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湯武放伐は是か非か?
この話は知る人ぞ知るって感じでしょう。しかし、結構身近に起こり得るもので、なかなかの難問ですが、ちょっと取り上げてみたいと思います。
■尖閣ビデオ流出事件
これに類する話で最近(?)大きな話題になったのは12年ほど前に起こった「尖閣ビデオ流出事件」です。事件のあらましは、ネットで調べて戴くとして、ポイントは、当時の民主党政権は何とかこの事件を抑えようと、しぶしぶ行った衆議院予算委員会でのビデオ公開も委員長・理事に限定するなど必死で隠蔽を図っていた(民主党ってどこでも似てますね)。ところが海上保安庁のビデオを、一人の海上保安官があっさりネットに流出させちゃったという事件です。
本質的には「このビデオが公開されるべきか否か」ということが先にはなりますが、ある意味「一組織の規律を重視する視点では正しくない行為である」という主張と、「国家の一大事を隠蔽することに反対し公開した行為はより高次元で正しい」という主張の戦いとも言え、簡単に言えば「この海上保安官の行為は正しいか否か」という訳です。
■湯武放伐論とは
まずこの湯武放伐論について簡単に説明しましょう。
・昔の中国の「夏」という国に「桀」という王がいて、余りの悪逆非道さに臣下の「湯(王)」がこれを打ち取って「殷」を建てた。
・また、その「殷」でも、その後に「紂」という悪逆非道な王が現れて、こいつもあまりに酷いので今度は「武(王)」が打ち取って「周」を建国した。
さて、この「湯」「武」の行為は正しいのか否か。即ち君主が暴虐の時は民のために臣が叛逆してこれを誅滅することが「義」なのか否か?ここに議論のポイントがあります。
■拘幽操、伯夷・叔斉の話
この話だけ投げられても少々分かりにくいでしょうから、2つの話を追加でご紹介します
・1つは「拘幽操」という韓退之(かんたいし)が作った文章です。主役は文王という方で先ほどの「武(王)」のお父さんになります。紂王の余りの酷さにため息をついていた文王ですが、それを見ていた誰かから讒言されて、紂王に幽閉されてしまいます。その暗闇での幽閉中の文王の心境を、韓退之が読んだ文章とのこと。内容は、そんな目に逢いながらも、紂王を恨むことなく自己反省をしているもの。
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「ああ、私の罪は死刑に相当するほどです。(嗚呼、臣が罪、誅に当りぬ)」
「主君(紂王)は聖明であらせられます。(天王は聖明なり)」
幸い文王はその後救出され、その後も人徳を積んでいくが、崩じた後、息子の武王は紂を倒してしまうわけです。この文王は後に「臣の鏡」と孔子から肯定評価されますが、その一方で彼は武王にはやや否定的です。つまり彼らは湯武放伐論でいうと否定派になりますが、完全否定できない歯切れの悪さがあります。この辺りは儒教の弱点という感じでしょうか。
・2つ目は伯夷・叔斉という周辺国の王子兄弟のお話。
この兄弟は三兄弟のうちの二人で、真ん中の次男に国を譲った後、文王の評判を聞いてその領地にやってきたが、既にその子の武王の代になっていた。武王が紂王を討ち周を建てたのを聞いて、二人は周の粟(穀物)を食む事を恥として周の国から離れ、首陽山に隠棲してワラビやゼンマイを食べていたが、最後には餓死したという話。
この2人を評価したのも孔子で、儒教では聖人として扱われている。当時はそういう価値観が主流だったのかもしれませんね。
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どちらも「君君たらずとも臣臣たらざるべからず」という訳です。ちなみにこの言葉の出典は偽書という噂ですが。
■孟子の評価:
同じ儒教の流れでも、孟子の時代になると話が変わってくるようです。
孟子曰く、「仁を賊う者は賊、義を賊う者を残という、賊残のものは一夫という。一夫紂を誅すると聞けども未だ君を弑せるとは聞かず」とか。つまり、紂王は既に君主の資格などなく、武王が討ったのは匹夫(卑しい男)に過ぎないということ。これは湯武放伐論肯定派になります。
では君主と匹夫の違いはどこにあるのか?リトマス試験紙はないが、「討たれる」とうことは「天」が見放したからということになりそうです。ちょっと歯切れは悪いのが難点。ただ、今の日本人の多くはこれに近いのではないでしょうか。何を「絶対化」しているかがポイントだと思います。
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■日本での評価
・儒教・朱子学のテーマとして日本では江戸時代の朱子学の崎門派の議論が有名です。崎門派というのは山崎闇斎を祖とする朱子学の一派でその門弟に浅見絅斎・佐藤直方・三宅尚斎がいます。浅見絅斎は「靖献遺言」の著者として高校の教科書に名前が載っていたので記憶にある方もいるかもしれません。いずれにしてもこの方たちの思想が水戸学などに引き継がれて倒幕につながって行きます。
この辺りの議論は『現人神の創作者たち』(山本七平著)に詳しいです。この本はとにかく凄い名著だとは思いますが、歯ごたえたっぷりです(^^;)
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・超簡単に言えば、師の山崎闇斎は表面的には否定派。表面的というのは「朱子学の正統論には矛盾がある」と一応指摘しているから。つまり、「できちゃった王朝は正統性を持ち、これに対する叛逆は許されないとすると、王朝を立てたものは皆反逆者となってしまう(かつて、どの易姓革命も反逆の結果であるから)。反逆者が正統を主張し、これへの反逆者を賊といえる大義名分がどこにあるのか?(みんな反逆者じゃん)」要は、王朝の正当性って何だ?という意味を含んでいる。
・弟子の浅見絅斎はさらに突っ込んで、「要は天下を円めて、漢唐宋のように穏やかに治めさえすれば、正統になっちゃうという訳だ(やったもん勝ちじゃん)。唐の高祖は隋の臣であった。宋の太祖は後周世祖から無理に天下を奪い取った。」ということで、「ここには基本原理などない」と喝破した。この辺りから徳川幕府の正当性への疑念が芽を出してきます。
■さて、湯武放伐は正しいか否か
・私は自分が属する複数の「共同体」をどう定義して、それらの間の優先順位をつけるしかないだろうと思っています。尖閣ビデオの場合、そもそもあのビデオが公開すべきか否かの議論があるべきですが、公開すべきものとした場合、隠蔽は「海上保安庁」「民主党政権」というローカル共同体の保身的性格を帯びてしまう。ローカル共同体の中でそのローカル共同体ルールを絶対化している人はそちらを優先する。しかし、そのローカル共同体の人でも、その外部にある何か(例えば国家安全保障)を絶対視し、それに基づく倫理的規範を自己規範とした瞬間にローカル共同体ルールは相対化されてしまう。例えば「国家」の保身(=正確には安全保障という言葉が正しいが)にくらべたら順位は低くなってしまうということ。
・会社ぐるみの不正と内部告発なんかも近いでしょうね。
・あの時の議論を見直すと人の考え方がよくわかる。法律に縛られている人は国家公務員法違反とか、そんなことを認めたら組織が壊れてしまうとか主張してましたが、真っ先に肯定したのは石原慎太郎氏「何故、愛国者が逮捕・送検されなければならないんだ」と主張されてました。石原氏は法律でなくて、それを超えて「法」で見ていたと思います。立法機能を担う政治家はそれでなくてはならないでしょう。
・日本の憲法学者はほとんどが護憲学者で「XXXは憲法違反」とは言ってますが、裁判所や内閣法制局じゃないんだから、「こういう風に憲法を変えるべき」という言説を唱えるのがあるべき姿ではないでしょうか。ちょっと話がずれてきましたが。