「澄み渡る空、その向こうに僕が見たもの。」
一番最初に、sayurasヴォーカル、三上ちさこさんの歌う姿を見たのは、23年前、Rock In Japan Festival 2001 のダイジェストを衛星テレビで見ていた時だった。
今でも映像が鮮明に記憶に残っている。野外ステージで、青空へ向かって手を伸ばして、どこまでも届きそうな歌声で、その情景にピッタリと合う曲「澄み渡る空、その向こうに僕が見たもの。」を、fra-foa という四人組のバンドのヴォーカルとして、歌っていた。
この曲は sayuras の過去二回のライブどちらでも、アンコールで演奏された。ちさこさんはMCでこの曲が「自分の原点」と語っていた。
イントロは、クリアトーンのギターをバックにした歌で始まる。序奏はなし。その結果、自分語りをしているような感じに聞こえる。
その後、ベースとドラムが加わってからのパートでの歌詞が、聞くものの心を捉える
この部分の sayuras による演奏がこちら。根岸孝旨さんのベースが心地良い。
何らかの理由で、自分がこの世に生まれたことに意味を見出せない。それでも意味を見つけようともがいている姿を想像させるこの歌詞が、23年前にこの曲を聴いた自分の心を掴んだし、また多くの人の心を掴んだと思う。
曲の中盤にはこんな歌詞がある。
「僕の心は「何か」が欠けているから無意識に人を傷つけてしまう」というのは、昔の自分もよく思っていた。
ギターソロのあとのブレイクでは、こう歌詞が続く。
sayuras のライブでは、この「きれいな花見られるこの「目」をくれた」のところが「きれいな君見られるこの「目」をくれた」と言い換えられ、ライブに来ている人たちに向けてのメッセージに変わる。
そして、最後のサビで、ちさこさんの特徴である、どこまでも伸びる声によって増幅される光のような言葉が紡がれる。
この部分の sayuras の演奏がこちら。
この辺の感覚は、山形で自然のある環境で生まれ育ったちさこさんだからこそのものだと思う。東京育ちの自分には、当時はピンとこなかったが、街の近くに自然があるストックホルムや京都に住んだあとに、ちさこさんの音楽に再会してからは、理解できるようになった。
そして、この曲は以下の歌詞で締め括られる。
ここから、言葉にならない歌がはじまり、演奏も光を目指してどんどん上昇していき、どこかへたどり着いたような瞬間に曲が終わる。
この曲にぎゅうぎゅうに詰まっている、自己肯定感が不足しているネガティブさと、それでも生きることへ前向きであるポジティブさの共存が、ちさこさんのミュージシャンとしての表現であり、sayuras の音楽の根底にある世界観になっている。
だから、11月1日、京都から東京までわざわざ足を運んで、生演奏を聴きたいと思う。
sayuras 渋谷WWW ワンマンライブ(イープラス / ローチケ)まであと23日。
注:トップ画像は、Rock In Japan Festival 2001 の野外ステージで歌っている三上ちさこさん(YouTubeにアップロードされていた当時の映像からキャプチャしたものです)
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