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落語「天災」
古典落語に「天災」という噺があります。
短気でそそっかしい八五郎。今日もおかみさんとおっかさんを張り倒してご隠居さんの所へ駆け込んできた。離縁状を2通書いてくれと言う。
そんな八五郎にご隠居さんは、「紅羅坊奈丸(べにらぼうなまる)」という心学の先生の所へ行くように勧める。
ご隠居さんが八五郎に託した手紙を読んで事の成り行きを知った奈丸先生は八五郎を諭す。
「何事も天の成したる災いとすることはできんかな?」
「むっとして返れば角の柳かな。風の吹く方を後ろに柳かな」
「堪忍のなる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍、するが堪忍。堪忍の袋を常に胸に掛け、破けたら縫え、破けたら縫え」。
これらの言葉を生半可に覚えた八五郎のドタバタが始まる訳ですが、それは落語の方にお任せするとして。
辞書によれば、堪忍とは「怒りを抑えて、人の過ちを許すこと」「肉体的な痛みや苦しい境遇などをじっとこらえること。我慢すること。忍耐」(大辞泉)とあります。
人を許す。
それはとても難しく、私にはとてもできない。
60歳を超えた今になってもまだできない。
間違ったことや嫌なことをした相手を許すことなどとてもできない。
しかし、許さずにいて何が起こるか。
起こるのは自分の怒りが増すだけ。
それは自分の心を傷つけるだけではないか。
苦しみに耐えること。これもまた難しい。
耐えきれずに何かに八つ当たりしたり、自分を傷つけたりしてしまう。
しかし、そんなことをしてどうなる?これも自分の心が傷つくだけではないか。
人を許す。
それだけでなく、自分も許す。
私が解決すべき大きな課題の一つです。