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伊藤若冲 / メトロポリタン美術館
誰かとどこかで
こんな話しを聞いた。
その老婆は80代半ばを過ぎて、認知書もだいぶ進んでいたという。
入浴も拒否し、誰も触っていないのに大きな声で痛いんだよーと叫んだり、車椅子とベットを行き来するしかない状態だった。
けれど、彼女にはこだわりがひとつだけあった。
ベストを着ること。
老婆は入浴の後、必ずベストを着せてくれというが、職員によっては無視されることも少なくない。
人でも足りないし、虐待だと叫ばれるのは、みんないやだからね、とこの話をしてくれた人は笑った。
でもその人は、必ず老婆の希望を聞いてやり、3枚しかないベストを支持される通り着せてあげていたそうだ。
ある時、ベストをいつも通り着せてやると、叫び出す様子もなく、穏やかに微笑みながら話しかけられた。
「あのね、昨日家族がきたの、みんな笑っていたの。
だからね、私も行くことにしたの。
それも一つの勉強だと思って。
ベストをありがとう、これ着ていくわ。」
その人は、家族でも面会に来たのかなと不思議に思ったそうだ。
その老婆の家族には会ったこともないくらい、施設に来ることがなかったからだ。
でも老婆は嬉しそうに笑っているし、いつもの無表情と違って光が当たったように見えたそうだ。
だから、外出ですか?よかったですね、と話を合わせていつも通り世話をしたそうだ。
二日後、出勤するとその老婆がその話をした夜中、老衰で亡くなったと知ったという。
まあ、よくあるお迎え現象だったんだなって思うよね、そう言って、その人は微笑んだ。