よくありそうな怖い話
何分昔の話だから、ちょっとあやふやなとこもあるかもしれませんがね、と前置きしながら、ほとんど真っ白になった髪をかき上げ、男はこんな話を聞かせてくれた。
N県のとある小学校での話である。男はその学校で住み込みの用務員をしていたらしい。昼は主に校舎やその周辺の清掃を、放課後からは生徒が遅くまで残っていないか見廻りつつ、各教室を施錠して廻る。夜になると、明日の宿題やらリコーダーなんかを忘れたとかで生徒の保護者が連絡してくることもあり、それらの対応を行っていたそうだ。
何十年もの毎日、変わり映えのしない日々を送ってきた中で、ある少女のことがなんとも忘れ難く、記憶に焼き付いているのだという。
いつものように放課後、各教室を見廻りながら廊下を歩いていたときのことだった。廊下から、開け放たれた窓を挟んで教室内を覗き見る。またあの子一人ぽっちだな、と男は思った。
黒いおかっぱ頭で、背の丈は前から数えて一番目か二番目くらいだろう、小柄な少女だった。まるで小動物のようにきょろきょろと周りを窺う様から、男はその少女をキョロちゃんと渾名付けていた。
いつも教室に一人きりで遅くまで残っていることから、男はキョロちゃんの家庭には何らかの問題があるのだろうと、敢えて帰りを急かすこともせずに、いつも先に他の教室を締めてから最後にそこに戻るようにしていた。
いつもならそうやって時間を潰して戻ってくる頃にはキョロちゃんは教室からいなくなっているのが常だったが、その日、廊下を歩きキョロちゃんのクラスに近づくにつれ、きゃっきゃと何人かが談笑する声が聞こえてきた。
ああ、ようやく友達が出来たのだろうか。などと思うと自然と頬が緩んでくる。廊下の窓の施錠を確認しつつ、ゆっくりと教室の方へと進んで行った。すると、また明日ね! ばいばーい! と、キョロちゃんが勢いよく教室から飛び出して行くのが目に入った。
咄嗟に、廊下は走らないように、とその背中に向かって声を掛けると、キョロちゃんはごめんなさい! とはにかんだ笑顔で男に応え、そのまま走り去って行ってしまった。なんとも嬉しい気持ちで、一体どういう子らと遊んでいたのか、と教室の中に目を向けると……。
そこで男は思わせぶりに沈黙を作り、こちらを見てにやりと笑った。
たった今、キョロちゃんが飛び出して来た教室の中には誰もいなかったそうだ。確かにキョロちゃんと誰かが話して、笑っているのを聞いた。また明日ね、と教室の中へと声を掛けるのも聞いた。にも関わらず、その中には誰もいなかったのだという。
ロッカーの中や、教卓やカーテンの裏は確認されましたか? と問うと、確かめた、と言う。
男は全身総毛立ち、急いで窓やドアを施錠し、一目散に用務員室へと逃げ帰った。
その次の日から、何故だかキョロちゃんは放課後すぐに帰宅するようになったため、男が見廻り中にキョロちゃんを見かけることはなくなってしまった。
これで話は終わりです、参考になりますかな、と私に向かって微笑むと、男は机の上の急須から湯呑みに茶を注ぎ、一息に飲み干した。
私はメモを取りながら、特に使えそうな話じゃないな……と思いつつ、話を聞かせてくれたことへの礼と、いくばくかの金銭が入った封筒を机の上へと滑らせた。
男は恥も外聞もなくすぐさま封筒の中身を確かめると、これでまた酒が飲めますわ、と歯茎を見せて笑い、ああ、でも一回相手をして欲しかったなぁと独り言ちる。
どういう意味ですかと聞くと、ああ、あの日、誰もいない教室の机の上に盤が置いてありましてね、と言う。誰かと囲碁やら将棋やらしておったのかと思ったのですが……そう言い終えるが先か、男は座ったまま舟を漕ぎ始めた。独り身のようだし、久しぶりに人と話して疲れてしまったのだろう。わざわざ起こすこともないと思い、そっと席を立つ。
しかし、盤とは一体……後ろ手で障子を閉めつつ男を見やり、ああ、と私は小さく笑った。
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