(^^;)
・宇宙の初めに現れた三柱は伊邪那岐と伊邪那美に地上を人が住めるように作るように命令し、「天沼矛(あめのぬぼこ)」という美しい矛を授けた。
・伊邪那岐と伊邪那美は「天浮橋(あめのうきはし)」に立ち、海に漂う脂のようなものに矛を突き刺してかき混ぜると、それは次第に固まっていき、矛を引き上げるとポタポタとそれは滴り落ちた。
・その滴りは積り固まって島になった。これを「淤能碁呂島(おのごろしま)」と呼ぶが、これは勝手にできた島でという意味である。
・二柱はこの島に降り立ち、太い柱を立て、それを中心にして広い御殿を建てた。
・伊邪那美の身体の欠けた部分と伊邪那岐の身体の余分な部分を合わせて国を生もうと話し合った。
・二柱で互いに逆向きに柱の周りを回り二柱が出会ったところで、最初に伊邪那美が「何と良い男」と言い、続いて伊邪那岐が「何と美しい女」と言ったが、伊邪那岐は「女側が最初に女の側から声をかけたのは良くないのだが」と言いつつ寝所に入った。やがて生まれた御子は水蛭(ひる)にもにた「水蛭子(ひるこ)」だったので、葦の葉で編んだ船で流した。次に生まれたのは「淡島(あわしま)」。これは軽んじ憎むという意味から名付けられたのであろう。「淡島」も御子には数えない。
・今までの2人は共に不具の子だったので、天神(あまつかみ)のところへ行って相談したところ、天神が太占(牡鹿の肩骨を焼いて割れ目の形で占う)で占って言うには「女側が先に声を発したのが原因。戻ってもう一度やればいい」とのこと。
・二柱は淤能碁呂島へ戻り、今度は伊邪那岐から声をかけた。今度は道にかなったと見えて次々と国々そして神々を生んだ。順番に行くと、
■伊邪那岐と伊邪那美が生んだ国々や神々
①大八島国
1)「淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)」→淡路島を神格化
2)「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」→後の四国。山脈によって2つに分かれている。但し、1つの島に4つの顔があって、それぞれ
「愛比売(えひめ)」→伊予:麗しい乙女の意
「飯依比古(いよりびこ)」→讃岐:飯を産する国の男性化
「宜都比売(おほげつひめ)」→阿波:粟を産する国の女性化
「建依別(たけよりわけ)」→土佐:雄々しき男子の国の意
3)「隠伎之三子島(おぎのみつごのしま)」→海原の沖合の3つの島の意
別名を「天之忍許呂別(あめのおしころわけ)」
4)「筑紫の島(ちくしのしま)」→後の九州
これにも1つの島に4つの顔があって、それぞれ
「白日別(しらびわけ)」→筑紫(筑前・筑後)
「豊日別(とよびわけ)」→豊国(豊前・豊後)
「建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)
→肥の国(肥前・肥後)
「建日別(たけびわけ)」→熊曾の国
5)「伊伎島(いきのしま)」、別名を「天比登都柱(あめひとつばしら)」
→後の壱岐
6)「津島(つしま)」、別名を「天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)」
→後の対馬
7)「佐度島(さどのしま)」 ※説明不要かと
8)「大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま)」、別名を「天御虚空豊秋津根別(あめのみそらとよあきづねわけ)」
→本州。五穀が豊かに実る島の意
②国生みの六島(瀬戸内や北九州沿岸の島々)
1)「吉備児島(きびのこじま)」、別名を「建日方別(たけひがたわけ)」
→児島半島
2)「小豆島(あずきじま)」別名を「大野手比売(おほのでひめ)」→小豆島
3)「大島(おおしま)」、別名を「大多麻流別(おほたまるわけ)」
→瀬戸内の島だが未詳
4)「女島(ひめじま)」、別名を「天一根(あめひとつね)」→姫島
5)「知訶島(しかのしま)」、別名を「天之忍男(あめのおしを)」→五島列島
6)「両児島(ふたのこじま)」、別名を「天両屋(あめふたや)」→五島列島
※何故か西日本ばっかりですね。
③「大事忍男神(おほことおしをのかみ)」→大事が成ったことを称える
④家屋を守護する神々六柱:
1)「石土毘古神(いはつちびこのかみ)」→壁を作る石や土を称える
2)「石巣比売神(いはすびめのかみ)」→石砂を称える
3)「大戸日別神(おおとびわけのかみ)」→入口の門を称える
4)「天之吹男神(あめのふきをのかみ)」→屋根を葺くことを称える
5)「大屋毘古神(おほやびこのかみ)」→屋根を称える
6)「風木津別之忍男神(かざけつわけのおしをのかみ)」→風水害を防ぐ
⑤海・河川を統べる神々三柱:
1)「大綿津見神(おほわたつみのかみ)」→海を統べる
2)「速秋津日子神【男】(はやあきづひこのかみ)」→河口を統べる神
3)「速秋津比売神【女】(はやあきづひめのかみ)」→河口を統べる神
※水の流れのはやいところで穢れを払うの意
⑥「速秋津日子神」と「速秋津比売神」が生んだ水に関する神々
1)「沫那芸神(あわなぎのかみ)」→水泡の和ぎ立ったことを示す
2)「沫那美神(あわなみのかみ)」→波の立ち騒ぐことを示す
3)「頬沫那芸神(つらなぎのかみ)」→泡が立つことを示す
4)「頬那美神(つらなみのかみ)」→泡が立つことを示す
5)「天之水分神(あめのみくまりのかみ)」→灌漑をつかさどる
6)「国之水分神(くにのみくまりのかみ)」→灌漑をつかさどる
7)「天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)」→灌漑をつかさどる
8)「国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)」→灌漑をつかさどる
⑦風・木・山・野の神々四柱:
1)「志那都比古神(しなつひこのかみ)」→風の神(息の長いことを示す)
2)「久久能智神(くくのちのかみ)」→木の神(茎を美化した)
3)「大山津見神(おおやまつみのかみ)」→山の神
4)「鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)」、別名は「野椎神(のづちのかみ)」→野の神(萱・薄の類を称えた)
⑧「大山津見神」と「野椎神」が野山に関する神々八柱を生む:
1)「天之狭土神(あめのさづちのかみ)」→坂道をつかさどる
2)「国之狭土神(くにのさづちのかみ)」→坂道をつかさどる
3)「天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)」→峠の境界をつかさどる
4)「国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)」→峠の境界をつかさどる
5)「天之闇戸神(あめのくらどのかみ)」→日の届かない谷間をつかさどる
6)「国之闇戸神(くにのくらどのかみ)」→日の届かない谷間をつかさどる
7)「大戸惑子神(おほとまとひこのかみ)」→山の緩やかな斜面をつかさどる
8)「大戸惑女神(おほとまとひめのかみ)」→山の緩やかな斜面をつかさどる
⑨「鳥之石楠船神(とりのいはくすぶねのかみ)」、別名を「天鳥船(あめのとりふね)」→楠で作った速い船で交通の神
⑩「大宜都比売神(おほげつひめのかみ)」→食物の神
⑪そして、火の神「火之野芸速男神(ひのやぎはやをのかみ)」、別名「火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)」又は「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」を生む。
⑫この時伊邪那美は陰部を焼かれて床に就いた時に排泄物から生んだ神々六柱と最後の神が生んだ一柱の神
1)「金山毘古神(かなやまびこのかみ)」→鉱山をつかさどる(嘔吐物から)
2)「金山毘売神(かなやまびめのかみ)」→鉱山をつかさどる(嘔吐物から)
3)「波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)」→肥料をつかさどる(糞から)
4)「波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)」→肥料をつかさどる(糞から)
5)「弥都波能売神(みつはのめのかみ)」→灌漑する水をつかさどる(尿から)
6)「和久産巣神(わくむすびのかみ)」→穀物の生育をつかさどる
そして最後の「和久産巣神」が生んだのが
7)「豊宇気毘売神(とようけびのかみ)」→多くの食物をつかさどる
そして伊邪那美はついにやけどが原因でこの世を去った。
この先は伊邪那岐の大活躍が始まる。ここで歴史は変わるのでしょうね。
(4)伊邪那岐と伊邪那美の闘い(夫婦喧嘩どころではない死闘)
死んで黄泉の国へ行った伊邪那美と、その妻に会いに行った伊邪那岐は次に死闘を繰り返すようになる。この展開はちょっとついていけない感じではある。
■伊邪那美の死を悲しんで流れた涙から「泣沢女神(なきさはめのかみ)」が生まれた。
■伊邪那岐は伊邪那美を蘇らせることは出来ず、伊邪那美の亡骸を出雲と伯耆の境の比婆之山に埋葬した。伊邪那岐は痛恨のあまりに十拳剣を引き抜き伊邪那美の死の原因となった火之迦具土神の頸を切った。その時の剣の切先から滴る血から多くの神々が生まれた。これらは、
①刀剣を鍛える時の石鎚を称える神々で、
1)石拆神(いはさくのかみ)
2)根拆神(ねさくのかみ)
3)石筒之男神(いはつつのおのかみ)。
②次に、鍔際(つばぎわ)についた血から生れたのが、刀剣を鍛える時の火を称える神々で、
1)神甕速日神(みかはやびのかみ)
2)樋速日神(ひはやびのかみ)
3)建御雷之男神(たけのみかづちのをのかみ)。別名は建布都神(たけふつのかみ)、あるいは豊布都神(とよふつのかみ)
→この神は鹿島神宮の主祭神。そこから遷したされる春日大社でも主祭神。
③更に、剣の柄から指を伝わって落ちた血からは雨を司る竜神や水神である1)闇淤加美神(くらおかみのかみ)
2)闇御津羽神(くらみつはのかみ)
④そして斬られた火之迦具土神の身体からも神々が生まれて、
1)正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)←頭から。山の険しい頂を称える。
2)淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)←胸から。山の麓を称える。
3)奥山津見神(おくやまつみのかみ)←腹から。深山を称える。
4)闇山津見神(やみやまつみのかみ)←陰処から。暗い谷間を称える。
5)志芸山津見神(しぎやまつみのかみ)←左手から。蒼たる樹木を称える。
6)羽山津見神(はやまつみのかみ)←右手から。麓の山を称える。
7)原山津見神(はらやまつみのかみ)←左足から。平らな峰を持つ山を称える。8)戸山津見神(とやまつみのかみ)←右足から。端にある山を称える。
■しかし伊邪那岐はもう一度妻に会いたくなり黄泉の国へ向かった。別名は根堅洲国又は根国と呼ばれ、要は死者の世界である。そこには石の扉のついた御殿があり現世との間を閉ざしていた。伊邪那美は夫が来てくれたことを知り扉の内側まで来ていた。伊邪那岐は扉越しに妻に帰って来てくれないかと誘うが、伊邪那美が言うには、
「もう少し早く来て欲しかった」
「黄泉の国の不浄な火と水を使った食事をしてしまったので私の身体は既に穢れている」
「でも、せっかくなので帰っても良いかをこの国の神々に相談します」
「その間は決して私の姿を見ないようにして下さい」
しかしいつまでたっても伊邪那美が現れないので、しびれを切らした伊邪那岐が自分の角髪から外した櫛に火をつけて、そっと暗闇を覗くと、恐ろしい妻の姿が目に入った。身体中に蛆虫がたかり、膿が流れ出していて、身体のアチコチから雷神(いかづちがみ)たちが生まれ出ていた。
1)大雷(おほいかづち)←頭から
2)火雷(ほのいかづち)←胸から
3)黒雷(くろいかづち)←腹から
4)拆雷(さくいかづち)←陰処から
5)若雷(わきいかづち)←左手から
6)土雷(つちいかづち)←右手から
7)鳴雷(なるいかづち)←左足から
8)伏雷(ふしいかづち)←右足から
■この姿を見た伊邪那岐は恐ろしくなって逃げ出した。醜い姿を見られた伊邪那美は黄泉の国の醜い女神に命じて夫の後を追わせた。捕まりそうになりながらも、伊邪那岐はようやく黄泉比良坂という両国を境までたどり着いた。その時坂の麓にあった桃の身を3つ投げつけて黄泉の国の者どもを追い払うことができた。
伊邪那岐はこの桃に「苦しむ者がいれば私同様に救ってやってくれ」と頼み、この桃に「意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)」という名を与えた。
■そこへついに伊邪那美が追いついて来た。伊邪那岐は大岩を坂の中央に据えて、これを限りに契りを解くことを宣言した。これを聞いて、
伊邪那美「そんなに酷いことをするなら、私は毎日1,000人の人を殺そう」
伊邪那岐「ならば、私は産屋を立てて毎日1,500人が生まれるようにしよう」
と言い合った。これ以降毎日1,000人が死に、1,500人が生まれるようになった。
・そして追いついた伊邪那美を「黄泉津大神(よもつおほかみ)」又は「道敷大神(ちしきのおほかみ)」と言うとも伝えられる
■伊邪那岐が坂の中央に据えて道をふさいだ大岩は女神を追い返したので「道反大神(ちがへしのおほかみ)」又は「塞坐黄泉戸大神(さやりますよみどのおほかみ)」とも言う。これ以降も伊邪那岐は単独で神々を生んでいく。
(5)伊邪那岐の禊祓い
■黄泉の国から命からがら逃げ帰った伊邪那岐は穢れた身体を払う為に阿波岐原(場所は未詳)で禊を行ったが、ここでも数々の神を生むことになる。
①まずは、いろいろなものを脱ぎ捨て・投げ捨てた時に神々が生まれた。
1)衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)←杖から。禍よここに近づくなの意。
2)道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)←帯から。道中の安全を守る。
3)時置師神(ときおかしのかみ)←裳から。解き置くという意。
4)和豆良比能宇斯神(わずらひのうしのかみ)←衣から。煩いから免れたの意。
5)道俣神(ちまたのかみ)←褌から。衢を守る。
6)飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)←冠から。穢れ明けを示す。
7)奥疎神(おきざかるのかみ)←左手の玉飾から。沖の海神。
8)奥津那芸佐毘古神(おきつなびさびこのかみ)←左手の玉飾から。渚の海神。
9)奥津甲斐弁羅神(おきつかひべらのかみ)←左手の玉飾から。
10)辺疎神(へざかるのかみ)←右手の玉飾から。沖の海神。
11)辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)←右手の玉飾から。渚の海神。
12)辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ)←右手の玉飾から。中間地の海神。
②すべてを脱ぎ捨てた後、伊邪那岐は川の中に入って身体に水を注ぎかけて洗い清め、その時に生まれた神々が、
1)八十禍津日神(やそまがつひのかみ)←身体についてきた穢れより生まれた。
2)大禍津日神(おおまがつひのかみ)←身体についてきた穢れより生まれた。
3)神直毘神(かむなおびのかみ)←穢れを直そうとして生まれた。
4)大直毘神(おほなおびのかみ)←穢れを直そうとして生まれた。
5)伊豆能売神(いずのめのかみ)←そそいで清らかになったことを示す。
③そして身体を水に沈めた時に生まれたのが、
1)底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)←水の底で生まれた
2)底筒之男命(そこづつのをのみこと)←水の底で生まれた
3)中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)←水の中ほどで生まれた
4)中筒之男命(なかづつのをのみこと)←水の中ほどで生まれた
5)上津綿津見神(うはつわたつみのかみ)←水の表面で生まれた
6)上筒之男命(うわづつのをのみこと)←水の表面で生まれた
2)4)6)の三柱は後の住吉三神である。
また、1)3)5)は阿曇の連などの神であり、阿曇の連はこの三神の御子である「宇都志日金拆命 (うつしひがなさくのみこと)」の子孫である。
この禊が終わり、きれいな身体になった伊邪那岐は、三貴子を生んでいくことになります。
(6)三貴子の誕生
今回の主役はこの三貴子。特に皇祖天照大御神と建速須佐之男命の二柱になりますが、これ以降の場面では多才で個性的な神々が登場されます。
■身体を浄めた後、両目と鼻を洗ったときに生まれたのが三貴子。
1)「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」←左目から
2)「月読命(つくよみのみこと)」←右目から
3)「建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)」←鼻から
・この時伊邪那岐は「最後の3人もの尊い子供たちを得たのは何嬉しいことだろう」と喜んだ。
・そして、玉飾りを天照御大神に渡し「お前が私に代わって高天原を治めよ」と命じた。その玉飾りを「御倉板挙之神(みくらたなのかみ)」と言う。
更に月読命には「お前は夜之食国(よるのおすくに)を治めよ」と命じ、建速須佐之男命には「お前は海原を治めよ」と命じてそれぞれに仕事を任せた。
(7)誓約(うけい)という姉弟喧嘩
■しかし3人の御子のうち建速須佐之男命は仕事をサボりっぱなし。伸びた髭を胸元に垂らしつつ、草木も枯れてしまうほどの大声で泣きわめいていた。これでは国を治める事ができないだけでなく、悪い神々もゾロゾロ騒ぎ始め、国中に禍が溢れてきた。伊邪那岐は建速須佐之男命に「何故そんなに泣いているのか?」と問うと、建速須佐之男命曰く「私は母の国(=伊邪那美のいる黄泉の国)が恋しいのです」と。伊邪那岐は「それなら好きにするがいい」と建速須佐之男命を追い出してしまった。
建速須佐之男命は仕方がないので、姉(=天照大御神)に暇乞いをして母に国へ行こうと高天原へ向かった。しかし建速須佐之男命が高天原に近づくにつれて、山河が鳴動し、地震のように揺れ動いた。天照大御神は「弟が来るのは善良な心からではなく、この国を奪おうという邪悪な心を持っているのではないか?」と疑った。そこで、男の姿に身支度を整え戦闘モードで待ち受けていた。到着した弟に高天原に来た理由を問いただすと、弟は「母の国に行く前に、姉君へ挨拶に来ただけです」と言う。簡単に信じられない天照大御神は「どうしたらその言葉を信じられようか」というので、建速須佐之男命は「では誓約をしましょう。それぞれが子供を生んで、その結果で神意を判断してはどうか」と提案した。
■初めに天照大御神が弟の剣を取り3つに打ち折り、天之真名井(あめのまない)の水をかけて洗い浄めた後、口にして噛み、吹き出すと3柱の神が現れた。
1)「多紀理毘売命(たきりびめのみこと)」、別名を「奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)」→川の早瀬を示す。
2)「市寸島比売命(いきちしまひめのみこと)」、別名を「狭依毘売命(さよりびめのみこと)」
3)「多岐都比売命(たぎつひめのみこと)」
※ちなみにこの三柱は宗像三神で、それぞれ沖津宮、中津宮、辺津宮にいる。
■次に建速須佐之男命が姉の玉飾りを5つもらい受け、天之真名井の水で浄めて口にして噛み、吹き出すと5柱の神々が現れた。
1)「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)」←左の角髪の玉飾から。誓約に買ったことを示す
2)「天之菩卑能命(あめのほひのみこと)」←右の角髪の玉飾から。
3)「天津日子根命(あまつひこねのみこと)」←髪を縛った鬘の玉飾から。
4)「活津日子根命(いくつひこねのみこと)」←左手の玉飾から。
5)「熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)」←右手の玉飾から。
※ちなみに「天之菩卑能命」の御子に「建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」がいて、多くの地方の人々の祖先になっている。同様に「天津日子根命」も多くの人々の祖先となっている。
※西洋の一神教では人は神の創作物なので煮て食おうが焼いて食おうが神様次第なのですが、日本人はすべて神の子孫なのでそんな発想は出てこない。これが「日本は神国」という意味で何ら問題はない話。詳細は系図に記載(小さくて見辛いかもしれませんが)
■姉が言うには「後から生まれた5人の男の子は私の持物から生まれたので私の子である。先の3人の女の子はお前の持物から生まれたからお前の子である。」それを受けて建速須佐之男命は「私の心が清らかなのでかわいい女の子が生まれたのです。だから私の勝ちです」と勝ち誇り挙句の果てに高天原で乱暴狼藉を働いた。天照大御神は初めは咎めようともしなかったが、あまりの乱暴狼藉に恐ろしくなり天石屋(あめのいわや)に身を隠してしまった。
(8)天石屋戸(あめのいわやど)事件(※あの有名な事件です)
■日の神である天照大御神が隠れてしまったので高天原は真っ暗になってしまい、ここぞとばかりに悪い神々が騒ぎ始め、禍が蔓延るようになってしまった。この大事件を協議する為に多くの神々が天安河(あめのやすのかわ)に集結した。集まった主な神々は以下の通り。
※後々に再登場する神々もいらっしゃって役者勢ぞろいって感じです。
1)「思金神(おもひかねのかみ)」
高御産巣日神(←最初の造化三神のうちの一柱)の御子で相当な知恵者。対策を練る担当。
2)「天津麻羅(あまつまうら)」
鍛冶屋で矛を作る担当。
3)「伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)」
鏡を作る担当。
4)「玉祖命(たまのやのみこと)」
玉飾を作る担当。
5)「天児屋命(あめのこやのみこと)」
鹿卜を行い、祝詞を唱える担当。
6)「布刀玉命(ふとたまのみこと)」
同様に鹿卜の担当
7)「天手力男神(あめのたぢからをのかみ)
天照大御神を引っ張り出す担当
8)「天宇受売命(あめのうずめのみこと)
裸踊りで日の神の注意を引く担当
■鹿トの結果は良好と出たので、天香具山の榊の木に様々なものを取りつけで御幣をつくり、日の神にお出ましいただけるよう天児屋命が祝詞を奏上した。天宇受売命が裸踊りを始めると集まった神々は大爆笑で大騒ぎ。すると「外では何が起こっているのか?」と訝って少し外を見ようと岩戸を少し開けた。その瞬間に陰に隠れていた天手力男神が天照大御神の手を掴んで岩屋から引っ張り出し、すかさず布刀玉命が岩屋に注連縄を張り戻らせないようにした。おかげで高天原が元通り明るくなった。
(9)須佐之男命の追放と穀種
■事件解決の後、原因となった須佐之男命への処分が討議された。金品を出させ、鬚を切り、手足の爪も抜いて、高天原からの追放処分が下され追放された。
■その後、須佐之男命は「大気津比売神(おほげつひめのかみ)」に食物を所望したところ、この神は鼻・口・尻からいろいろな食べ物を出して差し出したものだから、須佐之男命は「これは汚い物を食べさせようという魂胆だな」と思い、持ち前の荒々しい心が沸き起こって大気津比売神を殺してしまった。その殺された女神の身体から次のものが生まれた。
蚕(頭から)、稲種(目から)、粟(耳から)、小豆(鼻から)、麦(陰処から)、大豆(尻から)。
神産巣日御祖命(←最初の造化三神のうちの一柱である神産巣日神)は、これらから種を作ったので穀物の祖先神とも言われている。
これ以降は須佐之男命と大国主神が主役となって話が進んでいきます。
(10)八俣の大蛇
■高天原を追われた須佐之男命は出雲国の後の斐伊川の上流にある鳥髪(とりかみ)というところに舞い降りた。近くの川を登って行くと立派なお屋敷があった。のぞいてみると、その家では老夫婦が若い娘を挟んで涙にむせんでした。須佐之男命は「お前たちは誰か?」と尋ねると、老人は「私はこの地を治める国神です。『大山津見神(おおやまつみのかみ)』の子で、名前は『足名椎(あしなづち)』、妻は『手名椎(てなづち)』、娘は『櫛名田比売(くしなだひめ)』です。」と答えた。須佐之男命が更に何故ないているのかと問うと、老人は「昔は娘が8人いたが、ここの高志(こし(≒越?)。北陸か?)の八俣の大蛇という怪物が毎年1人ずつ娘を餌食にしていて、今年もそろそろ怪物がやってくる時期になり、この最後の娘も餌食になるのかと思って悲しんでいるのです。」と。
須佐之男命は自分の名前と、自分が天照大御神の弟で天上の国から降りてきたことを告げ、「大蛇を退治したら、その娘を妻にくれないか?」と申し入れた。老夫婦には勿論異論はない。須佐之男命は娘を爪櫛に変え自分の髪に刺し、老夫婦に次の命令をした。
「強い酒を作ること」
「垣根を張り巡らせること」
「垣根に8つの門を作り、それぞれに8つの酒槽を置くこと」
「その酒槽には先ほどの強い酒を入れておくこと」
■しばらくすると八俣の大蛇がやってきて、8つの頭を酒槽に突っ込んで、その中にある強い酒を飲み干したところ、さすがの大蛇もすっかり酔っぱらってしまい寝込んでしまった。この隙に須佐之男命は剣で8つの頭を順番に胴体から切り離した。大蛇の胴体を切っている時に須佐之男命の剣の刃がこぼれたので、「どうしたことか?」とよく見ると中から鋭利な太刀が出てきた。須佐之男命は「これは不思議だ。しかし私物にすべき物ではないだろう。」と考え、姉に献上した。これが後に「草那芸(くさなぎ)」と名付けられる太刀である。
(11)八雲立つ
■櫛名田比売を娶った須佐之男命は2人の宮殿の為の土地を出雲で探した。ある土地を見つけすがすがしいと思ったので、その土地は須賀と呼ばれた。須佐之男命はその時の喜びを歌に詠んだ。(※日本で最初の短歌と言われている)
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
■須佐之男命は足名椎を召して宮殿の首長にし、「稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)」という名前を与えた。
■そして、櫛名田比売との間に「八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)」が生まれた。
■更に、それ以外に大山津見神の娘である「神大市比売(かむおほいちひめ)」との間には以下の2柱が生まれた。
(※短歌を歌うほど喜んでいたのに、いきなり別の妻が現れる展開(^^;))
1)「大年神(おおとしのかみ)」→穀物の神
※ちなみに大年神は毎年正月に各家に来訪するというあの年神様です。正月飾りは、大年神を迎えるためのもので、門松は依代であり、鏡餅は供え物。
2)「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」→穀物の神
※そして宇迦之御魂神は伏見稲荷大社の主祭神であるお稲荷さん。お稲荷さんの正体を狐と思っている方が多いのですが、狐はお稲荷さんの使いです。
■また、八島士奴美神は大山津見神の娘である「木花知流比売(このはなちるひめ)」を娶り、その5代先の子孫に大国主命がいる
1)「布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬのかみ)」
2)「淤迦美神(おかみのかみ)」→竜神
3)「日河比売(ひかはひめ)」
4)「深淵之水夜礼花神(ふかふちのみづやれはなのかみ)」
5)「天之都度閇知泥神(あめのつどへちねのかみ)」→水を集める
6)「淤美豆奴神(おみづぬのかみ)」
7)「布怒豆怒神(ふぬづぬのかみ)」
8)「布帝耳神(ふてみみのかみ)」
9)「天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)」
10)「刺国大神(さしくにおほのかみ)」
11)「刺国若比売(さしくにわかひめ)」→後でよく出てくる大国主神の母神。
12)「大国主神(おおくにぬしのかみ)」 この神はさすがにメチャ別名が多く、
「大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)」→大名持の意
「葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)」→武勇を称える名
「八千矛神(やちほこのかみ)」
「宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)」→この国の守護神の意
※大国主神はさすがに古事記の中のスーパースター。名前も多いが、妻や子も多い(^^;) 次に出てきます。
■そして須佐之男命はこの後、望み通りに母のいる根の国へ行った。次の主役は大国主神。
(12)大国主神
大国主神の話は有名で少々長いので少し飛ばして進めます。話としては、大国主神には異母兄弟を含めると80人以上の兄弟がいて、いろいろあったが最後には全員が大国主神に心服したというお話です。
■大国主神と兎
・80人の兄弟は誰もが稲羽(今の因幡)の「八上比売(やかみひめ)」を妻にしたいと思っていた。そこで全員で稲羽に出かけたが、その時、大国主神だけは兄弟から従者のように扱われて、大きな荷物を背負わせていた。
・一行が気多岬にやってきたとき、皮を剥がれた哀れな兎を発見した。意地の悪い兄弟は兎に「海水に浸かって風の吹くところで乾かせば治る」と教えた。兎は信じてその通りやってみたが痛みが増すばかり。最後に通りかかった大国主神は「真水で身体を洗い、蒲の花の黄色の花粉を地面に蒔いてその上を転がったら治るはずだよ」と親切に教えてやった。兎の身体はこれですっかり治った。これが稲羽の素兎(しろうさぎ)で、今でも兎神と呼ばれている。その兎が喜んで言うには、「大国主神こそが八上比売を娶ることになる。」と。
■大国主神の受難
・80人の一行は稲羽に着くと早速八上比売に求婚したが、なんと比売は「私は大穴牟遅神(=以下、大国主神)へ嫁ぎます」と言い、兄弟全員が断られてしまった。これに立腹した兄弟たちは、大国主神を殺そうと相談した。
・最初は伯伎(今の伯耆)国の手間山で、兄弟たちが「我々が山の上から赤い猪を追い落とすから、お前は下で捕まえるように」と命じた。そして山の上から猪に似た形の石の真っ赤に焼いたものを落とした。受け止めた大国主神はさすがに焼け死んでしまった。しかし母神である刺国若比売が神産巣日神に御子の復活を頼むと、生死をつかさどる神産巣日神は、赤貝である「キサ貝比売(きさがひひめ)」と、蛤である「蛤貝比売(うむぎひめ)」に命じて治療させ、見事に大国主神を復活させた。
・次に大国主神を騙して深い山の中に連れて行った。予め大きな木に割れ目を入れて楔を挟んでおいて、大国主神を割れ目に誘いこんで、楔を抜いたものだから大国主神はまたしても死んでしまった。今度は母神が自力で息を吹き返させた。そして母神はこのままでは危ないと思い、大国主神を紀伊国の植林の神である「大屋毘古神(おほやびこのかみ)」の下に逃がしてやった。80人の兄弟は後を追いかけ矢で射殺そうとしたが、大国主神は大木の下に身を隠し無事逃げ切った。
■根の国での冒険
・母神は大国主神に「根の国にいるお前の祖父の神にあたる須佐之男命に助けを求めに行きなさい」と言い、大国主神は根の国に向かった。そこには須佐之男命の宮殿があり、娘である「須勢理毘売(すせりびめ)」が出迎えた。両名はいきなり恋に落ちてしまった。須佐之男命は大国主神を見て「これは葦原色許男神という神だ」と言った。
・須佐之男命は実は葦原色許男神(=以下、大国主神)を嫌っていた。そして彼を蛇の住んでいる室に泊めてやった。須勢理毘売はこのままでは危ないので、蛇を払いのける魔法の布切れを手渡した。教えられた通り布切れを振ると蛇は大人しくなりぐっすり眠れた。
・その次はムカデと蜂の住む室に泊めたが、須勢理毘売が今度はムカデと蜂に効く別の布切れを渡したので、大国主神それを使ってやすやすと室から出てきた。
・更に須佐之男命は鏑矢を藪に打ち込んで、それを取ってくるように命じ、大国主神が藪に入った途端に火を放って焼き殺そうとした。ここではネズミに洞穴を教えてもらい、そこに隠れている間に火は収まり、ネズミが咥えて来てくれた鏑矢を受け取って須佐之男命に届けた。
・まだ懲りない須佐之男命は今度は自身の頭に巣くう虱を取るように命じた。虱と言っても実際はムカデのようなもの。今度は須勢理毘売が木の実と赤土を渡し、大国主神は木の実をかじっては赤土を吐く動作を繰り返した。須佐之男命はそれをムカデを噛んでは廃棄捨てているものとすっかり勘違いし、「よしよし」と思いながらウトウト眠ってしまった。その隙に大国主神は須佐之男命の髪を幾筋にも分けて室のあらゆる垂木に括りつけ、更に大岩で出口をふさぎ、須勢理毘売を背負って、須佐之男命の「生太刀生弓矢(いくたちいくゆみや)」と「天詔琴(あめののりこと)」を手にもって逃げ出した。
・その時、琴が木に触れて大地が大きく揺れ須佐之男命を起こしてしまった。しかしその時室が倒れて、垂木という垂木に髪を結ばれてしまっているので須佐之男命はすぐに追いかけることがでず、その間に2人は遠くへ逃げていった。須佐之男命も黄泉比良坂まで追いかけたが、そこであきらめて2人に言った。「その生太刀生弓矢で兄弟たちを追い撃て。お前は大国主神又は宇都志国玉神と名乗り出雲を治めよ。須勢理毘売を正妻として天まで届くような高い宮殿を構えて暮らすのだ。」
・そして、かねてからの仲である八上比売と寝所に入り(注:オイオイ(^^;))御子が生まれたが、八上比売は須勢理毘売の嫉妬を恐れて御子を木の俣に隠して、自分は稲羽に帰ってしまった。このためこの御子を「木俣神(きのまたのかみ)」、又は「御井神(みヰのかみ)」と言う。
■沼河比売の歌
・大国主神、またの名を八千矛神は高志国の沼河比売も妻にしたいと思い、比売の家にはるばる出かけて、家の前で歌を歌った。(歌は省略。主題は求愛)
・沼河比売はその歌を聞いても門を開けることなく、家の中から歌を返した。(歌は省略。大意は「私如きがすぐにお応えできません。もう少し時間下さい」)
・しかし、翌日は寝所に入ることになった。
(注:オイオイ、またですか(^^;))
■須勢理毘売の歌
・大国主神は嫉妬深いに正妻の須勢理毘売には手を焼いていた。少し息抜きをしようと大和に出かけることにした。いよいよ出発する段になって、歌を歌った。(歌は省略。大意は「私が出かけたなら妻よお前は泣くだろう」)
・それに対して須勢理毘売は歌を返した。(歌は省略。大意は「あなたは素晴らしい方なので、アチコチに妻をお持ちでしょうが私にはあなたしかいません。どうか今夜は出かけないで互いに手を取り合い枕にして寝みしてください」)
※やっぱり歌を省略するとよくわからないですね。すみません。気になる方は原文をあたってください。
■大国主神の妻子たちとその系列の十七世の神々
八上比売とその御子の木俣神については記述しましたので、その次から始めましょう。
①多紀理毘売命(この方は既出の宗像三神で奥津宮にいます)との間の御子は2柱で、
3)「阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)」別名を「迦毛大御神(かものおほみかみ)」
4)「高比売命(たかひめのみこと)」別名を「下光比売命(したてるひめのみこと)」
この2柱は、天孫降臨イベントの直前の高天原と中つ国の間のやり取りで再登場されます。
②「神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)」との間の御子は、
5)「事代主神(ことしろぬしのかみ)」別名を「八重言代主神(やへことしろぬしのかみ)」
国譲りの時に再登場されます。この神の名の意味は事を知る神ということ。
③「八島牟遅能神(やしまむちのかみ)」の娘の「鳥耳神(とりみみのかみ)」との間の御子は「鳥鳴海神(とりなるみのかみ)」
■これ以降は何故かこの鳥鳴海神の系譜を辿る説明があるが、長いので鳥鳴海神以降に登場する神々の名は列挙しておきますが、それぞれの関係は系図を参照下さい。ただ建速須佐之男命の御子である八島士奴美神から数えて十七世の神々との紹介がありますが、どう数えても15柱しか出てこない。須佐之男命と伊邪那岐を入れると17柱にはなりますが。
1)「日名照額田毘道男伊許知邇神(ひなてりぬかたびちをいこちにのかみ)」
2)「国忍富神(くにおしとみのかみ)」
3)「葦那陀迦神(あしなだかのかみ)」、別名「八河江比売(やかへひめ)」
4)「速甕之多気佐波夜遅奴美神(はやみかのたけさはやぢぬみのかみのかみ)」
5)「天之甕主神(あめのみかぬしのかみ)」
6)「前玉比売(さきたまひめ)」
7)「甕主日子神(みかぬしひこのかみ)」
8)「淤加美神(おかみのかみ)」
9)「比那良志比売(ひらなしびめ)」
10)「多比理岐志麻流美神(たひりきしまるみのかみ)」
11)「比比羅木之其花麻豆美神(ひひらぎのそのはなまづみのかみ)」
12)「活玉前玉比売命(いくたまさきたまひめのかみ)」
13)「美呂波神(みろなみのかみ)」
14)「敷山主神(しきやまぬしのかみ)」
15)「青沼馬沼押比売(あおぬまうまぬまおしひめ)」
16)「布忍富鳥鳴海神(ぬのおしとりとみなるみのかみ)」
17)「若昼女神(わかひるめのかみ)」
18)「天日原大科度美神(あめのひばらおおしなどみのかみ)」
19)「天狭霧神(あめのさぎりのかみ)」
20)「遠津待神(とほつまちねののかみ)」
21)「遠津山岬多良斯神(とほつやまざきたらしのかみ)」
※古事記にはここでは出て来ていませんが、重要な御子がもう1柱いらっしゃるので追記しておきます。母神は不詳なのですが「建御名方神(たけのみなかたのかみ)。」この神は後で出てくる国譲りイベントで武御雷之男神(以前「火之迦具土神」を切った時に剣(血)から生まれた神々のうちの一柱)に負けて諏訪へ追われますが、追われた先の諏訪で諏訪神として大切に祭られている神です。そう全国諏訪神社の主祭神です。諏訪では少々違うように語られているみたいです(^^:)
■海から来る神
・大国主神が御大岬(みほ=美保岬)にいた時、沖から小人のような神がやってきた。名前を尋ねても答えてくれない。お供にも聞いたが誰も知らない。そこに蟾蜍(ひきがえる)がやってきて案山子の「久延毘古(くえびこ)」が知っているハズと言い、その案山子に尋ねると「その神は神産巣日神の御子で少名比古那神(すくなひこなのかみ)」であると看破する。
・大国主神はこの神を高天原に連れて行って神産巣日神(←大国主神とっては命の恩神)に尋ねると、「その通りじゃ。指の間から落ちたようだ。2柱は兄弟になって力合わせて国をかためなさい」と命じた。しばらくは2柱で国経営をしていたが、少名比古那神は途中でいなくなり、常世の国に行ってしまった。(注:何やねん(^^;))
・少名比古那神がいなくなって大国主神が途方に暮れていると、遠い沖合から光る神がやってきて「お前を手伝ってやってもいいぞ。但し条件は、私を大和の国を青垣のように囲む山々の中の東の山の山頂に身を浄めて祀ること」と言った。これは、三諸の山(=三輪山)の上にいる神である。
(13)大年神の系譜
前章で海から来たのは誰か?と思っていると、ここで唐突に「大年神」の系譜の紹介が入る。後につながる話もあまりなさそうなので、神の名リストと若干の注記を記し、神々の関係は系図で示しておきます。大年神も子だくさんです(^^;)
■大年神の妻たちと御子たちは以下の通り。
①「神活須毘神(かむいくすびのかみ)」の娘、「伊怒比売(いぬひめ)」との間の御子。
1)「大国御魂神(おおくにみたまのかみ)」→国土の守護神
2)「韓神(からのかみ)」
3)「曾富理神(そほりのかみ)」→新羅の地名と取った
4)「向日神(むかひのかみ)」
5)「聖神(ひじりのかみ)」
②「香用比売(かがよひめ)との間の御子。
1)「大香山戸臣神(おほかがやまとおみのかみ)」
2)「御年神(みとしのかみ)」→穀物の成長をつかさどる
③「天知迦流美豆比売(あめのしるかるみづひめ)」との間の御子
1)「奥津日子神(おきつひこのかみ)」→竈の神
2)「奥津比売命(おきつひめのみこと)。別名「大戸比売神(おほべひめのかみ)」→竈の神
3)「大山咋神(おほやまくいのかみ)。別名「山末之大主神(やますえのおほぬしがみ)」→鏑矢を持つ。日枝(=比叡)山と松尾@京都にいる(日枝神社と松尾大社)
4)「庭津日神(にはつひのかみ)」→屋敷を守る
5)「阿須波神(あすはのかみ)」→足場を守る
6)「波比岐神(はひぎのかみ)」→屋敷を守る
7)「香山戸臣神(かがやまとおみのかみ)」
8)「羽山戸神(はやまとのかみ)」
9)「庭高津日神(にはたかつひのかみ)」→屋敷を守る
10)「大土神(おほつちのかみ)。別名「土之御神祖神(つちのみおやのかみ)」→土地を守る
■羽山戸神と大気都比売神(※)との間の御子たちは以下の通り。
※この大気都比売神は、須佐之男命に汚い食べ物を供したとして斬られた食物の種を生む「大気都比売神」と同じ名だが、同じ神かどうかは不明。
以下、全て農業の守り神である。
1)「若山咋神(わかやまくいのかみ)」
2)「若年神(わかとしのかみ)」
3)「若沙那売神(わかさなめのかみ)」
4)「弥豆麻岐神(みずまきのかみ)」
5)「夏高津日神(なつたかつひのかみ)。別名「夏之売神(まつのめのかみ)」
6)「秋毘売神(あきびめのかみ)」
7)「久久年神(くくとしのかみ)」
8)「久久紀若室葛根神(くくきわかむろつなねのかみ)」
ここで大年神の説明は終わります。
(14)国譲り
やっとここまで来ました(^^;)
■中つ国への使者派遣
・中つ国では大国主神が出雲から他地域へ統治を広げつつある一方、高天原ではかねてから天照大御神は須佐之男命との誓約の時の御子の正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(以下、天之忍穂耳命)にこの水穂の国である中つ国を統治させたいと思っており、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は我が御子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国である」との神勅(※)を下した。
・天照大御神の命を受けて地上へ偵察に行った天之忍穂耳命が報告したところでは、中つ国がひどく騒がしいとか。それを受けて天照大御神と高御産巣日神は八百万の神を集めて会議行った。もちろん、あの智恵者思金神も呼ばれて、まずは「天菩比神(あめのほひのかみ)」を派遣することを提案した。しかし天菩比神は大国主神に媚びへつらって戻ってこなかった。
・次に「天津国玉神(あまつくにたまのかみ)」の子である「天若日子(あめのわかひこ)」に「天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)」と「天之波波矢(あめのははや)」という弓矢を授けて派遣したが、天若日子は高比売命(←大国主神と多紀理毘売命の娘)を妻にして中つ国をあわよくば乗っ取ろうとして8年経ても帰ってこなかった。そこで、思金神の提案で「雉名鳴女(きぎしななきめ)」という雉を派遣して天若日子になぜ帰ってこないのか聞きに行かせた。しかし、「天佐具売(あまのさぐめ)」という召使の巫女に気味悪がれ、雉名鳴女は天若日子に弓矢で射殺されてしまう。そしてその矢は遠く高天原まで届いた。その矢を見つけた高皇産霊神(別名:高木神(たかぎのかみ))は、それが天若日子に授けたものだと知り、「この矢が単にもののはずみで飛んできたなら天若日子に当たるな、もし天若日子に背信の心があるなら天若日子に当たれ!」と言って矢を投げ返した。そしてその矢は残念ながら天若日子に当たり、天若日子は死んでしまった。還し矢は必ず命中するという意味の「還し矢恐るべし」というフレーズはここから生まれたとか(注:あまり聞いたことはないが(^^;))
・夫を失った高比売命の悲しみの声は高天原にまで届いていた。その時高天原にいた天津国玉神(=高比売命の旦那の父親)やその家族は下界に降りて一緒に悲しんだ。そして、喪屋を作り、
「雁」を岐佐理持(きさりもち=食物を頭上のせて運ぶ役)とし、
「鷺」を箒持(ははきもち=掃除用の箒を持つ役)とし、
「翠鳥(かわせみ)」を御食人(みけびと=死者に食物を与える役)とし、
「雀」を米をつく碓女とし、
「雉」を等式の時に泣く哭女とした。
その後、八日八晩、昼夜を通して死者の魂を慰める為に歌い踊った。
・その時たまたま「阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)」(←高比売命の兄)が義弟の弔いにやって来たが、その姿があまりにも天若日子に似ていたので、天若日子の両親は天若日子が生き返ってきたと間違えてしまった。死者と間違われて大いに激怒した阿遅志貴高日子根神は喪屋を剣で切り倒し足で蹴とばして美濃国にまで飛ばしてしまった。この時の喪屋は喪山という山になり、剣は大葉刈という意味で「大量(おおばかり)」又は「神度剣(かむどのつるぎ)」と呼ぶ。
(※ちょっとややこしいのですが、天若日子の両親は息子と息子の嫁の兄(=阿遅志貴高日子根神)がそっくりだということを知らんかったということです。地上で勝手に嫁を見つけたので、その兄までは知らなかったのでしょうが、嫁は旦那と兄がそっくりなのは知っとったんやろと思わず突っ込みたくなります(^^;))
(※それに死者と間違われるということがこれほどの激怒を起こさせるというのも不思議ですが、伊邪那岐・伊邪那美の時代からそれぐらい穢れを感じていたでしょうか。)
・思金神は今度は「伊都之尾羽張神(以前、伊邪那岐が火之迦具土神を切った時に使った剣)」を推薦したので、天迦久神(あめのかくのかみ)に意向を聞きに行かせたが、伊都之尾羽張神は自分の息子の方が適任だとして「武御雷之男神(火之迦具土神を切った時の血から生れた神)」を推薦してきた。武御雷之男神に「天鳥船神(あめのとりふねのかみ)」という船の神を副えて中つ国へ行かせた。
■大国主神との交渉
・中つ国に着いた武御雷之男神は浜辺で剣を逆さまに突き刺して、その切先で足を組んで座り大国主神に天照大御神と高木神の意向を伝え、国を譲るよう迫った。大国主神は「自分1人では決めれないので息子の八重言代主神に聞かねばならないのだが、彼は釣りに出かけている」と答えた。そこで武御雷之男神は天鳥船神に迎えに行かせた。八重言代主神はすぐに了解したので、この世から天鳥船神を呪術で去らせた。
・他に相談する子はいるのか?」と大国主神に問うと「もう一人建御名方神がいる。これ以外はいない」と答えた。そしてその建御名方神が大岩を指の先に乗せながら登場してきた。しかし、武御雷之男神はその手を掴んで投げ飛ばし、逃げる建御名方神を諏訪まで追いかけたが、そこでの建御名方神の命乞いに免じて許すことにした。
(注:諏訪にお住いの皆様には異論があるかとは思います(^^;))
・武御雷之男神は大国主神のところへ取って返した。大国主神は「中つ国は差し上げますが、私の住む処として壮大で立派な宮殿を作って私を祀って欲しい」と依頼した。更に「そうしてもらえれば、黄泉の国に身を隠し、私の子供たちである180人の神々は八重言代主神を筆頭に誰も仰せに背かないこと」を誓った。そこで、出雲国の多芸志の浜に「水戸神(みとかみ)」の孫である「櫛八玉神(くしやたまのかみ)」を御食(みけ)を司る膳手(かしわで)とし、御饗(みあえ)を差し上げ祝詞を奏上した。
・無事に国譲りを果たした武御雷之男神は高天原に戻り天照大御神と高木神に報告した。
(15)天孫降臨
メインイベントです。
■天照大御神から邇邇芸命に対する神勅
・天照大御神と高木神(高御産巣日神)は天之忍穂耳命に中つ国に降るように伝えると、天之忍穂耳命は「御子が生まれたので、その御子に行かせたい」と申し出てきた。御子の名は「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにぎしくににぎしあまつひだかひこほのににぎのみこと)」(以下、長いので邇邇芸命(ににぎのみこと))といい、高木神の娘である「万幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきづしひめのみこと)」との間の御子である。兄がいて名前は「天火明命(あめのほあかりのみこと)」という。
・天照大神は邇邇芸命に対して「この豊葦原の瑞穂国は、汝が知らさむ国ぞ」という神勅を与えた。
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※日本書紀ではここで有名な「三大神勅」が書かれている。
(1)天壌無窮の神勅:
葦原千五百秋瑞穂の国は我が子孫が治めるべき地です。お前(邇邇芸命)が行って治めなさい。天地共に永遠に栄えることとなるでしょう
(2)宝鏡奉斎の神勅:
我が子よ、この鏡を見る時は、当然私を見るのと同じように見るべきだ。床を共にし、同じ殿に奉安して神聖な鏡としなさい。常に自己反省しなさい。
(3)斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅
天照大神がつくる天上の田の稲穂を天忍穂耳尊に授ける。(これで瑞穂の国を繁栄させなさい)
そして、次の2つの神勅も合わせて五大神勅と呼ぶこともある。
(4)侍殿防護の神勅
天照大神が天児屋命と布刀玉命に対して「殿内で邇邇芸命に仕え、守りを固めること」と。
(5)神籬磐境の神勅
高皇産霊神が天児屋命と布刀玉命に対して、「高天原では高皇産霊神が神籬を立て祭祀を行うので、天児屋命と布刀玉命は天津国の神籬を持って行き葦原中つ国で邇邇芸命とその子孫のために祭祀を行えということで、皇室の繁栄と この国の平和を願う天皇のために祭祀を行うこと」という神勅を下した。
海外から奇跡の日本皇室と言われるのは、この神勅が今でも皇室で続いていることです。
---------------REMARKS ends------------------------------------------
■邇邇芸命の降臨
・邇邇芸命が降臨しようとする時、上は高天原から下は葦原中つ国までを照らしている神を見つけた。同行する天宇受売命に、高木神と天照大神の言葉として「我が御子の行く手を塞ぐのは何者ぞ」とその神に聞きに行かせた。その神は「猿田毘古神(さるたひこのかみ)」と名乗り、天神の御子が降りられると聞き道案内しようとやって来たと答えた。
・そこで猿田毘古神に先導させ、天石屋戸の時の他の5柱と共に降臨した。その5柱の神々とは、
1)天児屋命→中臣連、藤原氏の祖先
2)布刀玉命→忌部の首などの祖先
3)天宇受売命→猿女の君などの祖先
4)伊斯許理度売命→鏡作の連などの祖先
5)玉祖命→玉祖連などの祖先
である。
・また次の3柱は現身(うつせみ)は高天原に残し、霊代(たましろ)のみを降ろさせた。その時天照大神は「この鏡を我が魂と思って、私に仕えるようにこの鏡に仕え、思金神が政治を執り行うように」と伝えた。
6)思金神
7)手力男神
8)天石門別神(あめのいわとわけのかみ)、別名を「櫛石窓神(くしいはまどのかみ)」、「豊石窓神(とよいはまどのかみ)」という。
この鏡と3柱は伊須受能宮(いすずのみや=伊勢神宮内宮)に祀られている。
・「登由宇気神(とようけのかみ)」が外宮に祀られているという記述が入る。(注:唐突にこの記述が入るが意味不明)
・邇邇芸命は筑紫の日向にある高千穂の峰に天降った。そこからは次の2柱が道案内になった。
9)天忍日命(あめのおしひのみこと)→大伴の連などの祖先
10)天津久米命(あまつくめのみこと)→久米の直などの祖先
・ここで邇邇芸命は高い屋根の宮殿(日向(ひむか)の宮)を築いてそこに住むことにした。そして天宇受売命に対して「猿田毘古神はお前が素性を明らかにして連れてきたのであるから、伊勢の国に送り届けてやれ。その神の名はお前の家に伝え、お前が代わって仕え祀るようにしなさい。」と言った。これにより猿女君(さるめのきみ:古代より朝廷の祭祀に携わってきた一族)などが男神の名を嗣ぐようになった。ここから女を猿女君とよぶことになった。
・猿田毘古神だが、後に比良夫貝(ひらぶがい)に手を挟まれて溺れてしまい、その際の名前は、
11)底度久御魂(そこどくみたま)...底に沈んだ時
12)都夫多都御魂(つぶたつみたま)...底から泡が立ち上った時
13)阿和佐久御魂(あわさくみたま)...泡が割れた時
と言う。
・一方天宇受売命は伊勢の国で魚という魚を集めて「お前たちは天神の御子に仕える気はあるか?」と尋ねた。魚たちは一斉に「お仕えします」と答えたが、海鼠だけは返事をしなかった。そこで天宇受売命は「あなたの口は返事の出来ない口なのですか」と言って海鼠の口を紐のついた小刀で割いてしまったので、今でも海鼠の口は割けている。このように天宇受売命が魚たちのに誓わせたので、志摩の海の幸の初物を朝廷に献上する時に子孫の猿女君に下される。
・邇邇芸命は笠沙の岬(南さつま市)で美しい乙女に出会った。名を尋ねると、大山津見神の娘で「神阿多都比売(かむあたつひめ)」、別名を「木花之佐久夜姫(このはなのさくやびめ)」と答えた。兄弟はいるのかと問うと姉の「石長比売(いわながひめ)」がいると答えた。邇邇芸命はお前を妻にしたいがどうだろうと言うと、木花之佐久夜姫は父神から返事させますと答えた。父神は大変喜んで、多くの結納の品に加えて姉の石長比売も一緒に差し出した。しかし、姉は醜い顔をしていたので帰されてしまった。これには父神は「石長比売はその名前の通り天神の代々の御子のお命が長く続くよう、木花之佐久夜姫もその名が示すように桜の花が咲き匂うが如く栄えるよう誓いを立てたものなのに、石長比売を帰すとは、御子の命は桜の花が散るようにはかないものになってしまうでしょう」と言い送った。その為、今に至るまで天皇の命は長くはないのである。
・その後木花之佐久夜姫は身ごもったが、一晩で孕んだことに邇邇芸命は「それは私の子ではなく国つ神の子ではないのか」と疑ったので、木花之佐久夜姫は「国つ神の子であれば出産は失敗するが、御子の子であれば成功するでしょう」と言って、広い産所を作って中から土でふさいでしまった。そして出産の時になると、中から火を放ってしまった。そして火が盛んに燃え上がった時から順に3柱の御子が生まれた。
1)火照命(ほでりのみこと、又は海佐知毘古(うみさちひこ)→隼人の阿多の君の祖先
2)火須勢理命(ほすせりのみこと)
3)火遠理命(ほをりのみこ)、又は天津日高日子穂穂手見命(あまつひだかひこほほでのみのみこと)、又は山佐知毘古(やまさちひこ)
最後の御子の天津日高日子穂穂手見命という名は、日の神の御子であり、稲穂が盛んに実るという意味と、炎の中から生まれたという3つの意味を持っている。
(16)海幸山幸・綿津見の宮
※この話は多くの方が聞いたことあると思います。針をなくした弟を責め立てる兄も大人げない感じですが、元々はなくした弟が悪いのに、弟が兄を一方的にやっつけている姿に、正直なところ少々違和感を禁じ得ませんが。とはいえ、山の民が海の民を制する一方で海の民である海神の娘を妻とした辺りにこの話の意味があるという説明もありました。
・邇邇芸命の御子のうち、兄の火照命は海佐知毘古として魚を釣るのを仕事とした。弟の火遠理命は山佐知毘古として獣を取るのを仕事とした。
・ある日、弟が兄に「私の弓矢と兄さんの釣り針を交換しませんか」と提案した。3度断られたが、4度目でやっと兄が応じてくれた。そして弟は釣りをしてみたが一向に釣れないだけでなく、釣り針も無くしてしまった。弟が家に帰ると兄は早速「元通りに道具を取り換えよう」と言う。仕方なく弟は針を無くしたことを告げた。激怒した兄は弟を許してくれない。
・困り果てた弟が海辺で悲しんでいると、塩路をつかさどる「塩椎神(しほつちのかみ)」がやってきてどうしたのかと尋ねた。弟が説明すると塩椎神は「いい方法をお教えしましょう」と言う。そして竹で編んだ籠で小舟を作って、それに乗ってそのまま流されていくように指示。そして「その先に綿津見(わたつみ)の宮があり、そこに枝葉の茂った桂の木があってそれに登ってしばらく待っていてください。海の神の娘があなたを見つけてうまい手を考えてくれるはずです。」と言った。
・言われた通りに行くとすべては塩椎神の言う通りであった。そして桂の木の上で待っていると、「豊玉毘売(とよたまひめ)」の侍女がやってきた。山佐知毘古は侍女が持っていた水を所望し、それを受け取ると首にかけた玉飾りから玉を取り口に含むと玉を水の中に吐き出した。玉は器にくっついてしまい取れなくなった。
・コトの次第を豊玉毘売に報告すると「不思議なことだ」と豊玉毘売自ら門の外に出てみると、そこには麗しい若者がいた。両者は一目で恋に落ちてしまった。豊玉毘売は父である海神に報告すると海神も門の外に出てくると、「この方は日の御子である天津日高の御子である「虚空津日高君(そらつひだかのきみ)だ。」と言って宮殿に招き入れた。
・山佐知毘古は豊玉毘売を妻にしてここで3年を過ごした。ある日珍しく夫が溜息をついたので訳を尋ねると、夫は兄の釣針を無くして兄から責められていた顛末を語った。それを聞いた海神はすべての魚を呼び集めて釣針を取った魚がいないか尋ねた。すると魚たちは「そう言えば鯛が一匹何やら喉に刺さって者が食べられなくて困っていると言ってました」と答えた。その鯛の喉を確かめたところそこには釣針が刺さっていた。
・その釣針を清めて山佐知毘古に返すときに、海神は「これを兄君にお返しの時は、忘れずに呪文を唱えてください。『この鉤(はり)は淤煩鉤(おほち=ふさぎ鉤)、須須鉤(すすち=せっかち鉤)、貧鉤(まぢち=貧乏鉤)、宇流鉤(うるち=愚か鉤)』と言いながら後ろ手で渡してください。」さらに「もし兄君が高い土地に田を作るならあなたは低い土地に、兄君が低い土地ならあなたは高い土地に田を作りなさい。私が水を司っているので、必ずや兄君を困窮させることができます。」そして「もし兄君が恨んで攻めてくるようなことがあれば、この潮盈珠(しおみつだま)で溺れさせ、もし助けを乞うようであればこの塩乾珠(しおひるだま)を出して助けなさい。」と、その2つの珠を渡した。
・山佐知毘古を送り返す段になって、海神はすべての鰐を集めて誰が何日でお送りできるか尋ねたところ、一尋(=約1.5m)の鰐が「私なら1日で往復できます」というので、一尋の鰐に「怖がらせないように送りなさい」と命じた。山佐知毘古を送り届けた時、山佐知毘古は身に付けていた紐のついた小刀を褒美にその鰐の首にかけて与えた。それ以降、この鰐を「佐比持神(さひもちのかみ)」と呼ぶ。
・戻った山佐知毘古は海神の言う通り行った。兄は次第に困窮し、荒々しい心を起こして攻めても来たが2つの珠を操って、最後には宮殿の守護として弟に仕えるようになった。なので、その子孫の隼人たちは今に至るまで朝廷に仕えてきたのである。
(17)豊玉姫の出産
・その後、豊玉姫が山佐知毘古の許にやってきた。身籠っているが、天神の御子を生むのに海原では良くないと思ってやって来たという。それならばと早速海辺に鵜の羽を葦草代わりに葺いて産屋を作ろうとした。しかし葺き終わらないうちに産気づいて、その産屋に入った時、妻は夫に「お産の時は故郷の国での姿に戻ってしまうので決して覗かないように」と頼んできた。不思議に思った山佐知毘古が覗いてみると(※案の定というかお約束のストーリー)、そこには恐ろしい鰐の形をした妻の姿があり、思わず逃げ出してしまった。覗かれた妻は恥ずかしく思い、御子を残したまま生まれた国に帰ってしまった。なので、生まれた御子の名は「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひだかひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)」と言う。
・夫を恨みつつ故郷に戻った豊玉姫だが、やがて夫への気持ちが戻ってきたこともあり、妹の「玉依毘売(たまよりひめ)」を遣わして、御子をお守するようにした。
・山佐知毘古はその後高千穂の宮で580歳まで生きた。その御陵は高千穂の山の西にある。
・そして御子の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命は叔母の玉依毘売を娶った。そして四柱の御子が生まれた。
1)「五瀬命(いつせのみこと)」→厳稲(聖なる稲)の意味
2)「稲氷命(いなひのみこと)」→稲飯の意味
3)「御毛沼命(みけぬのみこと)」→御食主の意味
4)「若御毛沼命(わかみけぬのみこと)」別名を「豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)」又は「神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)。」そう神武天皇の登場です。
これらの四柱のうち、御毛沼命は波頭を踏んで常世の国へ行ってしまい、稲氷命は母を訪ねて海原の奥へ行ってしまった。
※ここで上巻の終了です。