一期一会の太鼓
最近やめてしまいましたが、私の楽しみの一つは和太鼓でした。
ちょうど20年、続けてきました。
「和太鼓」といってもその種類はたくさんあります。太鼓の置き方、打ち方、リズム、打ち手の人数...
私が最も好きで、熱心に稽古に励んだのは、1台の太鼓を胸の高さ位置に横向きに置き、両側から二人の打ち手が打つ太鼓です。
この太鼓は、表の打ち手が「旋律」を打ち、裏の打ち手が基本となる拍子を打ちます。
そして、この太鼓には基本的には楽譜はありません。
表の打ち手が即興で打つことが多い太鼓です。ですから、二度と同じものは打てません。
「今のは上手く打てた」「気持ち良く打てた」と思うかどうかはその時の精神状態、気分、体調など様々な要素で決まります。
満足のゆくように打てたときは何も考えずとも体の中から自然に旋律が出てきてほとんど無意識で打てたとき。
逆に、「今のはダメだった」というときは「次はどう打とう」「こういう旋律を打ってみよう」などと考えながら打ったとき。
そして、「表」が心地良く打てるかどうかは「裏」の打ち手に大きく影響されます。
「裏」は裏拍子、下拍子、裏打ちなどと呼ばれ、ただひたすら「ドンドコドンドコ...」とリズムを崩さず、「表」の邪魔にならないよう、且つ、「表」を打つ人が気持ち良く打てるように打ちます。
「表」の打ち手は無意識ながらもその時の気持ちを発している。その気持ちを「裏」の打ち手が感じ取り、下打ちの音を大きくしたり、小さくしたり、緊張感を持たせたり、ゆったりと打ったりして「表」の気持ちを盛り上げる。
「表」の打ち手には下打ちがそういう変化を持たせるのを嫌う人もいます。そういう「表」の打ち手の気持ちを汲むのも「裏」の役割でもあります。
また、「裏」が同じように「ドンドコドンドコ...」と打っているように聞こえてもそこには「相性」があります。
この人の「ドンドコドンドコ」では打てるけど、別の人の「ドンドコドンドコ」ではどうしても気持ちが乗らない、ということもあります。
ですから、私はいつも「裏」を打ってもらう人を決めていました。その人の裏打ちだと気持ち良く打てるのです。
この表と裏の心のやり取り。二人の気持ちが一つになった時、お互いに気持ちの良い演奏ができます。
同じことは二度とできない。そのとき限りの表と裏の二人の心の出会い。
「一期一会」の演奏。
その1回限りの「出会い」を大切に稽古に励んでいました。