森へかえす、たねを蒔く
妹の始めたタネカラプロジェクトは、ざっくりいうと育苗なのだけれど、いろんな課題を含んでいる。
育てている苗は、トチ、ナナカマド、キハダ、など数十種類に及ぶ。種は山から採ってきたものばかり。買ってきたものではなく、なるべく山に自生する木や植物の種を採取して育てている。
実は買おうとしても、売っていないのが現状なのだ。実際、もみじのようなメジャーな苗でさえ、九州から購入しているのだと聞いた。
九州と近畿では気候も土も違う。なるべくスムーズに育つように、やはり苗も地元のものがいいという想いがある。
その苗たちもどんどん大きくなってきて、プランターでは追いつかないくらいになってきた。
けれど、鹿が食べられないくらいの背丈にならないと山には返せないし、かといってそこまで大きくなってしまうと移植が難しくなるというジレンマを抱えることになる。
木や植物は生き物だけれど、繊細なものだ。植え替えた途端、枯れてしまったり、大きくならずに何年かたって枯れてしまうこともある。
苗を育て、山に帰すのは思いのほか、難しいのだと知った。帰したら終わりではなく、人の手でサポートしてやらなくてはならない。
特に地盤の緩んだ土や、草の生えていない場所は土砂崩れの危険もある。
それを防ぐために木を植えたいのだけれど、そこにしっかり根を張ってくれるかどうか、それは誰にもわからない。
森はわたしたちが思うより、深く関係し合っている。
一見、普通に生えているだけの草も、根を張って木を支えているかもしれないし、固い土に根を巡らすことで生き物や他の植物に影響を与えているかもしれない。
巨木ならなおさら、一本なくなっただけで生態系に大きな影響を及ぼすことになりかねない。そんな木が、少し前、切り倒されたのだと聞いた。
家具になるため、大きなヘリコプターで運ばれていったのだった。
誰も止められなかった。
去年の秋、ブナの森を訪れた。10年先、20年先、この風景を残せるだろうかと思ったとき、このままではいけないと感じた。
妹の住む場所、大きな欅の木の下で、たくさんの木の子どもたちがすくすくと大きくなっている。
木の下がちょうどいい、と妹は言う。
雨や風をうまくしのいでくれる。木陰が土の湿度を保ってくれる。
この木たちが森に帰って大きくなって、次の森を作るとき、きっとわたしも妹もいないだろう。ひっそりとした世代交代をどこまで見守れるのか、それは誰にもわからない。
小さな種を蒔き、育てながら、森で起こっていることをつぶさに観察し、今何が必要なのかを考えていく。
タネカラプロジェクトはそんな活動だと思っている。
あと、もうひとつ。
タネは不思議なものである。
あんなに小さいのに、ちゃんと命が入っている。
精密に用意されたプログラムによって、ある日、何の前触れもなく芽をのぞかせる。それは人が解き明かすことのできない、命の不思議だ。
妹を動かしたのは、タネの持つ、その神秘なのだと思う。
木は毎日、どこかで切られている。
だから、わたしたちはタネをまいておく。
きっといつの時代も、人はそうしてきたのだと思うから。