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ありがとう、20代。よろしくね、30代。

こんにちわ、masamiです。
実は2021年7月8日で、晴れて30歳になりました。

まだまだちっぽけな私ですが、20代はとても学びが多く、特に社会人になってからの5年間はとても充実していました。
心底辛い時期もあったし、飛び上がるほどの喜びも経験しました。

せっかくなので、20代を終えた今 思っていることを、「考え方の変化」を中心に記していこうと思います。5年後、10年後、さらにもっと先・・・未来の自分が「当時の自分はこんなこと思っていたんだな」と少し恥ずかしく、でも懐かしく思いながら読み返すことを想像して、記念として残します。

恋愛編

書く順番は悩ましいですが、まずはこれからいこうと思います。というのも、来月8月から、私は1年お付き合いしている人と一緒に暮らすことになっているからです。自分にとって一番タイムリーな話題です。
彼とは婚活中の2020年5月にマッチングアプリで知り合い、同年8月からお付き合いを始めました。

◆「冷静に話し合いができる人」が一番いい
当時の婚活における異性の大まかな選択条件は以下でした。
・結婚し子供が欲しいと考えていること
・冷静に話し合いができる人であること
・食事の好み、雑談の話題、笑いのツボが似ていること
・私のことを一番に考えてくれる人
10代の頃は「好きな気持ちがあればなんとでもなる」と考えていた(それも重要ですけどね)私ですが、社会にでて「好きな気持ちだけでは長期的関係は維持できない」という考えに至りました。当たり前のことかもしれませんが、それなりの人が通る「考え方の変化」じゃないかなと思われます(笑
結果的に行き着いた「結婚したい人の条件」が上の項目。好きと言う気持ち以外も、こんなにもたくさんの条件が私の中にあったとは・・・。

特に「冷静に話し合いができる人であること」は最重要だと考えます。
結婚すれば必ずいろんな出来事に遭遇するでしょう。普段仲が良くても、トラブルの度に互いの関係にヒビが入るのは考えものです。
昔、感情的な判断を最優先にする上司のもとについたことがありますが、悲しいことにその後大きく体調を崩しました。気持ちに任せて生きてる人と一緒にいるのは、本当に疲れます。
そこから「共に人生を歩むのは、きちんとした話し合いができる人がいい」と考えた、というわけです。

当時の「婚活苦戦譚」については、機会があればまた別途書いてみようかなと思いますが(笑)、最終的に素敵な人と出会えたと思っています。

キャリア編

次にキャリア編です。私は2016年から新卒でシステムエンジニアとしてIT業界に就職し、化学メーカーの地方工場で社内SEを3年半経験、社内異動で東京にてインフラエンジニア1年、転職してテクニカルサポートを数ヶ月という職歴をたどっています。

◆「大きい会社に勤めれば安泰」という考え方は危険である
先ほども書きましたが、私は仕事で体調を崩したことがあります。初めての職場、地方転勤先での経験です。
人間関係で体を壊すこと自体は、残念ながら今の世の中では良くあることですが、この時学んだことの一つに「会社に絶対的信頼を置いて働くような、依存的な考え方は非常に危険である」というものがありました。
当時勤めていた会社は業界でもかなり大きなところで、コンプライアンスにも力を入れているように見えました。ただこれが大きな認識違いでして、私が配属された職場はとても強いトップダウンの社風と女性蔑視の環境だったのです。
先輩社員の話を聞くとそれが当たり前らしく、入社まもない私はその状況を鵜呑みにし、次第に現実に耐えられなくなって体調を崩しました。
生きるために仕事をしているのに、「大きな会社だから環境は悪くないはず」と盲信して、仕事で命を落としそうになる。なんとも馬鹿げた話です。
めちゃくちゃな暗黒時代でした。

該当の職場は3年半勤めましたが、その間は進みたい道・将来のキャリア像が全く見えませんでした。本当に苦しかった気持ちを、昨日のことのように覚えています。それでも自分なりにもがいた結果がなんとか実り、転職して今の職場にいます。今はかなり幸せです。
転職が決まった時は本当に嬉しくて、暗黒時代にはいっさい頭に浮かばなかった「自分の道は自分で切り開く」という気持ちを(学生以来久しぶりに)感じることができました。それと同時に、「社会人は力をつけ、働く環境を自分で選べることが最も重要である」と認識したのです。

◆ 現代社会においてもなお、女性は虐げられる可能性がある
東京生まれ東京育ちの自分にとっては考えられないことですが、地方ではまだまだ「男性が上、女性が下」という構造が残っています。地方勤務で目の当たりにしたのが、この「女性の地位の低さ」という問題でした。
当時の職場では定期的にセクハラを原因に退職・休職する若手の女性が後を絶たず、被害を訴えてもなかなか改善がされない状況でした。
会社の相応の窓口に相談すると「証拠がないから動けない」と言われ、年長の同性(長年働いている女性)に相談すると「私も若い時にされたことがある。あなたのことが好きなんだろう。気にすることはない」と諭されるのです。
このような悲しい状況が集団で、かつ無意識に「あたり前のこと」として処理されている現実に、非常に腹が立ちました。
今でこそ転職してそういった環境は「過去の記憶」になりつつありますが、あの時感じた悔しさや虚しい気持ちは今でも忘れられません。また、かつての職場に残してきた仲のいい若手女性社員が今も無事に働けているのか、とても心配です。
(ちなみに当時の振り返りはこちらの連投ツイートに記載してあります)

人生観編

さて、次は人生観編です。世の中にはいろんな人がいますが、自分もその中の一人です。周囲との考え方の違いに悩んだり、誰かに助けてもらったりと、色々なことがありました。
そこでの学びを振り返りたいと思います。

◆ 「感情のコントロール」「言語化」「自己理解」は成長のための秘薬
私はもともととても怒りっぽい方です。学生時代はイライラした感情をよく周りにぶつけていました。ですが社会人になって「怒りを周りにぶつけることのデメリット」を痛感する場面が何度もありました。
・相手を萎縮させて自尊心を傷つけ、自主性を低下させる
・同じアドバイスでも、怒りの感情が混ざると正しく伝わらない
・心身にダメージを与える可能性がある
こういった負の結果より、「なるべく怒りは自分の中で昇華しよう」と努めたのです。
改善のきっかけは当時出会った方の巧みな言葉遣いに感銘を受けたことでした。彼は自分の考えを説明するのがとてもうまく、周囲を説得することに長けていました。
怒りの感情とはそもそも、「言語レベルで認識できない負の感情である」と薄々考えていた私(自分の感情コントロールが下手なことも課題と思っていましたし)は、言語化が上手い彼を見本にして、自分の気持ちを人に説明できるレベルまで落とし込む練習をしました。
同時に「自分がどういう時に怒りを感じるか」を認識すること、自分を知ることにも努めました。怒りの根本原因が特定できれば取り除いたり、自分の至らない部分(怒りは嫉妬や妬みが元になることもありますので)と向き合うことで自己成長につなげることもできます。
3年ほど頑張ったおかげで怒りの感情を制御しやすくなり、周囲と必要以上に揉めなくなりました。仲間を作るのもうまくなり、人としても成長できて、だいぶ楽しく生きれるようになったと思います。

ちなみに、、、叱られて凹んだり、自己嫌悪でクヨクヨしてしまったり、「落ち込み」に対しては相変わらず弱いままです。あと「この人はすごい人だ」と思うと、話す時に萎縮する癖が抜けません。30代の課題かな(苦笑

◆ 「自分軸」は社会を生き抜く道標
私の衝撃的な初配属地から学んだことはまだ色々あります。「自分軸の重要性」もその一つです。自分軸とは、周囲の発言や世間の常識とは関係ない、「自分だけの判断基準」のことです。若い頃の私にとっては、これが「女性差別への課題意識」や「自分の理想のキャリアが描けない不安」などでした。
周囲に相談しても「そんなことは考えるだけ無駄。ただ働いていればいい」と言ったコメントを返さればかり。でも私には私なりの理想像があったので、その言葉には従いませんでした。今は彼らの言葉に通りにしなくて本当に良かったと思います。彼らとは「軸」が明らかに違ったのですから。それに乗っかっていたら、彼らの理想にはフィットするかもしれません。でも、私の「軸」を満たすことはできないのです。もし周囲の考えに流されていたら、きっと私は今もいろんな悩みを解決できないまま、毎日不満を抱えて生きていたと思います。

何をしたいか分からなくなってただひたすらもがくことしか出来なくても、「自分はこうしたい」という判断基準があれば、元の道をもう一度辿ることができます。やがて道は開けます。迷った時や辛い時ほど、自分色の標(しるべ)が重要になるのです。

◆ 「分からないことを捉える力」で自分はもっと伸びる
これはつい最近、尊敬する友達のエンジニアから教えてもらった話。
彼は(今でこそ素晴らしいエンジニアですが)昔 自身のエンジニアとしての能力不足に悩んでいたそうです。そんな時ブレイクスルーとなったのが「分からないことを許容すること、わからなくて良いと自分を許すこと」だったそうです。どんなにすごいエンジニアでも分からないことはある、でも彼らが本当にすごいのは「分からないことを許容し、分からない対象を認識して、理解までの距離を詰める能力・スピード感」だったそう。
私にとっても、この言葉はとても救いとなりました。特に「認識して理解するまでの距離を詰める」というところにとても惹かれました。それはなんとなく、昔努めた「自己理解」の発展のような気がしたからです。

自己理解は正解がありません。対象(自分の特性)を想像や仮定の元でとらえ、最終的にそれっぽい答えを出すだけです(人は「変わる生き物」なので、時間が経つと以前の結論がわかることもある、とても流動的な対象ですしね)。ですが技術には必ず「正解」があり、「理解する」とは「対象を正確に特定して自分の中に取り込むこと」に他なりません。私は今まで「答えがないことに対してもがく」という行動はなんどもしてきましたが、「正解を捉えて自分の認識とのギャップを埋める」という動きはしたことがありませんでした。この「新しい考え方」に、私は大変興味が湧きました。

実践のためには言語力・表現力・課題特定力・俯瞰力・認知力と色々な力が必要です。ですが、この感覚を意識するようになってから、「わからない事柄に対する考え方」が確実に変わりました。難しいことにもポジティブに取り組めるようになりましたし、視座も上がったと思います。
貴重な経験談を経験談を話してくれた友人に、とても感謝しています。

◆「人は変えられない、自分が変わろう」というのは半分本当で、半分嘘
さて、再度登場する私の初配属先の話(辛かったことって学ぶことも多いよねってことで!)。私は合わない上司や合わない環境で耐えて体を壊したわけですが、当時を振り返ると最近いつも「そんなに耐える必要はあったのだろうか?」と思うのです。
実は体を壊してから私に手を差し伸べてくれた人が何人もいました。それは新しい人間関係によってもたらされたものだけでなく、既存のコミュニティの方々も含みます。
何を言いたいのかと言うと、「私が意固地になって周りに助けを求められていなかっただけ」という話です。若かりし頃の自分は意地っ張り・見栄っ張りで「周囲に助けを求めることはタブー、自分だけでできることこそが素晴らしい」と思っていました。でもその考え方が間違っていたのです。困った時は周囲に助けを求めたり、誰かが困っている時は協力したり。共に歩んだり、巻き込んでいける人の方が伸びやすいような気がします。
確かに人は変えられません。でも、自分だけで抱え込むというのは違うと思うんです。特に自己否定や、「自分だけが我慢すればなんとかなる」と言う考え方は絶対に良くありません。
もちろん状況によります。助けを求めても突き放されることもあるかもしれません。私も結果的に助けてくれた人は本当に一握りだったので、運が良かっただけかもしれません。
でも周りに助けを求めることは「自分が変わる」以外にもできることの一つなので、積極的にやっていいと思います。今は昔に比べてあまり「自分だけ頑張ればいい」という考え方は持っていません。(我慢は最終奥義だと思っています笑)

◆ 他人を貶(けな)して生きるのは、人間性の限界
人生観編の最後に、自戒も込めて記すのがこの言葉です。
現状に不満を言ったり、他人に批判的なこと”だけ”いう大人で「尊敬できる」と感じた人は今まで一人もいませんでした。
暗黒時代には自分もそういった行動をしていたことがありましたが、完全にドツボにハマっていた時期だったので、一時的に発症していたのだと思います。あれが5年、10年と続いていたら・・・「グチばかり言って何もできない残念な人」の人格が染み付いていたかもしれません。

私は、現実に向き合い、課題点を探して改善していける人が好きです。巻き込まれてグチだけ言うのではなく、冷静に状況を判断して進んでいける強い人を尊敬します。つまり、自分がそうなりたいと言うことです。社会に出て、この点はますます強く感じるようになりました。
昔から気持ちが弱い人間ですが、より理想に近づけるように努力したいと思います。

30代でやりたいこと

ここまで20代の変化を振り返ってきたわけですが、最後にこれからの10年について書いていきます。

◆ 笑顔あふれる家庭を築く
どこかのふんわりとした公約みたいですが、本当にこのままを実現したいのが私の正直な気持ちです。
詳しいことはこちらには書きませんが、私は子供時代あまり家庭環境に恵まれませんでした。今時めずらしい、家長第一、意味のない体罰OK、怒声なんて日常茶飯事な家です。
小学生の時はそれが普通と思っていたのですが、高校生くらいになると「うちの家はおかしいのではないか?」と思い始めます。友達の家庭環境と自分の家との状況が全然違うことを知ったからです。
社会人になってから、自分の家はいろんな意味で修復不可能であると悟ってしまい、(実家からは会社は通勤可能圏内でしたが)仕事に集中するために、そして自由になるために会社の寮に入りました。
「私は笑顔があふれる家庭に生まれたかった」と今でも思っています。
「最初の3年は仕事に打ち込む。でもそれ以降は笑顔溢れる家庭を自分で作るために行動する」と決めたのが今から約5年前。まだ結婚すらしていないですが、「最初の3年は〜素敵な人と」まではなんとか達成できました(笑

あと、笑顔って何もしなくても生まれてくる安っぽいものではないだろうなというのは、たびたび考えるところです。その裏にいろんな努力あり、苦難あり。それを乗り越えて家庭に笑顔をもたらせるようにするためには、自分の人間性も大切な気がします。
守ることができることによって伸びる感性もあると思いますが、今のうちに人として成長しておきたいと思っています。

◆ 業界を代表する「女性」エンジニアになる
家庭を築くことと同じくらい自分が実現したい未来は、エンジニアとして成功することです。今の自分にとって、これはかなり背伸びの目標になります。でも願わないと叶いません。夢を夢のままにしてしまうには、まだ30歳、なんとも惜しいと思っています。諦めたくないという気持ちのまま、恥ずかしながらここに書くことにしました。
世の中にはいろんなエンジニアがいらっしゃいますが、書籍を出したり、講演をしたり、会社の外でも活動しているエンジニアになりたいと考えています。ちなみに、現状策やお誘いはありません(笑

願わくば、自分を見てエンジニアを志す女性が現れてくれるくらいになりたいです。もしくはエンジニアを諦めそうになっている方の理想になりたい。女性が少ないエンジニア業界を、女性にとって働きやすい業界にすることにも貢献したい、とも考えています。
これはかつて自分が女性として虐げられた経験があるから、掲げる目標です。
私は「女性」という性別に強いこだわりがあります。これはある意味、過去の自分を救う行為(辛い過去を昇華できていない)になると感じています。自分としては早く忘れてしまった方がいいのかもしれません。でもまだまだIT業界の女性の割合は低い時代が続くでしょうし、結果的に一人でも多くの女性エンジニアを助けられるのであれば、自分の過去の経験も活かしていきたいと思うのです。

◆ 仕組み化で「楽しい」時間を1秒でも多く作り出す
実現したい明確な未来だけでなく、「人生観」的なカテゴリーに入るものも、一つ書いておこうと思います。それは「楽しい時間を少しでも増やしたい」という自分の素直な欲求です。
ここの「楽しい」は、決して「楽」という意味ではありません。辛さを感じる場面も、工夫次第で楽しい時間にすることができるので、あくまでそういった状況をさしています。
また、どんなに辛い中で努力しても、楽しさを感じながら経験値を積んでいった人には敵わない(もちろん全てとは言いませんが)といった自己体験もあるからです。
仕組み化をして、よりいろんな経験を楽しみながらするすると実践し、経験値を増やしていきたいと思います。根性は続きませんので。

最後に

誕生日前日に書くことを思い立った本 noteですが、内省しながら自分の考えをまとめていると、やはりとても勉強になりますね。「ここはまだまだだな」とか、「これはずいぶん頑張れた」とか、改めて自分と向き合うことができました。(誕生日からだいぶ時間が開いてしまったのはご愛嬌で 笑)
次の10年は家庭とともに生きる予定なので、今までとは違う時間になると思います。貴重な日々を過ごしたいものです。

最後に、少しご紹介を。
自分は女性エンジニアの交流プラットフォーム sister(シスター)の運営(のお手伝い)をしています。

『あなたのキャリアが誰かの一歩を踏み出す勇気となる』が私たちの標語です。今でもなお、女性のロールモデルが少ないIT・Web業界。キャリアやスキルのお悩み・相談したいことがあれば、ぜひ私たちのプラットフォームもご利用ください。きっとあなたの力になってくれる「sisiter」に出会えます。(私も登録してますので、ご興味あればお話ししましょう!)




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