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振り返り的な

23歳の頃に夕刊紙の日刊ゲンダイ様にお世話になった。メディアの現場が楽しくて仕方なかった。

そこからGMOモバイルさんに入らせていただき、メルマガの配信や、記事選定、媒体社様に対して記事提供のご相談などを経験させていただいた。そこではアプリも垣間見させてもらった。

その後、韓国に一時行き、帰国後は改めて経済メディアの編集に携わりながら、TikTokが流行っていない時に少し近いサービスのディレクションに携わる。

起業後もゲームメディアや、SIMのメディア、海外ドラマのメディアの立ち上げだったり、オウンドメディアの編集やホワイトペーパーの作成などに携わることもあった。

ただ、段々と出版社のデジタル広告営業に携わるようになっていき、時にはコミュニティ構築やCFO的なこともやることもあった。

段々と、収益に関連するような営業企画っぽいところが増えていき、イベントや取材を通して、業界情報を持つみたいな感じにはなった気はする。そこで、繋がりが増えて、多少壁打ちをするみたいな感じだっただろうか。


一時は、コンサルティングだったりにも憧れで、お世話になったり、都度、できるところで頑張ろうって感じだったかなと。できることが、ここは合うだろうなと思い、繋ぐみたいなケースも多く、ただ、代理店的な感じではなかった。

制作機能を敢えて持たないで、受注しないようにしてきた。謎にファンドを意識して、これは知識不足も大きくあるが、プロフェッショナルチームを作ることに集中してきた。

でもそれって、ちゃんと事業として請け負って回していることの方が、その未来に近づくんじゃなかったのかなとは、今は思う。


そのバランスを取れていなかったなと。今更ながら気づく。その上で、では、どうしようかなう。