偏愛バトン 往路の3 / 書いてないよと書かれている
(↑こちらへの返信です)
これはカンボジアに住むMai Yoshikawaと
ルワンダに住むmasako katoの往復書簡です
え?ちょっと待って、何?
黒いプリン?どう見てもタピオカ
しかもプリンに季節があるの?
グアバが終わり、プリンの季節になったコンポントムより
と前回のお手紙の末尾の写真 (上記) に釘付けになり、
「カンボジア プリン」
で検索するとカボチャプリンがいっぱい出てきて
いや、音感のシャレかよ!google的ジョークなの?と思ったら本当にカンボジアのマーケットにカボチャプリンがあるんですね!
しかもかぼちゃの実をくり抜いて中にプリン的なものを流し込む大胆なもの
さらにカボチャの語源がカンボジアに由来すると知り白眼を向いて早数週間
結局この黒い実の正体は検索よりも先にマイさんのfacebookページでヒットしました
https://www.facebook.com/100000998207937/posts/4175799122463320/?d=n
プリンの木があるんですね
googleレンズさんに見てもらったら「ブルーベリー」と診断されました
私にとっても、「書いていないこと」をたくさん目の前に提示してくれるこの環境が尊いのかもしれない、と思う。
一問一答がない。
答えがどこにも書いてない。
そういう種類のことに向き合っていたい。
きっと向き合い続けるその道には、私たちの前にあった膨大な命たちが発見してきた、たくさんの素晴らしい瞬間がある。実際の景色がある。心の景色もある。
(mai yoshikawa - 偏愛バトン復路の2/バナナと私たちの間には)
マイさんが見せてくれる世界はまさしく私にとって「書いていない」世界ばかり
はじめて目にするこの黒い丸々
ダークチェリーのちょい渋めの味だってことや
美容に良いってことや、ポリフェノールたっぷりってことや
砂糖、塩、唐辛子と和えてもいけるってこと
検索し続ければどこかには書いてあるのかもしれないけど、すぐには辿り着けなかったことたちでした
・
こちらで活動しているとググっても出てこないことによく遭遇します
伝統文化にまつわることや伝統医療にまつわることだと特に
例えばこちら
トイレットペーパーとして使うふわっふわの極上肌触りの葉っぱなんですが名前はikizeranyenzi
検索しても出てきません
その土地の人が実物を知っていて、見たことがあって、見分けがついて、使い方も分かっていたらわざわざネット上になんて載せないですよね、当たり前ですけど
(この記事公開したらikizeranyenzi検索に引っかかっちゃうのかな笑)
その土地の独特なものや、特徴的な言い回し
あそこのおかーちゃんの作る煮込みは抜群にうまい
あっちのおじちゃんは果実の食べ頃見極めスキルがヤバい
18:45頃のここからの景色はすごい
蜂のことならあの人に聞け
そういう(ネット上には)書いていないけれど、その土地に暮らしている人なら知っていることを少しずつ捲っていけるのはやっぱり楽しいよなぁと感じています
最たるものは人の感情
どれだけ検索してもあの人が今何を感じているか、現段階では100%分かるわけではありません
そんな中で最近「ご不快構文」という言葉を知りました
このことについてはまだ全然まとまっていないので今意見を綴ることは難しいんですが、なんとなく「感情のもの化」の匂いを感じています
そして世界はコントローラブルなものである、という感覚の台頭も
整ってきたらまた書きたいとおもいます
・
「書いていないこと」の世界で生きることを、前回のお手紙をいただいてから巡らせていました
そうしたら、これまたタイムリーに、全く真逆のことを言っているのに身体にめり込んできた言葉に出会いました
ころころ気変わりして薄情ですね
でもお送りさせてください
「マクトゥーブ」maktub
アラビア語で「それは書かれている」という言葉です
起こるべきことは全てあらかじめ決まっていて、もう書かれている
マイさんがカンボジアに住むことも、ホテルを始めることも
私がルワンダに住むことも、牛の糞に魅せられることも
ずっと前からもう書かれていた
何に?
どこに?
ちょっと運命論的な聞こえもありますが、「自分の心の向くところ」に自分の宝があるそうです
そしてその自分の心の向くところに辿り着くには「前兆」を掴み逃さないこと
じゃあ前兆はどうやったら察知できるのかと言えば
あせらない、イライラしない、先を急がない
前兆はいつも現れている
それを読んでいくだけだ、と。
書いてあることだらけの世界から少しずれて
書いていない世界で生きてみるという行為も
すでに 書かれている
なんだかマトリョーシカみたいでもあり、つかんだと思ったらにゅるりと抜けていく繰り返しが自然と螺旋を昇らせてくれているのかもしれません
昨日の前兆はなんだったかな
今日の前兆はなにかな
ちゃんと聞こえるようになるときっとうるさすぎるくらい、前兆はいつも話しかけてくれているんだろうな
バナナの色
風の向き
お茶の量
彼女の言葉
雨の時間
つまづいた場所
訪ねてきた人
気になった椅子
欠けた皿
川の速さ
こんな不思議な近現代型の書簡だから、ちょっと気を抜くと、いま自分が“誰に“宛てて書いているのかを見失うことがある。
これ、マサコさん以外の人が読んでおもしろいんだろうか。
この書簡をまず読むはずのマサコさんから意識が離れて、読むかもしれないまだ見ぬ誰かさんへと漂っている。
あぶない、あぶない。
そのたびに、手を置いて、読み返し、書き直す。
(mai yoshikawa - 偏愛バトン復路の2/バナナと私たちの間には)
うわぁ、あるある、、、
と読んだ瞬間に心に留めても、この往路の3の書き出しはやっぱり他の誰かに意識が漏れていました
ここまで書いてようやく、マイさんだけに向かうようになったところで締めくくります
5回繰り返すうちに最初から集中できるようになるかな
ということも含めて螺旋の一段なんだろうな
写真は、これ買ってきてとお遣いを頼まれたけど誰もそのブツを知らない・取り扱ってないので仕方なく自作したミルクポット用燻製器
スモークミルク、絶品です
一往復目
二往復目