見出し画像

8月31日の終わる条件

ここに残す文章はいわば遺書である。そして、これが君に(あるいは全くの他人に――そうでないことを祈るが)発見されたということは、私がこれまで君に対して行ってきた数々の鬼畜の所業が実を結び、君が私をいよいよ絶命に至らしめたものだと信じている。ありがとう。

君は19XX年の8月を何度体験したことだろう。片手でも両手でも数えきれない。100回でも足らないのは観測結果から明らかだ。具体的な数字は差し控えるが、君は、君の一生で過ぎゆくはずだった年月より遥かに多くこの8月というたった一月を過ごしたことになる。

そのようなことを君に課した犯人は、勿論今更述べるまでもなくこの私だ。だが恐らく君が知りたいのは“誰が”、ではなく“何故”の方だろう。君にはその答えを伝えるべきだろうと私は判断し、この文章を遺すことにした。だが、現代の常識に当てはめた場合に君がこの答えを信用出来るかについては甚だ疑問なのだが。

私は人間ではない。極めて人間に似せたいわば人形である。だがこの言い方も正確ではないだろう。私自身はそういった作り物ではなく、自由意思を持った一生命体なのだから。つまり、君が知る私というものは、多少語弊はあるだろうがマリオネットのようなものだったと解釈してくれて構わない。つまり私が君に求めたのは、私が操るその絡繰の糸を切ってもらうことだった、ということになる。

君がこの8月を繰り返す間、どの記憶を残すか、残さないかの選別は無論のことながら私が行った。私の正体、私の求めることは、実は君には説明したことがあるのだがその記憶は消去せざるを得なかった。これは私が君にそれを求めるという行為自体が、私自身の自死だと私自身にみなされることが分かったためだ。先に私には自由意思があるという風に述べたが、その一点に於いてのみ私には自由がなかった。自らで自らに終止符を打つことが私には出来なかった。故に、私は君にそうしてもらう必要があったのだ。

何故私がそんなことをしなければならなかったのか、と君は思っているだろう。だが、何故君なのかについて述べる前に、何故私は死ななければならなかったのかについてまずは記しておこうと思う。私の体内――正確にいえば、私の操る人形の内部だが――には、この世界を数回に渡り焼き尽くすことの可能な爆弾が内蔵されていた。馬鹿馬鹿しく思うかもしれない、そんなものが人形程度の体内に収まるはずがないと。だが事実だ。この絡繰に用いられている技術は現代より遥か彼方で開発され、運用されているものなのだから。信じるも信じないも自由だ。だが、私は君に真実を伝えんが為にこの文章を書いているということは理解して欲しい。

爆弾の起動条件について述べよう。それは8月31日の先で私が生存していることである。8月31日から9月1日へと秒針がたったひとメモリ進んだその瞬間に私に内蔵された爆弾は起動し、世界を焼き尽くす。だから私はこの19XX年の8月の間に死ぬ必要があった。願わくば愛する君の手によって。

君と出会い、恋をしてそして愛してしまった。私は、君と自分に課せられた任務という決して釣り合うはずのない両者を天秤にかけ、あろうことか君を選んだのだ。そして君を愛するが故に、私はせめて君の手で終わりたいと願ってしまった。それが君にとってどれほど残酷なことか分かっていながら。しかし、君は私を殺せなかった。あなたを殺すなんて私には出来ない、と涙を流しながら語る君の姿が脳裏に焼き付いて離れない。最もその記憶を君は持っていないのだが。もし君が私を殺せなかったならば、任務に成功したことで私の精神体は回収され元の時代のあるべき処へと戻ってしまう。そこから先、悠久に続く時を君無しで生きることはもう私には考えられなかった。だから、この世界で君が生きていける選択肢を私は考える他なかった。

私はこの19XX年の8月に限りこの地球上に於ける物理現象の操作を許可されていた。ありとあらゆることが可能だった。生命の境を曖昧にさせることや、エネルギーの保存則の破壊、時間の操作。あらゆる選択肢を考慮した上で、私はこの8月をひたすらループさせることにした。君だけがその記憶を持てるようにして。何故か。ひたすらに経験と知識とを蓄積させ、君の脳に過負荷をかけ多少脳回症に近似した状態を作り出す。ループを繰り返すことで増えていく君の脳の皺は、君の精神を蝕みやがて破壊するだろう。想定通り、繰り返す時の中で君は徐々に壊れていった。それでも私を殺すに至るまで、まさかここまでの回数が必要だとは思わなかった。私は先ほど君を愛しているからこの世界と君とを選んだのだと言ったが、或いはそれを決めたときにはまだ懐疑的であったのかもしれない。壊れていく君が、それでも私を殺せないその状態を垣間見、私は初めて自身の中に在る愛を観測したようだった。人間とはかくも高潔な精神を持つ生命体なのだと感動もした。

そうしてとうとう今日この日が来た。奇しくも8月の最終日であるこの日に、最早何もかも分からなくなった君は、家族も友人も道行く人たちも総て遍く殺害し、まるでドレスでも纏うかのように血を滴らせている。このような帰結へと導いたことが、或いは私自身に私自身の自死を連想させるのではないかと危惧していたが、それは杞憂に終わったようだ。いよいよ私は君に殺される。

今私は君の様子を間近に見ながらこの文章を書いており、そして書き終わり次第郵便ポストに投函するつもりだ。そして、私が予定通りに死ねば、この遺書と呼べるものは君の家の郵便受けに郵送されることだろう。そして冒頭にも述べたように、君がこの文章を読んでくれることを私は期待している。

さて、では君の元へと向かうとしよう。

もしこれで駄目なら、またやり直すだけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?