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1・我が家のある出来事から人生一遍  2)起業までの決断6ヶ月

前回の続きから

さぁ、これから母ひとりで子どもを養うために、
どれだけの覚悟があったのか。。。
中学校1年生だった私は子どもながらに、必死な状況はわかっていました。

自分がその立場になったらどうだっただろうか、、、そう簡単にはできない決断!(-_-;)
起業経験がない中、掛け持ちしているお掃除のパートを半年間で辞めると決めた母。支えてくれるのは、唯一祖父母や叔母が話を来てくれるだけ。不安だと言って、弱音をはいている場合じゃない現実。どんな形であれ、とにかくひとりで2人の子どもを養わないといけない。養育費の代わりにマンションの権利はもらったものの、、、収入は何もしなければ、入ってこない。そんな当時の精神状態は計り知れないほどの重圧だったでしょう。

当時パートは、家事代行のビル掃除や、児童館の掃除を承りました。
そんな中、事業のノウハウなどは二の次、お客様にご提供する家事代行サービスについては、得意とすることだったことから、パートの金銭面だけでなく、これだったら私にもできる!と言う確信から、パートでいるつもりはなかったといいます。最低限必要なことを優先して準備し(屋号、チラシ作り、作業アイテムなど)とりあえず家事代行サービスを立ち上げてみよう!と起業をスタート。運転免許を取ったのもその頃でした。
誰に経営を学んだわけでもなく、あくまでも自己流。経理は多少の資格と経験から「何とかなる!何とか形にする」と決めて走り始めたといいます。
というのも、母が高校生の頃、実ははんこ屋さんでアルバイトをしながらそこの店主のご自宅の家事手伝いもしていた母。そのため、潜在意識には家事代行の段取りなど一般的なことが身についていたのかもしれません。

そう思うと、全て点と点が線になるために、経験したことがうまい具合に生かされていく時が必ずくることを体現してくれています。

ではどうやって集客したのか?
当時、素人の集客方法で手っ取り早いのは、チラシ配り。母のバックアップは、私の祖父。祖父は看板や煙突に字や絵を描く仕事をしていたことから、チラシを手書きで描いてもらいました。そして、以前一緒に仕事をしていた方の印刷会社で印刷をまとめてしてもらい、ポスティングをしたといいます。
空いた時間を使って、ひとりでポスティングを500枚ほどしたそうです。正直800枚ほど刷った原稿ですが、ひとりでは力尽きたといっていました。

その中で幸いにも2件のお客様からのご連絡。
1件のお客様はご夫婦が亡くなるまで、約17年程お世話になりました。もう一件は、今でも継続いただいているお客様の一人です。
そして、2件のお客様の依頼から数カ月後、ご紹介から企業様との契約がスタートします。このひとつの企業様との契約から事業が安定したのが起業して2年目のことでした。そこでは、ビルメンテナンスから行事の準備、業者とのやりとり、お掃除から花壇の世話、社長からの頼み事などなど、あらゆることをこなす毎日。平日4、5日間、1日8時間を30年間勤めさせてもらいました。(週により2日ほどは他の定期のお客様の訪問)その企業様が決めた定年という時期に退職する形で契約をしていました。惜しまれながらの満期。信頼関係の深さもありがたく感じた次第です。

本人はまだまだ働ける元気な体でしたので、誰もが「え!」と驚かれたそうです。その企業様の社員にとっては、母の抜けた穴は最初はかなり大きかったはずです。だってお願いされた事以外にも、気を配り手配してきたこともあったでしょうから、そのマニュアル作りの言語化には相当大変だったことも想像できます。それこそ、人間の97%は無意識だと言われていますから、これまでの経験の中でなんとなくやっていたことも、あったことでしょう^ ^あとは、ホスピタリティの心からどれだけ気を配れるか?が大切にな仕事だと思います。

ところで母の起業当時私は、中学校1年の思春期、多感な時に母を支えることが重要な任務でした。簡単な家事手伝い、妹の世話など頼まれてきました。
クラブ活動のテニス🎾からの帰宅後は、正直「なんで私がやらないといけない!」と常に反発心もあったし、何も託されていない自由で何もしない妹にイライラしていた日々でした。赤ちゃんじゃないのだからできることもあったのに、、、「なんでわたしだけなのか?」と我慢の限界で夕食時に気持ちをぶちまけたこともありました。
『子どもが子どもらしく、過ごすこと』の当たり前がとても羨ましい時期でした。そうした状況から当時、私の通った中学では給食がなくお弁当。疲れ果てた母は起きれず、、、冷凍食品や卵焼きを入れるなどして自分で用意したことがほとんど。たまに作ってくれたお弁当は、茶色が多く(-。-;彩りなんぞ考える余裕がなかったのでしょう。さすがにその彩りは恥ずかしさもあり、誰にも見られないように食べたこともありましたww。今だからこそ言えるリアルな状況です。今となっては、笑い話にするくらいですね!それほど、慌ただしく一生懸命働く母を支えるべくチームワーク。よくやった!とわたしも子どもながら自負します!ww

そんな慌ただしくてお弁当が作れない程クタクタの日々から、4年ほどたって慣れてきた頃、、、
妹も中学生となり、仕事が軌道に乗って来たこともあり母が毎日お弁当を作っていました。私は最後の高校1年間の時期でした。
今となっては、起業当時の大変さも理解できますし、その分子どもにしわ寄せがいくのも無理ないのかなと思っています。これも私自身が自分の過去を振り返り当時どんな状況でどんな気持ちだったのか?掘り下げて書き出したことからこうして記事として残せているのだと思います。
女性として働きながらの子育てがどれだけ大変なのかを、思い出したことで、今の事業で伝えたい気持ちがよりリアルに伝わるとうれしいです。

現在2024年においては、お世話になっていた企業の先代のご子息である社長ご自宅に定期訪問の契約で継続いただいています。(もちろん今も母のみご訪問しています)

思えばひとりでここまでよくやったと尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。


つぎに続く


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