何必館光庭
京都の庭園には傑作が数多くあるが、そのほぼ全てが戦前に作られたものである。数年前に、知人に「最近作られた庭でオススメの場所ある?」と聞かれて、答えに窮した。
今なら答えられる。何必館という美術館の五階にある吹き抜けの庭。
壁とガラスに三方を囲まれた狭い庭である。苔の緑の美しさと、楕円形の吹き抜けから降り注ぐ自然光が印象的だが、この庭の良さは、そこがメインではない。この狭い空間に、地球における水の循環を表現し尽くしているところが、素晴らしい。
空から降ってくる雨水が、木の枝を伝って、左側の「丘」に集められ、そこから、根に沿って苔の斜面を右手前へ下っていく。
その先には、平べったい大きな岩。これは、大海原を意味しているのだと思う。左のゴツゴツした岩と対になって「山と海」を表現している。そして、木の幹と枝と根が、水の流れを表現している。
京都の名のある庭園はほぼ全て見てきたが、木の形状そのものを表現の中心に据えた庭を、私は他に知らない。
さて、この庭は、ソファに座ってぼーっと眺めていることができる。隣に座った、小さい子を連れた女性が「ここで何も考えずに時を過ごすのが好き」と子供さんに語っていた。
その子供さんが「このカーペット、砂みたいだね」と指摘する。確かに。気づかなかった。ガラスの手前のカーペットは、龍安寺や大仙院といった、室町時代に作られた禅寺の南庭の、石を敷き詰めて表現した大海原に見えなくもない。
苔の空間は、その大海原の向こうに見える理想郷、と解釈することもできなくはない。それは、平等院鳳凰堂庭園のように、浄土かもしれないし、金閣寺庭園以降の、支配者となった武士が自らの権力が永続することを願って作った庭園のように、不老不死の仙人が住む蓬莱島かもしれない。日本庭園において、池の向こうに見える景色は、常に理想郷を意味していた。
何必館のホームページには、夏の晴れた日のこの庭の様子が載っている。楕円形の光だまりが、スポットライトのように地面を照らし、時間とともに移動していくのだろう。ローマのパンテオン神殿のように。その様子は、また異なるこの庭の解釈に気づかせてくれるだろう。