どこかで誰かと
こんな話を聞いた。
昔子供の頃、夏休みは田舎のばあちゃんの家で過ごしていた。
親は共働きだったし、親が働いている同級生は皆んな似たような感じだったから、中学生になって部活が始まるまでそうしていた。
ばあちゃんは、毎年、僕が住んでたヨコハマまで電車で迎えに来て、翌日中華街で月餅と揚げ菓子を買って、僕と電車とバスに乗って、山間の村の家に帰った。
ばあちゃんの家は農家で、じいちゃんが死んだ後は大抵ばあちゃんと2人で過ごしていた。
でも、近所のじいちゃんやばあちゃん達が優しくしてくれて川に魚釣りに連れて行ってくれたり、しいたけを山の中でとらせてくれたり、それなりに楽しかった。
ばあちゃんの家にはちゃんと水道もあったし、家も建て替えたとかできれいだった。
そんな家なのに、不思議だっだのは古い時代劇にでてくるような井戸が庭の隅に壊されず残っていることだった。
その井戸は丸い石を積んであって、ばあちゃんがいつもきれいに手入れをしていたから、のぞくときれいな水が空を映していた。
お盆にはばあちゃんは井戸に中華街で買ってきたお菓子とお花を備えてた。
朝になると、お菓子がいくつかなくなっている。
ばあちゃんに誰が食べたの?と聞くと、笑ってサルかね、キツネかね、もしかしたらタヌキかねと言った。
不思議に思った僕は、ばあちゃんに水道があるのに、なんで井戸があるの?なんでうちは井戸にもお供えするの?って聞いた。
そんな家は近所でもうちだけだった。
ばあちゃんは、ちょっと真面目な顔になってしばらく黙っていたけど、もう少し大きくなったら話してあげるよと言った。
6年になったとき、聞いたの話だ。
「昔、ばあちゃんの家にはいとこの兄さんが住んでいたんだよ。
兄さんは本当の兄さんみたいで優しくて、本をいっぱい持っていた。
でも、戦争があって兄さんは中国に行ってしまった。
村の他の若い衆みたいにね。
戦争が終わって、帰ってきたもんもおったし、帰ってこんものもおった。
うちは、幸いなことに兄さんは帰ってきた。
でもな、兄さんが帰ってきた時、家の人みんな、兄さんだとわからなかった。
ただ、兄さんのおっかあだけが、名前を呼んで土間を転がるようにはしって抱きついたのは、ばあちゃんになっても昨日のことのように思い出すよ。
そのくらい兄さんは変わっておった。
兄さんが帰ってきた後、幸いだったのかどうなのか、ばあちゃんには今もわからん。
兄さんは夜中に大きな声で叫ぶようになった、ねむれなくなった。
山の仕事も畑の仕事も、途中で悲鳴を上げて逃げ出して家に戻って布団かぶってガタガタ震えとった。
井戸を特に怖がってな、兄さんのおっかさんが井戸を潰そうとなさったんだ。
でもできなかった。
井戸を潰そうとするたんび、当の兄さんが狂ったように井戸を守るんで、頼んでいた村の人たちも諦めて帰っていった。
そんなことが何度かあって、兄さんのおっかさんがな、ある時から井戸にお供えをするようになった。
お寺のお坊様に相談して、頼んでお経を上げてもらって、兄さんのおっかさんは毎日毎日、山のゆりが咲くときはゆりを、畑のすみで菊を育てて干し柿やらと一緒にお供えしとった。
それを見ると兄さんのおかしな振る舞いが落ち着く。
農家でも食べ物は、今みたいに手に入らんかったんだよ。
でも兄さんのおっかさんは、何もお供えがない時は自分の茶碗から削っても花とお供えは欠かさなかった。
兄さんはそれからまもなく、戦争の時にもらってきた肺病で死んだ。
それでも兄さんのおっかさんはお供えは欠かさなかった。
兄さんのおっかさんが死ぬ時、家で1番幼かったばあちゃんが呼ばれた。
兄さんは中国で、若い母親を殺して井戸に投げ込み、その母親に縋り付いていた小さな子どもを殺したそうな。
兄さんは、死ぬ前には呆けてしまってひとりで家でぶつぶつ何かを喋っていたけど、ちゃんとしてた時に自分のおっかさんには話したんだ。
どうしたら謝れるのか、この村から出たことのない兄さんのおっかさんはあの井戸に謝ることに決めたんだ、そう言って自分が死んだ後はばあちゃんがこの家で1番若いから、ずっとお供えは続けてくれと泣きながら、手を合わせた。
だからばあちゃんは優しかった兄さんと兄さんのおっかさんとの約束を守ってんだよ。」
僕は子どもだったし、戦争とか言われてもよくわからなかった。
でもね、お供えをした時はばあちゃんと一緒に手を合わせた。
僕はその日、見たんだ。
井戸の中きら小さな子どもの手が、そっとお菓子を取って井戸に消えたのを。
信じなくていいよ、もうばあちゃんもいないし、あの家は誰もいないままになってるしね。
うちはね、だからお盆のお供えは中華菓子なんだ、今でも。