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「言葉にならないもの」
二月三日
立春
一年の中で、最も大切にしている日。
季節がはじまる日。
幼い頃から
聞き慣れてきた一年の計は元旦にあり
という昔からのことわざに習い
元旦から毎日花を活けて写真を撮る。
という事をやり始める。
それは物の見事に三日坊主に終わり
通常の生け込みの仕事が慌ただしく始まった。
四日からはパタンとやることができなくなってしまった。やれていない自分を日々追い目に思いながら諦めたくないという自分が中々
自身から離れてはくれなかった。
北の暗い部屋のわずかな光の中で写真を撮るのが日常に。一度その部屋に入り込むとずっとやっていたくなる。こういうことが私は好きなんだ。
曇りの日はほとんど暗く
一日のうちで光をもらえる時間はほぼわずか。
自然光で花を観たい。
花を自然に咲かせたい。
暖房は入れず、寒い部屋に一人で籠る時間は
最高以外に何者でもない。
仕上がって観る。気に入る写真が一枚もない。
それはいつものこと。仕上がってくるものに満足できない自分ともう何年も付き合っている。
その時に出来る精一杯はやり終えた瞬間から
いや、違う。となってしまう。
自分が良いと思えるものを作ることをずっと目指してはいるが、なかなか上手くはいかない。
自身が一番良いと思うもの。其処へ辿り着きたい。何年もそんな理想を心と頭に描いてきたのだと思う。
花は直接見るのが一番良い。
私はきっと自分の活けた花を誰かに見て欲しいのだと思う。
自分だけが見るのは勿体無い。
美しい姿とか綺麗とかそういうものを超えた言葉にはならない美。花の持つ心の美。
花を観ている自分がとても幸福に思える。
そんな感覚の方が正直言葉で表すと合っているのかもしれない。
私にとって花はそういう存在である。
だから是非私以外の誰かにも見せたい、見て欲しい。
花を見て心が温かくなる。
そんな思いを誰かにも知ってほしいのだと思う。
私が二十歳の時に花を生ける仕事を始める為に、決めた屋号が
doux ce(ドゥセ)その言葉の意味は心温まると。その時私は解釈し、その名をつけた。
そこから三十八年、
私の隣から花が離れる事はなかった。
三日坊主で飽き性の私なのに。
なぜかどんな時も隣に花がいた。
これは正しく神様からのギフトだと思えたのは、いつ頃からだっただろう。ずっといつかは、
自分一人で、花と向き合いたかった。
そんなことを何年も前から抱えながら、じわじわと実行してきたが、なかなか形にならない。
だけど、直ぐにできる
身近なことなら私にもできるかも。
今の自分にできること。
そんなに無理をしなくても少しは無理をしてその時間を作る。
誰ものためでもなく、それは自分のために。
一番の応援者、一番の理解者が
自身でないとその先の誰をもにも
顔向けできたりしない。
先ずはそこを目指そう。
最高の恥をかきながら。
宜しければふわっと
お付き合いください。
一年のことは年の初めの元日に計画を立てて行うべきである。 物事は初めが大事、しかもしっかりした計画のもと着実に行えということ。 [解説] 古くは「一日の計は 寅 とら にあり、一年の計は春にあり」ということが多かったようです。
一年の計は元旦にあり