トリアージュ

命の選抜

海外では人工呼吸器の取付選別が行われたようだ、高齢者は延命を辞退したと聞いている。

そもそも数がありベット数も、医療資源が十分だったらどうだったのか?

お国柄で、美談と取れるし、医療体制の不備と捉えるのか、捉える人によって印象が変わっているように感じる。

身近なトリアージュを知った。

昨年11月に喪中の葉書が届いた。

亡くなったのは15歳年下の従兄弟だった。

未だ私が二十歳前の頃大変可愛がった。ちょうど今の1番末の孫のような年頃だった。

死因すら聞かなかった。

母とも叔母が口に出すまで、そっとしておこうと言うことにした。


しかし、それからまもなく、1番上のいとこから電話があった。

『どうしたの、何があったの聞いて欲しい!』

と言うことだった。

私たち従兄弟にとって、やはり1番下の子が亡くなったことは大変ショックなことだった。

聞く方も勇気がいたのだろうと思った、でも母もその言葉に押されて、電話することができた。

事情を聞いて、少しホッとしたのは、自殺じゃなかった。

肺癌で亡くなった。

1月正月明けに病院に行った風邪かなと思ったが数値がおかしいので精密検査をしたら

余命1週間の末期との事。

生きる道を選ぼうと抗がん剤治療を選択した。

7月、新型コロナが北海道旭川市で深刻な状態になっていた、医療崩壊が起こっていた。

従姉妹には後遺症が残り酸素を必要とする人生がの頃と告げられたそうだ。

『生きるのが辛いと』延命を拒んだと聞いている。

家族も医師とよく相談してのことだった。

私は今、従姉妹は精一杯生きたのだと自分で物語を改竄している。

そうでもしないと、やるせないのだ。

もしも、新型コロナで医療崩壊が起こっていなかったら、医療資源に余裕があったなら、北海道でなかったら、そんな疑念に囚われてしまうのを必死で打ち消している。

レアなケースの一人一人にも命がある。

生きていれば、違う体験もできる。

今一度、辛そうな人の顔を見ると休んでくださいと声をかけてしまう。

ほんの少し深呼吸をすれば変わることもあると思う。

ほんの少しの声かけで救われることもあると思う。

ほんの少しの優しさで、何かが変わる。

新型コロナで今を慌てないで欲しい。

年貢の納め時などだあったことないさ。

世界中が新型コロナで大不況

世界中が新型コロナにやられてる。

ゆっくり行こう。きっと間に合う。