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医療的ケア児の親になって2ヶ月

今年の夏に(2022年7月)に長男が生まれて2ヶ月が経ちました。生まれてすぐNICU(新生児集中治療室)に運ばれ、このnoteを書いている9月25日現在もNICUに入院をしている。

息子は出産時に重症新生児仮死状態で、自発呼吸が出来ずに産まれました。また、筋肉の緊張が弱く手足がだらんとした状態だった(低緊張、フロッピーインファント)と医師に言われました。

もう数日で確定診断が出ますが、先天性ミオパチーという先天性疾患が原因です。

これまでの医師の診察や複数の検査でその他の可能性は陰性が見られ、これが最後に残っています。

国の難病にも指定されており、今の医療技術では根本治療の方法が見つかっていないもので、今後も息子は筋肉低下のままで歩けない、手足を思うように動かせない可能性があります。

筋肉の低緊張だけでなく、息子の場合は自発呼吸が出来ないので口腔や鼻腔に人工呼吸器やミルクを飲むためのチューブがつながっています。自分で空気やミルク、自分の唾や痰ですら飲み込むことができません。
このまま自発呼吸が出来なければ気管切開といって、手術で喉を切って穴を開けて人工呼吸器をつけるかどうかの意思決定を迫られており、息子は俗に言う医療的ケア児です。

医療的ケア児とはその名の通り、医療的ケアを必要とする子どものことです。ではその医療的ケアとはなんでしょうか。
具体的な医療的ケアの例としては、以下のようなものが挙げられます。

(1)経管栄養:食事のためのチューブを胃に通す
嚥下(飲み込む)機能の障害などにより、口から食べ物を食べられない場合に、お腹に穴を開けたり、鼻からチューブを通すなどして、胃に直接食事(栄養剤等)を入れる処置です。

(2)気管切開:呼吸のための器具を喉に取り付ける
疾患などが原因で口や鼻がふさがってしまう症状がある場合、喉に穴を開け、カニューレ(通気の管)を通して空気の通り道を確保する処置です。

この他にも、様々なケアの種類がありますが、共通しているのは、何らかの医療デバイスによって身体の機能を補っている状態であるということです。
医療的ケア児親子をとりまく環境 医療的ケア児とは

書き出したらだいぶ長くなってしまったので、

  • 知り合いの方で近況だけをサクッと知りたい方は”2ヶ月経った今の近況報告として”

  • 医ケア関連の部分だけをサクッと読みたい方は"2ヶ月で感じたことや、いつか似た境遇になった人へ"

  • とりあえず記事を開いたが時間ないって方は”最下部に息子の動画”を入れたのでそこだけでも観ていってください

このnoteは

目的
先天性ミオパチーや医ケアが必要なことを知り僕自身気力を失っていたがだいぶ回復してきたのでこの2ヶ月を振り返る
②支えてもらった人に、お世話になっている方々へ近況報告のため
③事実の受容に困惑し、苦しかった2ヶ月を過ごした一方で、気力を取り戻していった過程をn=1サンプルとして残す。いつか誰かの役に立てればと。


生後47日目ではじめて抱っこすることができました。


我が子、富士誕生

計画無痛分娩の予定だったので、家の近くの産婦人科ではなく大学病院に検診から通っていた。そして結論、予定日前最後の妊婦健診中のこの日に、息子は生まれることになった。

検診中に胎児の心音が急に下がり、妻は酸素マスクをつけられ目の前でタンカーで運ばれていった。わけがわからないまま僕は運ばれる妻の後を荷物抱えてついていき、少ししたら医師から週数十分ではあるので心拍低下の理由がわからないままこのままお腹にいるのは危険なので、緊急帝王切開で出産をしますと告げられた。

手術室の前と家族待合室を行ったり来たりしながら、ドラマで見た場面のように、妻とお腹の中の子の無事を安産守りを握りしめてただ祈った。詳細を書いていくとそれだけで一本のnoteが書けてしまうので割愛するが、息子はNICUにそのまま入院することになった。

産後直後に書いたnoteはこちら。

生後2日目の息子。保育器の中でたくさんの機器や人工呼吸器、チューブに繋がれていた。


生まれてから

息子が生まれたあとに、医師から出産の状況やこのnoteの冒頭で書いたような病状や今後の可能性について色々と告げられた。

重症新生児仮死状態で産まれた息子は現在の医療技術のおかげで命をとりとめたが、一方で病気のことを知れば知るほど現代の医療技術を持ってしても治療することができないと知り、絶望した。

もともと出産後から育休に入る予定であったが、妻子がしばらく入院が必要なので数日のお休みはもらったものの予定通りには育休に入らずに仕事を続けた。

ただ、まともに仕事どころか生活することも簡単ではなかった。自分では普通に動けているつもりだったが、次第に食欲はなくなり、ぼーっとする時間が増え、仕事に集中できる状態ではなかった。

以前は寝ているときに夢は見ないくらい爆睡出来ていたが、当時は何度も変な夢を見ては夜中に起きることもしばしばあった。些細なことでイライラする事も増えて、段々と自分が正常なコンディションじゃないことに気づいた。

目の前の出来事を頭では理解しているつもりであったが心が全然追いついていないことに気づき不調が重なっていった。ポジティブな気持ちとネガティブな気持ちが行ったり来たり、メンタルだけでなく、寝食がちゃんとできず身体も不調になった。

たとえ、友人であっても会いたい気持ちにはなれず、仕事でも打ち合わせがままならなくなった。

その後、当時の上司やチームの人には無理を言って休暇をもらった。土日含めて合計11日間仕事から離れていたが、最初の数日は生きるだけというかちゃんと生活するだけでいっぱいいっぱいだった。起きて、食べて、横になって、食べて、寝る。これだけ。

出産後に備えて買ったベビーカーなどを未開封のまま返品したり、開けられないベビーグッズがたくさんあったりと、"赤ん坊の靴の話"ではないが、この作業やベビーグッズを目にするのがとにかくしんどかった。

また、街で見かける子どもや家族連れを見ると目を反らして立ち去ったりととにかく目にしたり、触れたくなかった。
SNSも見れないし、不幸にもネット広告のターゲティング精度は非常に高いので赤ちゃん関連の広告を至るところで狙い撃ちにされてたのもつらかった。

家族だけでなく、心配して連絡をくれた友人が何人も連絡をくれた。それだけでなく、実は息子、娘が、、、、と普段あまり連絡を取っていなかった知人や疾患や障害を持った子供を育てているけど、周りに公表していないからとわざわざインスタで新しく匿名アカウントを作って連絡をくれ励ましてくれた人もいたのだ。
障害や先天性の疾患を持った子を持つ親の気苦労やしんどさはわかるからとたくさんのアドバイスや支援をもらえた。本当に周りのひとには感謝の念でいっぱいである。

休暇が明け、結局職場に戻っても覇気はなく生産性も圧倒的に悪いのは自分自身でもわかった。
そして、ありがたいことに上司は業務調整をして重荷を減らしたり、病院に通うために頻繁に休むことを許容してくれたりとたくさんのサポートをしてくれた。


生後2ヶ月を迎えて、退院に向けて

1ヶ月記念のときは看護師さんが王冠を作ってくれてささやかに祝いました!
1ヶ月半が経って抱っこできるようになったのですが、たくさん機器やチューブがつながっているので毎回医師や看護師さんのたくさんの手を借りて抱っこするのも大仕事

コロナの関係で最初の1ヶ月強は週に1回15分の面会しかできなかった。9月に入って週2回に増えて、会える回数も増えていった。

会えない寂しさを紛らわすように毎晩妻と撮りためた息子の写真やムービーを見てから寝るのがいつしか日課になった。

生活もなんとか回せるようになったがこの頃は息子の障害の受容に苦しんだ。2ヶ月経った今は受容出来ているつもりではあるが、急に不安になったり、胸の奥のほうが苦しくなることがある。我が子の障害を受け入れること(受容)についてはこのnoteの後半部分でももう少し書きたいと思う。

息子自身は産後2,200グラムだった、体重が2ヶ月経って3,300グラムまで成長をした。そして、産後弱々しかった顔つきもちょっと凛々しく思えるようにまでなった。体重が3,000グラムを超えたことで退院に向けて次のステップに入った。

というのも、未だに息子は自発呼吸が出来ないが退院のためには経口チューブでの人工呼吸器が外せないといけない。自発呼吸が今後も出来ない場合、気管切開をするかどうかの意思決定が必要になる。(気管経由での人工呼吸であれば、自宅に帰ることできる)

そして、体重が3,000グラムを超えないと手術が出来ないので、この体重が一つのターニングポイントとなる。

親心としてはまだ小さい息子の身体にメスを入れたくない、痛い思いをさせたくない気持ちと、気管切開をすることで経口チューブが不要になるので呼吸が楽になり息子自身のQOLがあがるので迷わず選ぶべき気持ちとで今も葛藤している。

そして、呼吸の件がクリア出来た先には在宅で経管栄養や痰の吸引、チューブの交換といった医療的ケアを僕や妻自身ができるようになる必要がある。そのためのトレーニングを病院に通って習得しなければならない。

これらの行為は病院で看護師が行うと「医療行為」であり、退院後に家族が行うと「医療的ケア」になる。国家資格を持たない一般の人の行為を”医療”と呼ぶことは出来ないからである。そこで登場したのが「医療的ケア」という新しい考え方がここ30年くらいで生まれました。

また医療機器が小型化、軽量化したことで病院で行っている医療行為が、退院したあとでも家族が行えるようになった背景もあります。

できるようにならないといけないとは頭ではわかりつつも、自宅では息子の命を守る先頭に立つのは看護師さんや医師に代わり自分たちになること。そして、技術的にも習得しないといけないことに正直、不安ではある。
医療的ケア児とその家族の生活実態についてもし興味あればこちらを。


2ヶ月経った今の近況報告として

妻自身の体調は順調に回復ができており、退院して自宅に帰ってきました
僕自身は、この数週間でだいぶ元気になりました!連絡滞っていたり、塩対応だったりしたときがありごめんなさい
当初産後から取る予定だった育休を遅らせて今も仕事をしてます
けれども、しばらくは家族のことに専念するためにこの秋から数ヶ月の育休を改めて取得予定です
 −今後のキャリアや経済的自立に懸念をあるが今それをしないと後悔する気がするので
 −24時間の医療的ケアが思っていたより楽勝だったわとのちに思えて、息子をサポートしつつ、仕事バリバリ前線に戻れるのが理想であるが

とはいえ、(まだまだどうなるかわからないのが前提だが)育休が明けても物理的に今までと同じ働き方はおそらく出来ないだろうと思っている
 −それは労働時間や仕事以外の自由時間のとりやすさや生産性、コミット具合等等
医療的ケアや福祉はもちろんのこと生きづらさや今の社会での不十分なことを、息子のよりよい未来をキーワードに新しい勉強をしています
 −患者団体やNPOの人と連絡を取るようになり、書籍やネット情報よりもより実態を垣間見ることができるようにたりました。けど、福祉や社会起業、ビジネスアプローチでは届かない課題がいっぱいあり、数としては多くはないが確実に困っている人たちがいることも身をもって知りました

今後の生き方やあり方、家族の守り方を絶賛模索中なので壁打ち相手になってくださる方大募集中です


2ヶ月で感じたことや、いつか似た境遇になった人へ


①儚い命ではなく、赤ちゃんは懸命に生きている

自身の子に障害や病を持って生まれたことで、親である自分自身や周りの大人たちは困惑するかもしれません。僕自身もそうです。

あーでもない、こーでもないとまだ起きていないこれからのことに不安を抱いたり、ひょっとすると目の前に思い描いていた子育てとは違う光景に直面するかもしれない。

極端に言えば、我が子であっても可愛いと思えない。大事にしたいと思えない感情が出てくるかもしれない。

けれども、やきもきする大人とは関係なしに赤ちゃんは「生きようとしている」。大人が不安にかられようが、歓喜しようが、戸惑おうが、関係なしに、必死に命の炎を燃やしている。尊い。

語彙が足らずうまく言えないですが、生きる力は思っていたものより遥かに大きいものです。まだ起きていない未来は一旦おいておいて、赤ちゃんに会えたら目の前で動いている心臓、一挙手一投足に集中して、(できるなら)抱きかかえて、触れることでまた違った世界線を感じるかもしれません。


②障害があってもなくても、人生には様々な形で困難はついて回ってくるもの

障害児が生まれてくることに困惑し、受容することは容易ではないかもしれない。実際、自分自身が2ヶ月現在時点で少なくともそう思う。

しかし、受容する以外の選択肢はあるのでしょうか。

人が生きていくのは簡単ではなく、それは障害児を授かろうか、健常児を授かろうと人が生きていく中で大なり小なり困難はやってくる。
仕事に挫折したり、人間関係でうまくいかなかったり、病気を患ったり。

いいことだけでなく、苦しいことしんどいことが繰り返し、波のように押し寄せてくるから乗り越えたときに喜びや強く記憶に残ってそれらが人生を彩るのかもしれない。酸いも甘いも知ってこそ人生。

また、

「最初から受け入れられる親はいないし、時間をかけて受け入れられない親もいない」
近い境遇で連絡をくれた知人から教えてもらった言葉です

知人自身もまた同じ境遇の先輩に聞いた言葉とのことです。産後直後にかけてもらったこの言葉がそれからまだ二か月ではありますが、改めて見返すと意味を噛みしめる事が今はできます。

なので是非この言葉がいつか必要な人に届いたらいいなと、そして届けたいなと思っています。

また事実の受容が困難に感じたときにそれが誰にとってしんどいのかは切り分けて考えないといけない。

もっとはっきり言えば、親と子はそれぞれ独立した人格なので仮に親がネガティブな気持ちでいたとしても、この先の人生に悲観していたとしても、それが直接子どもも人生に悲観しているわけではない。


③幸せでいられる権利を剥奪されたわけではない

冨岡義勇「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」
惨めたらしくうずくまるのはやめろ!!
そんなことが通用するならお前の家族は殺されてない!
奪(うば)うか奪われるかの時に
主導権が握れない弱者が妹を治す?仇(かたき)を見つける?
笑止千万(しょうしせんばん)!!
弱者には何の権利も選択肢もない!
悉(ことごと)く力で強者にねじ伏せられるのみ!!
妹を治す方法は鬼なら知っているかもしれない!だが!!
鬼共がお前の意思や願いを尊重してくれると思うなよ!
当然俺もお前を尊重しない!それが現実だ!
鬼滅の刃の話

障害は大変かもしれないがそれが=不幸ではない。幸せでありつづける、目指すことを諦めない。

他人にとやかく言われようが、自分の人生の主人公は自分であり、幸せかどうかを決める権利は他人にはなく、自分自身にあること。事実はもしかしたら疾患によっては難しいものがあり変えられないかもしれない。が、それの受け止め方やそのあとの生き方や考え方はいくらでも変えられる。

少なくとも大変なことや、子どもが生まれる前に妄想していた”理想の子育てや生活像”との乖離がイコール不幸なことではないので、受け入れるのに時間がかかったとしても、これらと"幸せ"はまず切り離してからものごとを考えたほうが良いかもしれません。


④動けなくても”知ること”は大事

これはいくつか意味があり、子供の疾患や治療、症例・他の患者さんのことを知ることで事実のインパクトの大きさに戸惑って、理解すべきことを見落とすことがある。

僕自身でいえば、喉を直接切り開く気管切開の単語だけを聞いたときは拒絶をしたが、子どものQOLや家族が一緒に暮らせるようになるメリットを考えると一概に検討もせずに拒絶するのは間違っていたこと。もしかしたら心が追いつかない部分があるかもしれないが、情報や事実を整理すると以外に色眼鏡で決めつけていたことに気づくかもしれません。

先天性ミオパチーの確定診断は入院中は保険適用が効かない。しかし、患者団体に相談したら、別の方法を提案してもらい結果、入院中に確定診断までできることになりました。これも知らなかったらたどり着けなかった世界線です。

また、日本に住んでいる限り、行政のサポートは意外に手厚いこと。

  • 高額療養費制度
    =医療費は自己負担限度額以上のものは払わなくていい(or払い戻せる)ので月単位の医療費は上限があること。(このへんは病院でも教えてくれることだろうけど、知らないとアメリカのような莫大な医療費がかかることを無駄に心配しなくてすむ)

  • 未熟児養育医療
    =体重2,000グラム以下または医師が養育が必要と判断した場合に医療費が助成される。我が家の場合、入院費用・手術代で3桁万円かかるところが自己負担が数万円で済みました。
    3割負担や高額医療費制度があっても数ヶ月続けばとんでもない額になるところを自分たちだけではなく行政が一緒にサポートしてくれる。
    我が家の場合、病院からこの存在を知らされたわけではなく、行政のサポートをなにか受けれないかと調べてたときにたまたま見つけられてかつ体重こそ超えてたが適用出来たのでだいぶ助けられました(存在知れてよかった)

など知ってているか知らないかでその後の生活が大きく変わる要素にもなり得るので、”知ること”は大事であるなと。




最後に

つらつらと書いていたら、とても長い文章になりましたがここまで読んで頂き有難うございます。

1ヶ月前に少しまとまった休みをもらったときに一度noteの文章を当時のまとめとして下書きしたのですが、書ききれませんでした。

当時とはまた状況が変わって、ほとんど書いていた文章が使えないものになってしまいましたが、今回こそはと思い書いてみました。

筆不精な僕とは反対に、妻は定期的にブログを書いていて身内でありますが正直すごいと思っています。

文章を書く行為を通じて、考えが整理されると言っており、自分の頭でもわかっているのですが、筆が重い、重い。


けれども、①自分自身の考えの整理や備忘録として、②マイノリティ情報のN=1サンプル情報として、③元気になっていくだろう息子の成長記録として今後も定期的にnoteや発信を頑張ろうと思います。

最近、音沙汰ないなと思ったら是非僕のお尻を叩いていただけるとうれしいです。笑


最後に、先週は足が、数日前から手がちょっと動かせるようになった息子の動画を載せます。親馬鹿であることは重々承知の上で、我が子が可愛くて仕方がないです。笑

2022年9月25日 新井正輝


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